治療術士

 媚薬を打ち込んだ男が叫びながら痙攣している中、カマキリ男は冷静に間合いを詰めてきていた。


「やってくれるじゃねえか。何者だ」


 自分は何も答えなかったくせに自分勝手なやつだ。

 なんて考えていると、こちらが答える前に一方的に斬り込んできた。


 いかにも歴戦という剣筋と恵まれた体躯。かなりの強者だと思う。

 僕がそれを理解できるのは、エリクセンさんの体に沁みついた戦いの業か、それとも中にいるみんなの経験か。

 とにかく自信があるんだろう。それに戦況も不利だからね。早くかたを付けたかったんだと思う。

 だけどそれは、あまりにも甘い。


 拘束触手の剣で右腿を貫き、怯んだ瞬間に心臓に剣を突き立てる。

 決着は一瞬だった。完全に即死だ。


(あーあ、つまらない。こっちの世界も面白そうだったのに。なんでもう帰らないといけないの?)


 だけど、それは僕に話しかけてきた。正しくは、頭から生えたカマキリが。

 でもどうしても何も無い。殺されたくないからだよ。僕も死にたくないし、みんなにだって死んでほしくない。ただそれだけさ。


(死ぬ? 何それ。生き物って不思議。でも、君は随分と中途半端だね)


 ……その意味を、僕には理解できなかった。

 気が付けば男はもう倒れていて、頭のカマキリも消えていた。

 ふと思ったけど、あれ触手で触れば消せたんじゃないだろうか?

 まあ、消したって何の意味もなかったろうけどね。というか、あいつのせいで弱くなっていた可能性もある。

 なにせ、防御無視でいきなり突っ込んできたのはちょっと不自然だったからね。死ぬって事を理解していない様だったし。

 だけどそれよりも――、


「シルベさんの様子は?」


 介抱しているミリーちゃんに尋ねるが、その姿を見ただけで心臓を掴まれたような寒気を感じる。

 首を横に振った彼女の瞳は、絶望に染まっていた。


 まだ心音を感じる。でも出血がひどい。ミリーちゃんも薬を使ってくれたようだけど、それでも足りないのだろう。

 右足の膝は完全に粉砕され、もう一生歩く事なんて出来ないだろう。

 というより、こちらは切れていない分だけ内出血がひどい。もう膝の上下は真っ黒で、早くも腐臭が漂い始めている。壊死が始まっているんだ。これは切断しないと命に関わる。


 でも体中傷だらけで、体力もない。切断なんてしたら、それが致命傷になってしまうだろう。

 それになにより、心と体から、もう生きようとする力を感じない。


 ――このままでは死ぬね。

 ――死ぬよ、死ぬよ。

 ――でも仕方ないよ。人間はいつか死ぬんだ。彼女はたまたま今日だったって話だよ。


 どうにもならないんだろうか?


 ――どうして?

 ――すぐに忘れるよ。そう……10年や20年。もっと時間が経てば、全部思い出になるんだ。

 ――そうやって流れていくのさ。


 アルフィナ様も?


 ――そうだね、彼女は少し違う。

 ――だけど同じさ。少し長いか遅いか……それとも別の存在になるか。

 ――どちらにしろ、君とは違う。


 僕は……僕の一生をアルフィナ様に捧げると誓った。


 ――そうだね。

 ――自分で決めたんだ。最後まで突っ走れよ。


 その為にも、今シルベさんが必要だ。

 この霧の中。知らない町。やみくもに動き回ったって、何も得られやしない。


 ――でももう、口もきけないよ。

 ――彼女は死ぬんだ。


 だめだ、助けるんだよ! 何としてでも! 何かないのか、僕に出来る事が。

 誰か出来ないの? もし手段があるのなら、お願いします。


 ――魔法を使おう。


 え?


 ――無駄だよ。そりゃ使えるよ、お前はな。

 ――だけど言っていたじゃないか。テンタが魔法を覚え始めて、ある程度使えるようになってからじゃなきゃダメだって。

 ――今使っても、テンタは忘れてしまう。何も覚えられない。ただの一回、それで消える。それでいいのか? ここでいいのか?


 ――助けたいんだろ? 助けたいんだね、テンタ。


 君は……もしかしてカーツ? カーツ・フェイドルさん?


 ――久しぶりだね、テンタ。あれから随分と成長したね。


 い、いやいや、僕はまだまだですよ。


 思わず敬語になってしまう。声は凄く若いんだけど、何と言うか知識が凄かった人だ。

 学者さん? とか思ったけど、素性に関しては教えてくれなかった。やっぱり人それぞれ事情があるってことだね。


 ちなみに豚野郎オークの口の中にジャバジャバ白いのを吐き出している最中に、斧を持った戦士に斬られた人でもある。ちょっと間抜けだったな—。


 ――本能には逆らえなくてね、面目ない。


 そういえば考えは筒抜けでした。申し訳ありません。


 ――いや、それは良いんだ。今私が君とこうして話せるのは、ここも現実と神の世界との境界が曖昧なためだよ。このまま普通の世界に戻れば、また私は心の奥へと消える。いずれ君が、私の技術を引き継げる日を願ってね。


 うん、それは分かる。それに全員と会話できないのは、何かまだ意味があるのだと思う。

 まだ神の世界とやらより、現実の方が強いのかな?

 でもそれよりも――、


 ――分かっているよ、テンタ。彼女を助けたいんだろう?


 出来るの?


 ――出来るよ。私は治療術士。傷を癒すのは専門分野だからね。

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