バトルマスター

 ワーズの後ろに付くのは職業名だ。

 オルトミオンと付いていれば、オルトミオン中央学院の教員、もしくは関係者を示す。


 ワーズ・アーケルト伯爵のように、頭にワーズが付いた爵位は親の一つ下。そして地名は治めている領地を示す。

 この場合はセンドルベント侯爵の息子、ボント・ワーズ・アーケルト伯爵の事だね。

 何でそんな面倒くさいかって? 知らなければよそ者って事が分かるからだよ。


 もう一つ、特別な付き方がある。

 ワーズ・バトルマスターがその一つ。それは戦闘教官であったり孤高の戦士だったりと様々だ。

 単なる職業ではなく、国家が認めた英雄に与えられる称号といっていい。

 いわば人知を極めた到達点。それ以上にはなれないし、それ以外に道は無い。そんな人たちだ。

 当然任命は、国家なりそれに準ずるところが行う。

 僕が一生出会う事の無い様な、雲の上の存在。英雄譚の主人公。


「うおおおおりゃあああ!」


 踏み出した衝撃で地面が抉れる。空気の膜を破ったような衝撃を筋肉で弾き飛ばすと、目の前にはもう敵がいた。

 眼前に現れた筋肉ダルマ。だけどそれは、バラバラになって虚空に消えた。

 腹に打ち込んだ一撃。それは衝撃波のように相手の全身に拡散し、全身の肉を引き千切ったのだ。

 その様子は、炸裂したと表現した方が良いかもしれない。


 バラバラになった肉片と内臓、そして血が地面を汚す。でもその時にはもう、2体目の敵を討ち倒していた。

 頭に打ち込んだ左ストレートは、体にめり込んだ顔面を完全に粉砕する。まるで瓶を割るように。


 だけどそいつは死ななかった。両手でその左腕をしっかりと掴む。が――、


「ふんっ!」


 一歩踏み込んだ右足。その衝撃は水の上の様に大地を揺らす。いや、まるで直下型地震だ。目の前の巨体の足が地面から僅かに浮く。

 その刹那、右腕から繰り出したフックとアッパーの中間のような一撃が腹を穿ち、そこから下を完全に吹き飛ばした。

 力なく落ちる化け物の上半身。


 いやいや、英雄? あれ? どっちが化け物なんだっけ?


「うおおおおおおおおおお!」


 ご隠居が吠える。その声は門の向こうでも聞こえたのだろう。微かに皆の騒めきが感じ取れる。

 というか、隠密行動はどうなった。


 いや、分かるよ。もう戦うしか無いって事は。

 だけどこれは完全に予想外だ。

 どう見ても人が対処出来無い様な怪物たちが、まるで藁を入れた麻袋のように千切れ、吹き飛び、大地に真っ赤な中身を撒き散らす。


「よいか、テンタ。お主に戦いの極意を教えよう」


 ――は、はい!


 触手時代はもっとおっとりした感じだったよご隠居。当時は本当に心が隠居していたんだなと改めて感じる。これが本当の姿か。


「敵が向かってくるぞ。そして囲んでいる。さあどうする」


 ――それはもう、初めての戦いの時にエリクセンさんに教わっている。戦いの基本中の基本。常に考え――、


「考えるな!」


 ――はい?


「無駄に考えれば考えるほど、いざという時の対応に遅れが出る。戦いになったら余計な事は考えるな!」


 ――いや、でもそれじゃあ。


 僕の抗議の言葉よりも先に、背後から襲って来た怪物をご隠居は振り向きもせずに裏拳で吹き飛ばす。

 パシンという音と共に、本当に言葉通り一瞬の波紋と共にバラバラに弾け飛んだ。

 いや、でもそれよりも……。


「今、感じただろう?」


 ――う、うん。敵が迫って来た時、筋肉がぴくぴくっと反応した。


「そうだ。余計な事を考える必要は無い。何をすべきかは、常に筋肉が教えてくれる」


 ――ええと……。


 でもその言葉はあながち間違っているとも思えない。そんな予感すら感じされる戦いだった。

 ご隠居はゆったりと構えている。とても一撃必殺の力を持つ怪物たちに囲まれているとは思えない。

 そしてふいに襲い掛かる敵。人に近い姿だけど人とは違う。準備動作なんてほとんど見えない素早い動き。

 だけど次の瞬間には、襲って来た怪物は破裂する様に吹き飛んでいる。僕には何が起きたのか、全く理解できない。だけど分かる、筋肉の反応が。


 奴らが動いた時、体はそれよりも早く反応している。

 そう、ほぼ同時に動いたのであれば、飛び掛かってくる相手よりも殴り始めたこちらの方が早いんだ。

 でも言葉で言うほど簡単な話じゃない。


「これぞ我が拳闘の真髄しんずい。後の先という」


 意味は分からないけど、ちょっとカッコいい響きだ。


「要は、相手の動きに合わせて動くのだ。そのタイミングは筋肉が教えてくれる。鍛え上げた肉とは、武器であり鎧、そして脳なのだ!」


 ――そ、そうだったのか!?


 それは衝撃的な教えだった。エリクセンさんとは真逆。だけど間違っているとも思えない。

 ご隠居は自分から仕掛けるタイプではなかった。周囲を油断なく見渡し、襲って来た怪物を一撃で粉砕する。

 カウンター――それが、ご隠居の極意なのだろう。

 だけど今、それは消えようとしている。


 周囲の魔物はもう全てが粉砕され、破片は生ごみの山のよう。

 その中に立つ隠居の姿が、次第に掠れるように消えていく。


「うむ、満足であった。やはり人生とは、こうでなくてはいかん」


 ――満足なの? たったこれだけの時間なのに?


「それは今更であろう。それに時間は関係ない。大切なのは、お主の人生の中にワシの一部が残ったという事だ」


 ――う、うん。上手く使えるかは分からないけど、絶対に無駄にはしない。約束するよ。


「ふぉふぉ。得た力をどう使うのかなど、お主次第じゃ。お主の行く末を見られないのは少し残念じゃが、未練は無い。まだまだ、多くの者がお主を守っているからな」


 そう言ったご隠居は、触手時代の大人しい雰囲気を全身に纏っていた。

 そして……霧の中に溶け込むように、消えてしまったのだった。

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