アルフィナたちの行程

 アルフィナとミリーがカレッサの町を出発し、ランザノッサの町に到着したのは同じ8月11日の事であった。

 夏の太陽は眩しく、熱気が町全体を包んでいた。


「全く……もう少し涼しくなってからでも良かったのに」


「まあここまで粘っただけでも頑張った方でしょう。結局……テンタは起きなかったけどね。本当に連れて来なくて良かったの?」


「どうかしらね。でも森のお屋敷が襲撃されて以来、テンタはよく動くようになったわ。物凄く周囲を警戒するようになったの。よほど恐ろしかったのね」


 少し自嘲気味なアルフィナの言葉に、あの小動物に対する申し訳なさが伝わってくる。


「でももう歳なのかしら……最近は全く動かなくなってしまったわ」


「でも死んではいないんでしょ?」


 と言いつつも、ミリーはどんな返事が来るかを知っている。


「前にも言ったでしょ。あのまま死んでしまうのを見るのが怖いの。冷たい様だけど、看取りたくないのよ」


「まあね……」


 実際、この辺りの事は何回か話し合った。だけどどちらが良いかなんて結論は出ない。

 結局、連絡が無い限りテンタは生きている。そう思う事になった。というより、そう思う事で出立する勇気を得たのだ。

 後の事は、きっとメアーズがやってくれるだろう。


「さようなら、テンタ」


 ランザノッサに入る前に、アルフィナはもう見えないカレッサの町へと呟いた。





 ◆    〇     ◆





 そこからまた支度だ何の、父の安否がどうのと理由をつけ、境の街アレクトロスへと入ったのが8月17日の事。

 アレクトロスに来るまでにサンライフォン男爵軍を見かけたが、さすがに町の中は全て侯爵軍だ。

 入った早々の広場には、既に豪華な馬車と40人を超える兵士、それに10数頭の軍馬が用意されていた。


(用意の良い事で……)


(待ちくたびれたって感じだね。暑い中ご苦労な事で)


 こそこそ話し合う二人の前に、長身の男が進み出た。

 状況的に、今回の責任者だろうか。


「ようこそおいでくださいました。この暑さにその恰好は堪えるでしょう。馬車を用意いたしましたので、そちらでおくつろぎなさるのがよろしかろう」


 待ち構えていた男は、センドルベント侯爵子飼いの武将の中でも特に有名な男だった。


 多少痩せ型だが身長は190センチを超え、僅かに赤の入った茶色い髪に豹のように鋭い瞳。

 だがその一方で、38歳とは思わせぬほどに若い顔つきが少々アンバランスだ。


 単な武勇に優れるだけでなく、渉外もまた一流。策謀にも長け、センドルベント侯爵配下の中で最も騎士に近いとされている人物。名をケルネット・エヴィウデンといった。

 そして馬車を用意してあるという事は、ここから先は有無を言わさず進ませるという事でもあった。


 実際、金属鎧に夏用とはいえマントで蒸し暑そうなケルネットもそうだが、熱そうな衣装ならアルフィナも負けてはいない。

 頭をすっぽり覆うコートは髪を隠すためのいつもの外出着だが、下に着ているのは踝丈くるぶしたけの黒いロングブラウス。その内側は革のコルセットに同じく革のブルマ。

 彼らの目的が分かっているだけに、子供ながらにささやかな抵抗をしているのだ。


 一方で、ミリーはそれよりも遥かに軽装だった。

 肩まで空いたノースリーブのシャツは途中からお腹の出る位置で縛ってあり、下は薄手の綿のミニスカート。それに大量のポーチが付いた金属ベルトにいつもの丸眼鏡。ついでに薄紫のスカーフ――魔術師の鑑札といった井出達だ。


 上はぺったん、くびれも浅くお尻も小さい。とても男を誘惑するには足りなすぎるが、それでもアルフィナへの好奇の視線を減らせるのであればやる価値はある。

 巻き込まれて死ぬのだけは御免なのだから。


 用意された馬車は6頭立ての大型馬車。一見すると木製だが、その点は貴族専用。フレームは金属で、所々に鉄板が入っている。

 色は濃い赤で塗装され、8本首のヒドラの様な木と、同じく8本の蛇に見える根の紋章が入っている。言うまでもなくセンドルベント侯爵家の紋章だ。


「見るだけで暑苦しくなるわね」


「まあメンツってやつでしょ」


 ちなみに今まで二人が乗ってきた馬車はロバ一頭立てでほぼ荷馬車。一応雨避けの幌をつけただけの始末な物だった。

 それだけにギャップが凄い。


「さあ、侯爵様たちがお待ちです。お急ぎください。護衛は我らが致します故、道中はごゆるりとお過ごしくだされ」


 ゆっくりさせる気など無いのは明白だが、今更の抵抗は全て無駄。さっさと馬車に乗りこむと、護衛の兵士達が騎乗を始める。

 騎乗した兵士は16人。あれが護衛という訳だろう。


 残りはこの町に残る守備隊。そして遠巻きに眺めている野次馬の市民たち。

 多くは二人の――いや、アルフィナの素性を知らない。正しくは、その身に巣食う危険さを。

 色欲、情欲、そういったものに強く反応するが、ただの興味でさえにもそれは反応する。

 そう、神に向けた感情は、いかなるものであっても神の興味を惹いてしまうのだ。


「あの物々しい警備、何処かのお偉いさんなのか?」

「どっかのご令嬢って聞いたぞ」

「さっきフードから少しだけ前髪が見えたんだが、ありゃ白金プラチナの髪かもしれえねぇ」

「そんなわけあるはずないだろ」

「おとうさん、あの人が行くと戦いが無くなるの?」

「そうだよ、ランザノッサの町へ行った人たちも、しばらくすれば戻って来るだろう」

「ふふ、ちょっと大変だけど、食材を用意しておかないとね」


 一行が出立すると、野次馬たちもワイワイ言いながら解散する。その中には、金木亭の亭主であるケイルバートやその家族もいた。

 そんなのどかな町に、微かに霧の気配が漂い始める。だがそれは、まだ僅かな涼しさを纏った風に過ぎないものであった。

 それに合わせるかのように、目には見えない何かが建物の影から這い出して来る。それは蟲のようであったり、あるいは植物の様であったりと様々だ。

 ほんの少しずつだが、この町は歪み始めていた。

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