第3話 月雲の里:『禁呪』

 ーー白雲しらく村長の家では、優しい灯がともる。

 

 オレンジのランプがテーブルの上で揺れている。

 

 

 「村長。“氷河”を越えるにはどうしたらいい?」

 

 

 白雲村長は、私が持ってきた白い布袋の置いてある丸いテーブル。

 

 そこに置いてある椅子に腰掛けた。

 

 「氷河をか……。一週間待ちなさい。やっと冷たい寒流が海を覆っている。この寒流で氷河も更に強く凍る。渡っても途中で崩れる事はないだろう。」

 

 

 そうか。氷河は海流に左右されるんだったな。

 暖流が海に流れこむと、氷河は崩れやすくなるんだった。

 

 「今は寒流?」

 

 「そうじゃ。一週間じゃ。それを越すと……また暖流が来るでな。」

 

 村長は顎髭を触る。

 

 大きな海を覆う氷河だ。

 そこを渡るしか術はない。

 

 この島は船があっても、この里に辿り着くのも難しい。その氷河の海が待っているからだ。

 

 何処まで行けるか試した事はあるが、果てすぎて断念した。

 

 この里から余り離れると、帰って来れなくなる事もある。

 

 その為、狩場の近くに避難所的な洞窟を必ず見つけておく。

 

 そうしないと、凍ってしまう。

 

 「わかった。一週間後。出ます」

 

 私はそう答えた。

 

 「本気か?」

 

 白雲村長の眼が揺らいでいる。

 何だかとても心配してくれている様に見える。

 

 「ええ。こうしていても“希望の光”は刺さない。ここには商人ですら寄り付かない。遮断され過ぎている。」

 

 

 商人ーー、せめてそんな人間が来てくれれば。


唯一……“クロイ•エスパンダー”だけだ。不定期だが、彼はこの里の者にとって大切な商人物売りだ。


彼のお陰で“木材”が、手に入る。銅や金属も。

 

 世界最果ての地。

 

 禁忌の島。クロイ以外の人間は、誰も寄り付かない。

 

 「そうか。承知した。」

 

 村長は深くため息をついたのだ。

 

 「一週間でなるべく……皆の食糧も、多めに捕獲しておく。」

 

 村長の少し哀しげな眼が、私に向けられた。

 

 「“幻獣”を探しに行ったのはその為か? ならば。捕縛などさせるんではなかったな。」

 

 

 優しい人だ。

 白雲村長は。

 

 身寄りのいない……私を、まるで娘や孫の様に育ててくれた。

 

 親であり、師匠だ。

 

 自分の娘の事よりも、私を大切にしてくれた。

 

 

 「村長。私は“いつか”出るつもりだった。早いか……遅いか。だけだよ。」

 

 そう。

 

 私はーー、そのつもりでいた。

 

 いつかは出ていくつもりだった。

 

 理由はどうであれ。

 

 「そうか……」

 

 村長は、少し遠い目をしていた。

 

 その横顔は、いつもよりも……遠く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ▷▷▷▷

 

 


 

 あの日からーー、四日が経っていた。

 

 相変わらずの吹雪のなかで、私はいつもの様に“獲物”を探していた。

 

 

 狩場は幾つかある。

 

 ここは直ぐ側に、雪山がある。

 そこには“アイスタイガー”と言う、氷属性のトラに似た魔物が棲んでいる。

 

 

 群れで棲んでいるので、ここで何頭か適当に狩るのだが……

 

 

