目の回る慌ただしさ

 早朝にランザノッサの町を出発してから、まだここまで1時間どころか30分もかかっていない。

 だけどあまりの忙しさで目が回りそうだ。まあ僕に目は無いけれど。


 グレイスさんの指示を受けた兵士がテントを開けると、既にそこには体調不良の兵士達が何人も並んでいた。

 どうも最初の段階で話は流れていたらしい。考えてみれば当然か。こんな布テント、秘匿性もあったものじゃない。


 その人たちを見て「うわっ」と思う間もなく、メアーズ様が僕を握る手にぎゅっと力を入れる。マズい、逃げられない!


「これで何をするのだったかしら?」


「負傷者の尻に入れるんじゃねえか? 形的に」


 ――どういう形だよ!

 というか今変な事を言った兵士、何かあっても治してやらないからな!


 なんて冗談はさておき、メアーズ様は少しだけ思案すると、傷病兵に僕を握らせた。

 うわ、男だよ……嫌だなぁ。というより、握られたって困るんだけどね。

 でもちょっと暴れると、弱っているのかすぐに手を放してくれた。


 目標は体中にくっついている目では見えない生き者たち。蜘蛛やムカデ、角のあるダンゴムシ、翅が沢山ある芋虫みたいのから植物――それこそ茸な様なものまで盛りだくさん。

 同じものは少ない。蟲と総称される生き物たちだ。


 さっさとそこへ行き、ペシペシと叩く。多分逃げるのだろうと思ったけど、そうではない。ラマッセが握った時と同じように、オレンジの粉となって消える。

 同時に周りがざわめき歓声が上がる。やっぱり粉は見えている様だ。


 一匹始末すると、他の蟲もよほど大きくない限り即座に離れて行く。これは簡単だ。一人を何とかするのに2~3分程度だろう。

 終わったら合図をするように離れて頭を振る。それで十分理解したのだろう、メアーズ様は僕を掴むと、次の人の元へと移動させた。


 そこにいたのはまた男。屈強な、いかにも歴戦といった傷だらけの戦士。

 その次に控えるのは丸々と太った男。次は長い髭のじいさん、その次は片目の戦士。

 た、助けて……。


 でも干からびる寸前、若い女性の番となった。兵士ではないな、看護婦だろうか?

 だけど身分や職業なんてどうでも良い! ひゃっほう! 女の子だー!

 飛びつくように服の中に潜り込むと、存分にその肌を堪能する。

 干からびていた体が潤っていくのが判る。バンザーイ!


「おい、なんか急に元気になってないか?」

「そりゃ男より女の方が良いだろう。家で飼っている犬だってそうだぞ。俺には全然懐かなくてなぁ……」

「違いねえ」


 さっきまで死にかけていた人たちもワイワイと騒ぎながら見物に駆けつけている。

 娯楽なんて少ないし、寝たきりだったろうしね。気持ちは分かるよ。


「う……ううん……」


 だけど女性の胸元がはだけ白い肌が露になると、全員メアーズ様に追い出されてしまった。お気の毒に。


「テンタもいつまで張り付いているんですの?」


 お怒りの表情で仁王立ちのメアーズ様。角が生えているように錯覚する。

 これはマズい。邪な感情があるように思われたら危険だ。

 一応終わってはいるので、メアーズ様の元へ行ってあざとく首を傾げる。

 このポーズにどれほどの意味があるのか分からないけど、僕はまた屈強な兵士達のベッドに放り込まれたのであった。





 〇     △     □





 ――し、死ぬ。もう死んでしまう。

 男、男、漢、それに男に漢に男でようやく女性。だけどおばさん。そして再び男の群れという感じで、ほぼほぼ男の皮膚の上を移動した。

 男に触っている事がこれほど大変だとは思わなかった。

 だけどその甲斐はあった。夕方には、4頭立ての高速馬車が用意されたんだ。


 乗り込むのはメアーズ様に御者、それに馬車とは別に、騎乗した2人の兵士が支度を済ませていた。

 馬車に荷物を置くスペースはほとんどなく、完全に移動用。

 単純な伝令であれば早馬が使われるけど、高貴な方の高速移動や替えの利かない大切な荷物などの場合はこういった馬車が使われる。


「このまま境の町アレクトロスと、その先にあるパケソまで一気に向かう。さすがに夜はそこで一泊だ。その間に、マユオとケイムラートへの入場手続きを済ませる事になる」


「マユオはともかく、ケイムラートはやっぱり厳しいんですの?」


「今の実質的な首都といって良いだろうな。センドルベント侯爵も、今はここに入っているはずだ」


「城塞の町ケイムラート……まあ、事を構えるなら当然ですわね」


 城塞の町ケイムラート。僕が知る限り、侯爵領では最大規模の城塞都市だ。

 人口は1万数千人。周囲を高い城壁に囲まれていて、その外見は完全に要塞の様な街だという。

 かつてこの国が分裂していた頃は敵対していて、数万の軍勢で何か月も包囲してようやく落としたそうだ。


 そんな街だから、用途は当然のように練兵や兵器の生産。人口の多くは近隣の街から集められた兵士で、それ以外は商人や兵士のために働く人たちばかり。

 農民もほとんどいなくて、町というより本当に要塞って話だよ。


 ちなみに今夜泊まるパケソから細い山道を北へ進むと、コップランドって町がある。

 そこはかつて、僕がいこうとしていた町。そしてそこから閑散とした山道を進むと、その先に僕が住んでいたレーヴォ村があるんだ。

 まあ、今は関係ないけどね……。


「では、もう出発いたしますわ。兄上もご健勝で」


「こちらはもう戦闘も無いだろう。それよりそちらが心配だ。何せ侯爵の思惑がまるで見えん。彼女の件、分かっていたはずだろうに。とにかく気を付けていけよ」


 メアーズ様は特に返事をする事もなく、手を振りながら馬車へと乗り込んだ。

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