病室
中は8つのベッドが設置された大きなテント。天幕は勿論だけど、左右も布で綴じられている。床には木を張って、その上からも布が敷かれている。
僕らが集団で鹿狩りをするときに使うような屋根だけのテントじゃない。本格的な、簡易住居とも言って良い規模と質だ。
そのベッドは全部埋まっている。でも戦傷じゃない。彼らは戦ってはいない。この町を見張っていただけだ。
アルフィナ様が手に入り、町を陥とす必要がなくなったからだ……そんな風に考えた。
だけど何の事は無い、戦えないんだ。多分、今まで僕等がいたランザノッサの町の兵も。
でも相手が必ず戦えないとは限らない。だからあの町の司令官は、とにかく情勢を静かに見守っていて欲しいと願っていたわけだ。
改めて周りを見渡すと、そこら中をウニの様な、ダニの様な、クラゲの様な、ムカデの様な……様々な透明な生き物が飛んでいる。
それらは先程から人間に近づいては離れて行く。元気な人を避けている感じだ。
だけどベッドの上の人たちは違う。まるで体と融合するように、そして根を張るように張り付いている。それも何匹も。
でも血が出ているわけではない。人の目にも映らない。
誰一人として状況を理解していないのは明白だった。
メアーズ様は、そんなベッドの一つへと迷わず歩いてゆく。
横に張っていたが、向こうも気付いたのか半身を起こす。
メアーズ様と同じく……いや、ちょっと赤が濃いクセの強い髪。15センチくらいだろうか。ちょっと長めな感じはするが、強いクセと色のせいで炎のように感じる。
歳は20歳くらい? もうちょっと上かもしれない。
上半身は裸で、盛り上がった筋肉はかなりの量だ。だけど僕らの様な野良仕事で付いた肉じゃない感じだ。それに全体的に浅黒い。
「よお……来るとは思わなかったのだがな」
「わたくしもそのつもりでしたわ、お兄様。でも少し事情が変わりましたのよ」
「事情? 何があったのかは知らんが、ここで引き返せ。ここから先はもっとひどい。あの馬鹿侯爵め、とんでもないものを引き入れたもんだぜ」
その言葉に何かを言いそうになったメアーズ様だったが、それより先に彼女の兄が苦しみだした。
慌てて控えていた看護婦が寝かせ、水差しを口に差す。
呼吸は荒くなり、相当量の汗をかいている。右手で胸元を抑えているが、それは本能なのだろうか? そこには大きなダンゴムシの様な生き物が、丸くなって融合している。
だけど触れない。それはまるで幻のように手がすり抜けている。
「アルフィナに届け物が出来ましたの」
そう言って、懐から僕を取り出す。
「……なんだそれは? 生き物なのか?」
「何かは不明ですわ。ですが、事態を収拾するカギになるらしいですわよ」
流石に眉唾が過ぎると考えたのか、僕らをここまで案内した兵士が手を挙げて発言する。
「申し訳ありませんが、我らは反対です。サンライフォン男爵閣下も、そして騎士グレイス様も、貴方が安全圏にいるからこうして前線に出られるのです。
「騎士は……やめろ。もう土地を持たぬ身だ……」
「……そんなもの、必ずや取り戻しますわ!」
メアーズ様の両手が痛いほどに握られる。いや痛い、本気で痛い! 僕を握ったままなんですけど! 貴方自分の怪力を忘れていませんか!?
本当に潰れて……というより破裂しそうなほどに痛かったけど、力が緩んだ隙を見てポトリと落ちる。
本当に死ぬところだったかもしれない。触手になってからの人生で、物理的に最大のピンチだった。
そして、それを潜り抜けて冷静になってみると、色々なものが見えてくる。
そうだよね、メアーズ様の家――サンライフォン男爵家は所領を失っている。
だから実家はセンドルベント侯爵の元に身を寄せていた。
そして戦いだ。勝とうが負けようが、町攻めなんて相当な被害が出る。
しかもそれは、絶対にやっちゃいけないもの。内乱だものね。
やれば結果に関わらず、必ず現場は責任を取らなければいけないんだろう。
だからメアーズ様のお兄さんがここにいる。センドルベント侯爵の尖兵として。使い捨ての駒として。
こんな状況にならなかったとしても、士気は低くてとても戦えたものじゃないだろうなー。
でもそれにしても――、
――自分なら何とかできる、そう思ったね。
――うん、あの張り付いている変な蟲ね。多分あれ、僕ならどうにか出来るよ。理由は分からないんだけどね。それに――、
――やった事もないよね。でも分かる、分かってしまう。そうだろうね……この歪みが、君の感性をいつもより高めている。でもどうする? 今の君に何かが出来たって、それを生かせはしない。
――生かす……か。それはこの状況を利用するって事なのかな? だとしたら……。
――だからこそだよ。これからの為にも、君は自分の力を最大限利用しなくちゃいけない。そして当然、それに見合った代償を得なけれないけないよ。
――代償? お金かな? んー、正直興味は無いや。ん、でも――誰? 君は誰?
――ラマッセだよ。同じ拘束触手だったラマッセさ。こうして話すのは初めてだね。そして、もう止められないって事でもある。
嫌な予感しかしない。ケティアルさんの時より酷くないか? もうちょっと考える時間を――!
――残念。これもこの歪みのせいだね。だけど大丈夫、僕らにもある程度視えているんだ。
――視えて!?
――僕の記憶なんて、君はすぐに忘れてしまうだろう。だから、僕が言う言葉を覚えるんだ。大切な……本当に大切な事を伝えるからね。
僕の体――いや、その周囲が微かに光る。
ダメだー! 勝手に出てきちゃ……入れ替わっちゃだめだ!
それになにより、こんな所で全裸は絶対にダメだー!
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