 “アイスタイガー”は姿を見せなかった。

それどころか、いつもなら無数に残る足跡すらも無い。


「移動したか?」


私は雪の上を見ながら、腰元にいるルシエルにそう言った。


「わからん! いないんじゃ肉食えない! 瑠火! 他の獲物を探そ! ハラ減って死ぬ〜〜」


ぐるぐると檻篭の中で駆け回るルシエル。

空腹なのはわかるが……、暴れ回っている。


「ルシエル。余り暴れると余計……ハラが減ると思うけど。」

「じゃー早く食わせろ!!」


檻篭の中でウロウロと動きながら、そう喚く。篭の格子から覗かせるその紫の眼。


小さな狼犬は空腹を訴える。

必死にその眼で。


「そうは言っても……」


私がそう……言った時だった。


轟音……が、聴こえたのだ。


「なに? 今の……“爆破”の音みたいだけど……」


何かが爆発した様な音だった。

それが聴こえたのだ。


大きな音と少しの揺れ。


雪山が囲むこの雪原に響いたのだ。


「瑠火。噴煙だ。」


ルシエルの声。


私にもそれは見えた。


雪の向こうで空に立ち昇る灰色の煙。

吹雪の中で空に向かって……煙が上がっていた。


「火事……」


そう。


私にはそのもくもくとした噴煙が、火事によって出来たものだと理解できた。


少しだけ黒い煙も混ざっていた。


「里の方だ……」


私はーー、不安に駆られた。


あの方向は……“月雲の里”のある方だ。

そこから黒とグレーの煙が立ち昇っていた。


「何かあったな。」


ルシエルの少し緊迫した様な声。


私は、雪原を駆け出した。

里に向かって……。



▷▷▷▷


月雲の里……。


そこに辿り着いた時には“異変”は、直ぐにわかった。


空から降り立つ黒い竜たち。


鋭い牙を持ち爪を尖らせたその者たちが、里に向かい羽ばたき降りていた。


黒い両翼を羽ばたかせ逃げ惑う里のみんなを……喰らう。


「なんで“ドラゴン”が……」


私は直ぐに双剣を抜いた。


里は火に包まれている。


家が焼かれ……粉塵と煙に覆われている。その前で、里の者たちが竜に襲われているのだ。


それも……上空から彼等を狙い貪り食う様に、長いクチバシで喋む。


「“黒龍”だ。それもかなりの数だな。」


ルシエルがそう言った時だ。

私の目の前に黒龍が一頭。

羽ばたき降り立った。


悲鳴の聞こえる里を前に……私は、黒龍と対峙する。


「きゃあっ!!」


この声は……。


私の耳に届くのは少女の悲鳴だ。


目の前に立ちはだかる黒龍の向こう側。

美夕……が、正に降り立った黒龍に、食われてしまっていた。


「美夕!!」


小さな黒いおさげ頭は、黒龍のクチバシに食いつかれてしまっていた。


「瑠火! 前を見ろ!」


ルシエルの声でーー、ハッと我に返る。


黒龍が私に向かい火を放った。


口を開き黒い炎を噴き出したのだ。


「“守護の盾”!!」


咄嗟に守護の発動。

白い光の盾だ。

私の身体の前に現れると、その黒炎を防ぐ。


黒炎を消し去るまでこの身体を護る盾。


黒龍はそれを見ると銀色の眼を、ギラつかせた。


見れば見る程……デカい龍だ。


私も間近で龍を見たのははじめてだ。

ここには、こんな奴等は降りて来ない。


魔物とは違う……“存在者”だ。


伝説の生き物だと聞いていた。


「“風刃”」


私は風の発動。


碧色の風の“切り裂き”を放つ。

手裏剣の様に風は黒龍に向かい舞う。


大きな黒い身体を切り裂く。


黒龍の口からは、黒炎が放たれる。


「“旋風”!!」


私の足元から風の竜巻が立ち昇る。


向かってくる黒炎を防ぐ様に、竜巻があがり黒炎をそのまま風の力で粉砕する。


トルネードは黒炎を消し去る。

この技は“相殺”が得意だ。


「俺様を出せ!」


ルシエルがそう怒鳴った。


「それはいい提案だ」


私はルシエルを解放する。


捕縛の檻から、彼を出すのだ。


黒い檻篭を開けると、ルシエルの身体は外に飛び出した。


この円球に入っている小さな狼犬ではない。

あの氷の洞窟で遭遇した……大きな獣。


幻獣としての姿を晒したのだ。


黒い狼犬は雪の中に降り立った。


金色のトサカを揺らし……気高い幻獣の姿で、黒龍の前に立つ。


大きな尾が揺れる。


「コイツら……ただの“黒龍”じゃないな。操ってる奴がいる。」


ルシエルは黒龍と同じぐらいの大きさだ。

化け物としか言えない。


「どうゆう事だ?」


頭を低くしたルシエルのその声に、私は聞いた。小さな時の可愛らしい声ではない。


低く響くその声。


「考えてもみろ。力を持たない“月雲の民”を襲ってコイツら“龍”に、何の得がある? コイツらは“神の化身”だと思い込んでるめでたい連中だ。」


ルシエルは黒龍を前に“臨戦態勢”だ。

身を低くして今にも飛びかかりそうだ。


「誰かに“差し向けられた”。そう言いたいのか? ルシエル。」


「こんな辺境の地にまで……“厄災者狩り”をしに来るとは思えない。それに、コイツらも“聖神戦争”では、お前たちと手を組んでいた筈だ。」


ルシエルの低い声を聞きながら、私は剣を握る。


“聖神戦争”……。

私達……“月雲の民”は、神族に味方をして人間と戦った民だ。


結局……“人間と多種族の連合軍”に敗北した。そのせいで……私達は、この地に追い遣られたのだ。


“裏切り者”であり“戦火”を巻き起こす厄災者。それが、私達の“異名”だ。



「だとすれば……聖神戦争の生き残りか? それが、私達を狩りに来た。そう言いたいのか?」


