胎内回帰
「私の父はベルトウッド・コンブライン男爵ただ一人。不敬な呼び名は止めて頂きたい」
どう見ても怪物である男の言葉を受けても、アルフィナは全く怯まなかった。
だがその様子を見た怪物は、実に楽しそうだった。
「さすがは姫殿下。その胆力、その高貴さ。そこらの人間ごときとは、もはや次元が違いますな。それでこそ、我が花嫁にふさわしいというもの」
「あたしは思ったよ。こいつはいったい何を言っているんだと――」
「いいから続けなさいって」
ミリーちゃんの話は度々脱線する。いいから早く肝心な事を話してください。
「なあに簡単な事です。ここに――」
その怪物は、アルフィナ様に話し掛けながら、アステオの
ほぼ天井まで、およそ10メートルの金属螺旋は石畳に倒れ込み、大きな反響音が奏でられた。
そして二人は見た。祭壇に用意された拘束具を。四肢を固定するベルトのようなものだ。
ご丁寧に、わざわざ作ったのだろう。
「ここで貴方の子宮を取り出し、このわたくし、ボント・ワーズ・アーケルト伯爵がその中に入ります。ああ、ご心配なく。貴方はその程度の事で死にはしませんからな」
「ボント・ワーズ・アーケルト伯爵……マルキン・エイヴァーム・センドルベント侯爵の息子だね」
「さすがにその程度の事、知っているわよ」
「そして貴方の力を吸収し、我が胎内に宿るルコンエイヴがこの世に再誕する。実に光栄! 実に痛快! ああ、人間達は、新たなる神を何と呼ぶのでしょう。楽しみです! 楽しみでなりません!」
「胎内回帰だってさ。まあ子宮を引きずり出して回帰も何もないけどさ。でもちょっとだけ朗報だよ。胎内回帰を狙うのは使徒の中でも最低ランクと記録にあるよ」
「その情報、信憑性はあるのかしら?」
「オルトミオン中央学院の創設者にして七賢人の一人、レルゲン・ワーズ・オルトミオンの著書にあったからね。信用は出来るんじゃないかな」
「そちらにせよ、その最低ランクにすら人は敵わないのですけどね。それよりルコンエイヴっていうのは神の名前? 聞いた事が無いのだけど」
「何と呼ぶか楽しみとか言っているし、大昔に消えて忘れられた神か、まだこの世に降臨した事が無いか……まあ、今の名前には意味は無いんだろうね。残念ながらそっちは全く不明。期待には応えられないかな。」
「供物はそこの娘で良いでしょう。魔術師にしては魔力の殆ど無い……フハハ、なんともみじめな役立たず。しかしこうして生まれてきた価値が与えられたことを幸運に思いなさい」
「別の意味で応えられそうよ」
「アルフィナ様も言うねぇ……というか、錬金術師にそんな魔力はいらないよ。あれはそんな程度の事も知らない奴だね。どうやら低級ってところは的中だ。メモしておかないと」
そんな事を話している間に、怪物――いや、ルコンエイヴの使途が近づいてくる。
しかしアルフィナは怯えるどころか、堂々とした態度を崩さない。それどころか――、
「私を花嫁と呼んだり教会に連れてきたり……結婚式でも執り行うつもりなのかしら?」
「勿論その通り。ここがあなたと私の結婚式の会場です」
「その割に、私の家族は招待されていないようですが? このような格式の無い結婚式を私が受けるとでも?」
「ああ、そうでございましたな。先ずはお母上、かの吾人はそこにおられますぞ」
そう言って怪物は二人の後ろを指さす。
それを受けアルフィナは急いで振り向き、ミリーは頭を抱えた。
アルフィナの向いた先。そこには彼女の母、マーリア・コンブラインが微笑みながら座っていた。
生前そのままの様子で、優しい微笑みを浮かべ……。
アルフィナの左目から涙がはらはらと落ちる。
しかしそれは、懐かしの母と再会できたからではない。母が死んだことは、幼いアルフィナにも十分理解出来ていた。それがどういう事かも。
これは、最愛の母を愚弄された怒りの涙だ。既に感情の制御が難しくなっている事はミリーにも明白だった。
メガネのフレームが歪み、レンズにピシリとヒビが入る。
同時に頬が切れ、体がぐらりと崩れそうになる。見た目ではまっすぐ立っているはずだ。だが、もう歪み始めている。世界の全てが。
「……それで、父は何処にいるのです? まさか母親だけで成立すると思っているのかしら?」
この使徒は、確かにミリーの言う様に低級だ。胎内回帰といい、それなりに儀式が必要なのだと理解した。
ならば私の家族。それも権威を持つ父親の同伴は必須事項に違いない。
「それはなかなかに難しい。さすがは貴方のお父上。老いたりとはいえ純血は違う。しかし……形式上、貴方の父親はベルトウッド・コンブライン男爵でも問題ないはず。これは僥倖。あの男は今、アジオスの町にいます。すぐに連れてまいりましょう」
そう言うと、使徒は手を鳴らすと左右から二人の兵士が立ち上がる。
「連れてこい。生きている必要は無い」
その言葉と共に、立ち上がった二人の兵士の首が、腕が、足が、胴が、ミチミチと捻じれ、大量の血と共に弾け飛ぶ。
「御免ね、ミリー。もう限界よ」
いつの間にか、右目の眼帯は弾け飛んでいた。そこから渦を描くように、黒い羽毛の塊が宙を舞う。そして左目から流れる涙もまた、落ちながら同じ様に渦を描く。
視界が回る。捻じれる。歪む。ミリーはもう、自分ではどうにもならない事を理解した。
「最後にお願い。お父様だけは助け出して欲しいの。王の子だから……妹の子だから……そんな理由でこの呪われた怪物を育ててくれた、優しく忠義に溢れた方。これは娘として最後のご奉公。あの使徒だけは、ここで必ず滅ぼすわ。そして私も――」
教会の扉が開き、地面は水平なのにミリーの体は坂道を転がる様に放り出された。
しかしそんな状況でも監察を忘れないのは、職業柄というものか。
外に放り出されると同時に扉が閉まる。同時にミリーは走り出した。教会から離れる様に。
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