歪んだ侯爵家

 怒りに燃えるメアーズ様が目の前に来ているのに、侯爵に焦る様子はない。

 それどころか、実に楽しそうにテーブルの上を指さす。


「私はこれに目が無くてね。それに腕にも自信がある」


 それは銀と黄金で作られた立派なゲーム版だった。

 貴族は勿論、僕ら庶民も嗜んだりする基本的なゲームだ。

 17マス×17マスに、双方38個ずつのコマを使う。互いに一つずつ動かしていくのだけど、左右に配置された2つずつの遊撃駒をどう使うかが――。


 ――グシャリ。


 そんな細かな事を考えている間に、メアーズ様はテーブルの上に飛び乗ると、いつもの鉄板入りブーツで黄金の駒をまとめて踏み潰した。

 ああ、アレ1つで3回は人生をやり直しても遊んで暮らせるだろうなーなんてみみっちい事を考えてしまうけど、どうでも良いね。


「父、ナイワード・サンライフォン男爵の仇。この場にて取らせてもらうわ」


 やっぱり白髭の男性がメアーズ様のお父上か。瞬間火が付いたような反応を見て、絶対にそうだと思ったよ。


「出来るというのかね? 使徒になり損ねた俗物が――」


 その瞬間、マルキン・エイヴァーム・センドルベント侯爵の首から上は飛んでいた。メアーズ様の回し蹴りを側頭部に受けた結果だった。

 いやまあ実は何かの達人とかは思わなかったけど、それにしたってあの余裕、何かあると思ったのだけどね。単に、自分のような偉い人間に手を上げるなど思いもよらなかっただけなのだろうか。足だけど。


「あら、なりたいなどと思ったことはございませんわ」


 いや、そういうセリフは蹴る前に言うんじゃないの? 普通。

 吹き飛んだセンドルベント侯爵の首は、寸分たがわずフードを被っていた男に命中した。

 いや、受け止められていた。


 頸椎が砕け、首も千切れるほどの衝撃を受けた侯爵の顔下半分はグズグズに崩れ、もはや誰かの判別もつかない。

 息子さんが見たら何と思うかと思ったけど、そういえばこいつの息子は使徒としてアルフィナ様と対峙しているのか。

 その辺りの事情も聞いてみたかったけど、メアーズ様の気持ちは分かる。

 止める事も不可能だしね、物理的に。


 首を受け止めた男は侯爵の部下だろう。だから少しは感情的な対応をすると思った。だけど――、


「やれやれ、結局この程度とは……実にあっけない」


 フードの男は、まるでゴミでも捨てる様に侯爵の生首を投げ捨てた。


「そいつが雇い主じゃないのか? 随分と扱いが酷いじゃないか」


「もはやこいつの死体に何の意味もあるまい。センドルベント侯爵家の命運は歪み、断たれた。あの神に呪われた小娘に興味を抱いた――ただそれだけで、長い歴史と権威あるこの家は消えるのだよ」


 呪われた小娘――アルフィナ様の事だ。

 その言葉に僕は怒り、それと同時に少しだけ同情した。なぜなら、このフードの言葉には何とも言えない深い悔恨の念が込められていたからだ。


「それの一体何が気に食わないというのか、傲慢な神め。だからこうなる前に始末すべきだったのだ。しかしこの男は聞き入れなかった。結局我が手勢だけではどうにもならず、結果はこの通りだ」


 あ、やっぱこいつ殺しておこう。あの平穏な暮らしを奪ったのは、そういえばこいつだったよ。


 迷わず額めがけて弓を放つ。それは寸分たがわず命中したが――、


「やれやれ、こんなものではな」


 まるで意に介さず、矢を引き抜くと投げ捨てた。傷口からは一滴の血も出ていない。それどころか虚無。この男に残されているのは外見だけ。皮膚の内側にあるのは、あちらの世界の何かだ。


「メアーズ様!」


「言われるまでもないわ。皆殺しよ!」


 いやそこまでは言ってないけどね。でも結局はそうなるのだろうか。

 メアーズ様はイノシシのように突進し、途中に立ちふさがった一人の兵士を壁に叩きつけ、もう一人の股間を下から蹴り上げた。

 なんかものすごい音がして、蹴られた男が宙を舞う。それが落ちるよりも早くメアーズ様は下を走り抜け、フードの男の首を掴む。

 だけどそれは空っぽの袋のようにグシャリと潰れ、逆に男が抜いた短剣がメアーズ様の胸に突き刺さっていた。


 あまりの事に、声も出せなかった。そんな事、あるはずないと思っていた。心のどこかで、僕はまだ甘く見ていたんだ。


「ミリー!」


「あー、準備は出来ているよ」


 刺されたはずのメアーズ様はそう叫ぶと、掴んでいたフードの男をミリーちゃんのいる方へと放り投げた。

 その勢いで、突き刺さっていた短剣がカシャンと軽い音を立てて石の床に落ちる。僅かに血が付いていたが、先端が潰れている。

 メアーズ様もピンピンしており、怪我の様子は感じられない。


 外套コートの色が濃いので見た目では分からない。ただ香りで確認する限りでは、大した出血はしていないようだ。筋肉で防いだの? 怖!?

 相手はかなりの凄腕だったよ。それはもう、刺した瞬間が分からない程の一撃だった。

 相変わらず、彼女の凄さには驚かされてばかりだ。


 一方、ミリーちゃんの方に投げられた男は――、

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