「そこまではわからん。だが……龍を寄越すぐらいだ。“絶滅”させる気だな。」


ルシエルの紫色の眼が黒龍に向けられていた。その眼の鋭さは増した。


獲物を捉える獰猛さが、増したのだ。


黒龍は両翼を広げ空に向かい、黒炎を噴いた。その事で近くにいた黒龍たちが、私とルシエルの方に頭を向けた。


里のみんなを襲っていた黒龍たちが、コッチに飛んできたのだ。


「俺様を“破滅の幻獣”と知ってての挑戦か? 面白い。」


ルシエルの口元に黒い光の球が現れる。


あの波動を放つつもりだろう。

私を攻撃した強い力だ。


「ルシエル。私は里のみんなを助ける」


「好きにしろ」


ルシエルはそう言うと黒龍に向って黒い波動を、放った。


物凄いエネルギーの波動だ。


黒龍数頭を巻き込むほど。


ルシエルは、向かってくる黒龍たちに波動を撃ち放つ。


私は波動で消滅していく黒龍たちを、横目に里の中に突き進む。


黒龍たちはルシエルにしか興味を示していない。攻撃して来る者に敵意を向けているからなのか……。


横を走る私には目もくれなかった。


噴煙と火のあがる里。


黒い炎に包まれて小屋が焼けてゆく。


その前で倒れてしまっている里の者たち。


黒い炎に焼かれるその小屋の前には……白雲しらく村長の姿があった。


樫の木の杖を掲げ目の前にいる黒龍の炎を、防いでいる。


白雲村長の身体の前には白い盾。


光の盾が彼を護っている。


「村長!」


辺りでは無残にも喰い殺された里の者たちの、死体が転がる。


戦……でもあったかの様な状態であった。


「瑠火!」


私は村長の前にいる黒炎を口から吐き出す、黒龍に立ち向かう。


「“雷槌らいづち”!!」


白雲村長の目の前にいる黒龍。

私の放つ雷のイカヅチは、頭上から降り注ぐ。

蒼い閃光と紫色の稲妻の槍。それが黒龍を貫く様に落ちる。


バサッ……

バサッ……


大きな羽音。

里を襲っていた黒龍たちは、私と白雲村長の周りに降り立った。


一頭の黒龍を倒した事で、新たな敵の出現を悟ったのだろう。


どうやら私をーー、敵と認識した様だ。


「村長。一体……」


周りに降り立つ黒龍たち。


雷槌でその命を失くした黒龍が横たわる。


周りを黒い龍たちが取り囲む。


「村長。お怪我は?」


聞いても村長からの返答は無かった。

だから、私はとりあえずそう聞いた。

杖を付き少し身体を屈めている。


足に血が見えた。

右足を彼は怪我している。


「大事ない。それよりも……。手は出すな。」


白雲村長からの少し……息のあがる声が、響く。


「え?」


私は聞き返してしまった。


だが、白雲村長は杖を掲げた。


「瑠火よ。里の“未来”を護ろうとした娘。お前は生きねばならん。何があっても。」


後ろで白雲村長の杖が、眩い程の光を放つ。


取り囲む黒龍たちを前に、堂々とした村長のその声が響く。


「村長?」


私は村長が何をしようとしているのか、検討がつかない。


この里の者や村長は……“戦うこと”を止めてしまっていた。


魔物とすら戦おうとしなかった。


「この里の“命運は尽きた”。だが、瑠火。お前の未来は“まだ尽きておらん”」


村長の言葉はまるで“最後の投げかけ”の様だった。


その顔も慈悲深く見えた。


優しさに包まれた温かな表情。

何よりも穏やかな顔つきをしていた。


白い光。


杖から放たれるのは強い白い光だ。


村長は杖を掲げたままで


「“鎮魂レクイエム”」


そう言った。


その言葉の直ぐあとだ。

杖から強い白い光が里をまるで覆うように、包む。


里の全てを包み込むかのように、白い光が覆った。


眩いその光は雪の大地を包み……里を覆う。

光に照らされた黒龍たちは、まるで焼き尽くされるかの様に蒸発していく。


消えてゆく……。


その黒い身体が。


余りの眩しさに……私は目を開いてられなかった。


辺りが穏やかになったのは……暫くしてからだ。


吹雪の冷たさといつもの雪の白さが、目の前を包む。


ようやく私の眼はいつもの“光”に、開くことが出来たのだ。


雪の上に響くのは物音。

振り返ると膝をつく白雲村長がいた。


杖を付き苦しそうな呼吸をしながら、雪の上にしゃがみこんでいた。


「白雲村長!」


「来るでない!」


駆け寄ろうとした私に、怒声の様に白雲村長からの声が届く。


「ワシは“禁呪”を使った。この地は“封印”される。近寄るでない。」


白雲村長は力を振り絞る様に、立ち上がった。白い粉の様な光が村長の身体から放たれていた。


「禁呪?」


私が聞いた時には、村長の立つ足元から氷つき始めていた。


雪の大地を氷が張り付く。


「村長!」


村長の足元から氷はその身体を、覆うように張り詰めてゆく。


目の前のその光景は……見た事もないものだった。


「里の者たちは……“封印”される。瑠火……。生きよ。」


白雲村長の優しい微笑みとその声。


それは“最期”だった。


「“離脱カルマ”!」


白雲村長は私に杖を向けてそう叫んだ。


私の身体は白い光に包まれた。


「村長!!」


突風の様なその光に包まれ……私は吹き飛ばされる感覚に、襲われていた。


その中で見えたのは……


村長の身体を氷がまるで……結晶体の様に覆ってしまったと言うこと。


けれどもーー、私の意識はそこで途絶えてしまった。




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