かつての忠臣

 拳が起こす風圧に当たっただけで、まるでハンマーに殴られたような衝撃を受ける。

 今度はギリギリで躱せたけど、また何もない所から突然に現れて襲って来た。

 そう、こいつはさっきも突然現れて、仲間の誰かを殺したやつだ。

 性質なのだろうか? 厄介この上ない。というよりも、こいつがいる限り皆を連れて行くことなんて不可能だ。


 繁殖触手に巻きつけたロープが軽く引かれる。

 今まで引っ張って走る速度で付いて来てくれた。そしてロープにたるみが出た時点で、また張るまで下がったんだ。見えないし大声も出せない中、大変だと思う。


 でも本当に困った。湧いて出る相手に安全な道なんて確保できない。

 だからといって、今更どうするんだよ……いや、違う。嘆いている時間があったら考えるんだ。


 最初に出現した時、誰かがエリクセンさんの体を守ってくれた。

 大事な体だった。だから誰かが身代わりになってくれたんだ。

 名も知らない誰か。全てが終わったら、全員を確認しよう。今でも感謝している。でも改めて感謝するんだ。


 そして目の前にいる筋肉達磨。さっきと比べて動きが鈍い。だから突然の奇襲にも、今度は対処できた。

 あの時に注入した媚薬が、まだ効いているんだ。

 だとしたらまだ成功の可能性は消えていない。こいつだけは倒す。なんとしてでも!


 改めて剣を構える。下段に流しつつ、体を右に寄せる。だけどそれはフェイク。

 重心は左に残してある。エリクセンさんの技だ。


「カエ……セ……」


 ――は?

 その言葉は、今まさに敵を誘ってのカウンター。一撃必殺の技を入れようとしていた僕には予想外の言葉だった。

 人の言葉を受けて、一瞬体が止まってしまう。覚悟の足りなさを反省するけど、幸い向こうも言葉を発した分だけ行動が遅れた。


「カエセ! 我がツルギを!」


 全身が肥大した筋肉。目も鼻も分からないけど、僅かに開いた口だけは分かる。

 そしてそこから放たれた言葉も。

 まるで子供の様に両手を振り回して襲ってくる。

 だけど子供とは違う。威力もそうだけど、体のバランスも。

 肥大化した手は長く大きく、振り回す度に地面を抉り大量の土を飛ばす。凄まじい威圧感だ。


 だけど迫力こそ凄いが、こいつの足はもうほとんど動いていない。媚薬は十分に効いているんだ。

 まあ、ついでにもうちょっと注入しておこう。


 その間にも、僕は余裕をもって左右や後から襲ってくる兵士を触手で払い、巻きつけ、剣で斬り倒す。

 分かってしまえば、こいつらは簡単だ。何と言うか、生きようという意思も殺そうという執念も感じない。命令だけで動いている――動かされているように感じる。

 むしろ人間の兵士だったから、こうはいかなかっただろう。


 きっとベリルと同じように、こっちの世界に執着なんて無いのだろう……目の前の奴を除いてだけどね。


「タノム、ツルギヲ返してクレ。それはワガ、エヴィウデン家のカホウ。侯爵サマへの忠義のアカシ。カテシテくれ」


 言葉を話す筋肉達磨は、相変わらず当たらない攻撃を繰り返しながら語り掛けてくる。

 返すべきだろうか?

 ツルギって言うのはこの剣だろう。その位は僕にも分かる。見ただけで理解できるほどの名剣だ。きっとこいつは、さぞ地位のある人間だったのだろう。

 そしてこいつは神出鬼没。いっそ返してしまった方が後腐れは無さそうに思う。

 確かに素晴らしい剣だけど、みんなの安全に比べれば価値など無いに等しい。


「オネガイ……シマス」


 懇願しながらも、当たらないスローなパンチを繰り出してくる。

 ゆっくりとはいえ、当たれば死ぬけどね。

 でももう媚薬は相当に廻っている。もう危険は無い位だ。だけどあの瞬間移動のカラクリが分からない限り、安心なんて出来ない。


 まあ、僕は盗賊じゃない。彼の家宝の剣であるというのなら、返しても問題は無いだろう。

 だけど――、


 僕は全ての力と技量を駆使し、目の前の筋肉達磨の首を切断した。

 まるで鉄を切ったような感触で腕が痺れる。一回では斬る事なんて出来ず、何度も何度も切りつけた。

 その間も、相手の攻撃は止まらない。そして懇願も。でも僕は止まれない。

 そして何十回かの攻撃が終わり、なんとか出来た。エリクセンさんの技と、この剣のおかげだ。

 落ちた首がドスンと地面に落ちると、体もまた動かなくなった。


 心が痛まない訳じゃない。心情としては、返してあげたかった。

 だけど、それで本当に安全になるの? 剣を返したとしても、こいつが襲ってこない保証なんて万に一つもない。

 それにこの剣を失った後、どうやって残った連中と戦うの?


 今の僕に大切な事は、ここで親切な自分を演じて自己満足に浸る事じゃない。

 例え野盗の真似事をしようとも、今やるべきことはただ一つ!


「邪魔をするものは、如何なるものであろうとも斬る! たとえそれが魔族でも、善良な市民でも、神であってもだ!」


 僕の覚悟は、もうとっくに決まっているんだ。

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