メアーズの故郷

 この日は火の番をしながら夜明けを待ったけど、結局霧は晴れなかった。

 段々と明るくはなって来るけど、それは朝の明るさじゃない。微かに世界が白く見える。

 今眠くならないのは幸いだった。こんな所で寝てしまったら……考えただけで怖いよ。


「ラマッセ……今まで起きていてくれたの?」


 メアーズ様も起きだした。焚火の光は淡く、ぼんやりとだけど見えている。

 ってヤバいよピンチ! 僕は今、全裸なんですけど!


「火の番をしておきました。テンタもここにいますよ」


「そう……いいわ、朝食を済ませたら出発いたしましょう。ここはどの辺りかしら?」


「アレクトロスから12キロほど進みました。まだ先ですね。この状態でも私は馬車を扱えますが……」


「気が滅入るわね……」


 もう夜明けから結構立っている。なのに微かに明るいだけだ。ここはまだ闇の中と言ってもいい。

 これ以上明るくなるとも思い難いし、寒さも更にきつくなってくる。

 それでもいかなければいけないんだ。


「とにかく出発しましょう。先が分からなければ、どうしようもありませんもの」


 そう言って、掛けてあった布を投げてよこす。

 あ、霧でシルエットくらいしか見えなかったはずだけど、やっぱりわかっていたか。





 ◆     〇     ◆





 霧に包まれた街道を東へと進む。この先は4つの街道の合流地点、交易の町パケソだ。

 東へそのまま進めば農耕の町マユオ、そこを抜ければ目的地のケイラムートへと進む。

 でも僕はふと考えていた。北へ進めばコップランドの町がある。僕が住んでいたレーヴォ村は、そこからずっと山へと登った処にあるんだ。いわば、故郷に一番近い町だね。


 改めて考えると、当時の僕はその町へ行きたかったんだよね。

 そこで今とは違う生活をして、今とは違う人生を歩んで、村で暮らしていた時よりも、ずっといい生活をしたいなんて思っていたんだ。

 だけど今ならよく判る。住むところが変わったからって、僕は僕、何も変わりはしない。

 何も知らない僕。何も出来ない僕……もし町に行ったとしても、1週間もしないうちに村へと帰っていただろう。

 結局僕は僕でしかなかったという、現実だけを手土産に……。


「パケソを南へ進むとね、メイボローって港町があるのよ」


 そんな僕の感傷などお構いなしに、メアーズ様がぼそりと呟いた。

 ここではない遠くを見るような、物憂げな視線。大人の腕ほどもある大きな塩漬けマスをもりもりと食べていなければ、ちょっと儚げに見えたかもしれない。

 夜にもちょっと思ったけど、よく見れば結構美少女なんだ。

 僕のイメージだと、怪力、大食い、大酒飲みってイメージが付いちゃっているけどね。


「そこが、わたくし達サンライフォン男爵家の領地でしたの」


 そうか。男爵領は、いわば王家の直轄地という風潮が強い。特に、騎士を貴族としていない僕らの国ではそうだ。

 それが侯爵家の配下になっている事に疑問はあったけど……そうか、領地が侯爵領の中にあったのか。


 普通に考えれば、そんな事は滅多にない。でも港町と聞いて少し納得した。

 交易の町パケソと繋がっているんだ。一つの領地として完結するくらいの規模と経済力があったのだろう。


 だけどそこは、今は失われている。南方から魔物が侵攻を開始したからだ。

 それは多分だけど、ラマッセの記憶から考えればヴァッサノの眷属。目的は……。


「アルフィナの右目の事……貴方はいつから知っていたのかしら?」


 今更な話だけど、間違いなくメアーズ様も知っていた。

 国を揺るがすくらいの大問題だとは僕でも分かる。貴族なら全員知っている? それは無いだろう。

 まだ結論を出せるほどの知識は僕には無い。だけどもしかしたら、メアーズ様も何処かアルフィナ様に近い人間なのだろうかと思う。


「それは少々複雑な話になりますので、またの機会にきちんとお話しましょう」


「なら……それまで決して死んではなりませんよ」


 ちょっと大人びた、高貴さを感じる穏やかな微笑に少し驚いた。いやダメだよ、僕にはアルフィナ様が……なんて、どっちもそんな関係ではないよね。身分どころか、もう種族だって違うんだし。



 今回の問題――内乱と言っても良い。あれはアルフィナ様をセンドルベント侯爵が求めたとこが原因だ。

 アルフィナ様はまだ11歳。すぐに何かするとは思い難いけど、それでも確実な事なんて誰にも分かりはしない。


 確か確かセンドルベント侯爵には息子がいた。名前はボントだったかな? 一応、僕らの領主様だったから覚えているよ。

 死んだり廃嫡されたりしていなければ、今頃はアーケルト伯爵の地位になっていると思う。世襲制だからね。


 おおよその予測だと、そのボント・ワーズ・アーケルト伯爵の妻にすると発表するのだろう。大勢の人が見る中、あの白金プラチナの髪を見せて。

 それは王家の血筋を手に入れたことを意味する。

 もう動き始めたんだ。根回しは済んでいると考えていい。これで侯爵家の権勢は回復する……ん? 何かおかしいけど今は忘れよう。


 かくまっていたコンブライン男爵家にとっては相当な失態だ。失脚だってあり得る。

 だけど王様だって悪い。こんな事になるのなら、ちゃんと公表して自分の手元に置いておくべきだったんだ。


 だけど、あの新しいお屋敷での兵士達の会話や態度。彼女は存在するだけで人を引き付けてしまう。

 アルフィナ様は、本来ならもっとそっとしておかなければいけない存在だったんだと思う。可能な限り人のいない辺境の地に。

 そしてその理由は言うまでもない……あの右目だ。

 アルフィナ様の右目に巣食う存在。歪む英知と虚空の神ヴァッサノの一部。この異変の原因。


 ……いやまて、もしかしたら――ではなくて確実に、南方から来た魔物はアルフィナ様絡みだよね。

 でもそうすると、メアーズ様の心中はどうなんだろう?


 もしアルフィナ様がいなかったら、今でもサンライフォン男爵家は無事だったんじゃないかな?

 もちろん今起きていることはアルフィナ様のせいじゃない。だけど、そんなに素直に割り切れるものだろうか? 相手は11歳の女の子だよ。


 恐る恐る見るけど、その表情から心情は分からない。ただ何か、違和感があった。

 霧のせいで肉眼では見えない。いつもの反響定位エコーロケーションに加え、匂いや味、温度といった感覚器官が頼りだ。

 その温度センサーが探知する。メアーズ様の口から出ている息。霧に交じり、見た目では分からないけど白い。後ろの二人も同様だ。気温が急激に低下している。

 これは……このままじゃマズい!

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