初めて使う魔法

 姿が変わる。黒い長髪に少し浅黒い逞しい筋肉をしたバステルの姿から、羊のようなワシャワシャとしたショートの白いクセ毛に薄い緑の瞳をした青年に。

 青年と言っても、歳は30近い。急に老けた感じが有る。

 今まで生やしていた触手は、姿を変える時に引っ込めた。今は邪魔だからね。


 身長はさほど変わらない。背は高い方で、180センチに近いだろう。

 だけど筋肉量は目に見えて違う。弓兵だったバステルの上半身は鋼のように太く硬かったが、カーツさんは白くしなやかな肌だ。


 当然だけど、変身した時に服は全部落ちて素っ裸。

 目を白黒させているミリーちゃんや呆然とする兵士二人に比べ、メアーズ様は落ち着いている。まあ以前にも見せているしね。


「相変わらず不便ですわね。服ごと転送ってのは出来ないものなの?」


 それが出来れば苦労はしないよ。取り敢えず、今は申し訳ないけど無視しておこう。


「これからその方に治療呪文を掛けます。少し離れて頂けますか?」


「え、ええ」


 ちょっと焦った感じでミリーちゃんが離れる。焦ったというより警戒した感じかな?

 城壁に登ってからここまで、理解の範疇はんちゅう外の連続だろう。でもそれよりも、同じ魔法使い系として何かを感じ取ったのかもしれない。


 死にかけているシルベさんの近くに立ち、両手を前に伸ばす。

 それと同時に、シルベさんを中心として地面に魔法陣が描かれる。

 青く輝く複雑な魔法陣。頭の中を無数の言語が駆け巡り、体中を何かが巡る。初めての体験に、ただただ驚くばかりだ。

 だけど何より驚いたのは、その魔力量。当然出どころは僕だ。自分の体に、これほどの魔力が秘められていたのには驚きだよ。





 そしてその様子は、ミリーやベリル、出入り口で警戒しているメアーズやラウスも見て驚いていた。

 だけどこちらの驚きはテンタとは違う。


 ミリーは見習い錬金術師とはいえ、きちんと魔法を勉強した専門家だ。それ故に分かる、その難易度が。

 明らかに人外の技。今の自分では、全ての知識をフルに活用しても片鱗一つ分からないだろう。


 そしてほかの三人は、呪文の強力さに驚いた。

 砕けた足が、見る間に修復されていく。太腿にあった深い傷、全身の擦り傷も同様に治っていく。

 更には血色も良くなり、まるで今までの怪我が嘘のように、完璧な状態へと修復された。

 いや、これはもう新しく作り直したと言って良いほどであった。


 皆がその様子に注目する中、カーツさんの体は早くも消え始めていた。力を全て使い切った。そんな気がする。


 ごめんなさい。やっぱり僕には、何一つ分からなかったよ。


 魔力をどのように流したのか。どうやって魔法陣を作ったのか。どんな意味合いが込められていたのか。僕には完全に意味不明。今までの剣技や弓術とも違って、自分がやったという実感がまるでない。

 そして魔法陣を作った後も、細かく様々な魔法を駆使していた。傍目には魔法陣の力で治った様に見えただろうけど、実際にはあれは治療するために作られた環境なんだ。


 ――少し驚いたよ。それだけ分かれば十分だ。


 なんとなく、本能で感じた程度だよ。肝心の呪文は片鱗すら理解できなかった。本当にごめんなさい。


 ――謝る必要なはい。テンタは必要だと思った。そして私もそれに賛成した。色々と尋ねたけど、もうこちらの心も決まっていた。ただそれだけさ。


 でもいつかきっと、今の感覚を思い出します。何ひとつ分からなかったけど、絶対に無駄にはしません。


 ――そう言ってもらえると少し嬉しいよ。これからの活躍に期待している。私以上の治療術士になってくれよ。


 それは……難しいかな。


 素直な気持ちだったけど、絶対に頑張るって意思も込めた。僕らは繋がっている。カーツさんもまた、満足そうに消えていった。


 だけど今回はテンタとしてポトリと落ちるわけにはいかない。

 皆への説明は必須だ。ここまで命を懸けてくれて、これからも協力してもらう。真摯な態度で挑まなければいけない。


 だけどやっぱり、僕はまたここで嘘をつかなくちゃいけない。

 苦しい心を胸に秘めながら、僕はバステルへと姿を変えた。当然、触手は全部引っ込めたけどね。





 最初のやるべきことは、シルベさんの安否の確認だ。


「大丈夫ですか?」


 バステルの体で優しく抱き起し、声をかける。


「……う、ううん……」


 ゆっくりと覚醒を始めるシルベさん。ついでに体調など確認をするが、何一つ問題は無い。というか加齢臭が少し減っている。あの呪文はそんな効果もあるのかな?

 あれだけの重症者をわずか数分で完治させる技。無尽蔵に使えるなら、日常どころか戦争の様相すら一変させるだろう。

 だけどそうはならない。カーツさんが他よりもたなかったのは、あの呪文を使ったからだ。


 最初の体の負担は彼らが持って行ってくれる。ケティアルさんがそうだった。

 だけどもし次に僕が使ったら、いったいどれほどの負担があるのか……。

 ちょっと怖い気もするけど、知るべき事だと思う。そしてそれを知るためにも、必ず覚えるよ、カーツさん。絶対に無駄になんてするものか。


「……こ、ここは?」


 まだ意識がハッキリしていないのだろう。無理もない。


「さっきの場所だ。急いで離れたいが地理が分からない。どこかに落ち着ける場所は無いだろうか?」


 バステルの口調はこんな感じで良かっただろうか? もっと落ち着いて、謙虚で、それでいて強い意志を感じる言葉だった気がする。まだまだ、もっと似せないと。

 それでもまだそれなりに演技が出来るのは、あのひたすらウエーブの練習と無駄話をしていた日々のおかげだと思う。無口な人もいたし僕自身も聞く専門って感じだったけど、おかげでなんとなくしゃべり方を真似るのはなんとなく出来る。


 まあ、それでもやっぱり酷いものだけどね。特にバステルとの会話は少なかったから、殆ど想像でしかない。とてもこの物まねは本人の前では披露できないよ。


「……え、ええ。分かる……分かるわ」


「この霧の中でも?」


「目隠ししてでも……って程ではないけど、地図は完全に頭に入っているわ。方角と距離もね」


 やっぱり只物ではないと思ったよ。彼女をどうしてもここで治癒する必要があった理由その2だ。その1は言うまでもなく、助けたかったからさ。それにアルフィナ様に、彼女の死を報告したくなかったんだ。

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