馬車の点検
霧で視界がないとはいえ、止まってしまえば馬に怯えは無い。こいつらは単純で良いなー。
ただ体が馬車に固定されているから、勝手に間食できないのが相当なストレスになっていそうだ。
当面は水と食料を樽で与えるとして、どこかで拘束を解いて一度休ませたいところだ。
というより、2頭は開放して2頭立てにしてしまった方が良いような気がする。
それほどの重量を運ぶわけでもないし、馬車も小型のものだ。長期間安定した速度を出す為に4頭立てにしてくれたのだろうけど、僕の技量とこの状況では手に余る。
後ろに回って車輪や車軸を確認するけど、こちらは幸いな事に問題はない。まだまだいけそうだ。
触手で無理矢理止めてしまった時はどうかと思ったけど、何事もなくてセーフ。
ここが壊れたら万事休す、それこそ一巻の終わりだからね。
ただ背後の扉に突き刺さった幾つもの鉤爪。あの時、闇からハイラ―さんを連れ去った怪物の物だ。
扉を閉めてあったらと悔やまれるけど、これはどうしようもない。
時間は戻らないし、多分僕が触手で閉めたって、逆に怪しんで彼らが開けてしまっただろう。
「馬にも馬車にも問題はありません。もう少し走ったら本格的に休憩をしましょう」
「夜の内にパケソにつくのかしら?」
日が完全に暮れる前に食事して少し休憩して脱出して……まだ深夜には達していない。
隣のパケソまでは南東に20キロメートル程。特に起伏の無い平坦な道だ。
この状況でも僕なら走らせられる。安全の為に多少速度を落としたとしても、夜が明けるまでには余裕で到着すると思われる。
とはいえ――、
「状況が状況ですから、一度何処かで休んで、夜が明けてから出発しましょう。町の状況を見れば僕らを追ってくる者もいないでしょうが、少しは離れた方が良いと思います」
「そうですわね。ここはお任せしますわ。それはさておき、テンタはどこですの?」
――忘れてた!
慌てて右手の中にテンタを作る。
「大丈夫、今は私が持っています」
「頂戴」
そういって手を伸ばすけどそれはダメだ。いやテンタを伸ばして渡す事は出来るよ。でもメアーズ様がいつものように懐に入れたらどうするよ。
30センチだった僕が長い触手になっていたら大騒ぎだ。しかも
だけどヘタに事を荒立てたくもない。御者席に座り、先っぽだけを握らせる。
「テンタは少し暖かいですわね」
癖のある朱色の髪が水分を含み、少し疲れた愁いを帯びた瞳で僕を自分に近づける。
11歳とは思えないドキッとする様な色気を感じてしまう。
確かにこの霧のせいだろうか、夏とは思えないほどの冷え込みだ。迷わず僕を懐に入れようとするけれども――、
「い、いや、すみません。これを持っていないと私もこの霧の中で走れないので」
そういってテンタを取り返す。まあ取り返すというより最初から渡してはいないんだけどね。
それでも手を離さなかったので、バランスを崩したメアーズ様が僕にしがみついて来た。
「きゃっ!」
普段は出さないような可愛い声。細い腕、小さな体。暖かな温もりと甘い香り。
薄い夏着のメアーズ様と、上半身裸の僕。
今はある心臓がドキドキと高鳴る。触手の時と違って、人間として触れ合うとまた違った感情が湧いて来る。
だけどそれが何なのか、僕は深く考える事を止めた。当の本人のメアーズ様が、僕にしがみ付いたままさっさと寝てしまったからだ。見た目よりも遥かに疲労はきつい様だ。
後ろの二人も、このわずかな停車中に寝息を立てている。
まあ仕方がない。とりあえず10キロくらい走ってから本格的な休憩をするとしよう。
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