変容しつつある世界

 小規模な城塞の様なお屋敷を出たとたん、僕はあまりの変貌ぶりに言葉を失ってしまった。

 まあ元々しゃべれはしないんだけどね。


 町全体がおかしくなっている。いつかミリーちゃんと外出した時とは根本的に違う。

 空には何枚もの羽の生えたムカデのような蟲が飛んでいる。石畳にも、ウニのような奇妙な生き物が棘のような足で歩いている。

 建物はあちこち歪み、曲がり、壁にはひびが入り、酒屋らしい看板の真鍮が曲がっている。

 細い路地の奥では、野犬が同じ種類の犬を食べていた。瞳孔の無い真っ白い目。口元は真っ赤に染まっているが、それよりも何よりも、体からはさっき石畳を闊歩していたウニの様な生き物が重なるように張り付いている。


 なのに、街の人たちが気にしている様子はない。いや、多分野犬の存在は理解していると思う。あれからは実態を感じるのだから。

 だけど奇妙な生き物たちからは実態を感じない。あれは見えていないんだ。

 それに建物の歪みも、おそらく肉眼では真っ直ぐに見えている。まだ破損部分も、老朽化している程度にしか感じていないんだろう。だけどじきに歪んだ家は崩れるんじゃないかな。


「町の様子も随分と変わったわ」


 石畳の上を走らせながら、御者をしているメアーズ様がぼそりと呟く。

 僕が人の言葉を理解しているのは知っている。だけど、あれは僕自身に向けられた言葉なのか、それとも僕の背後に誰かを見ているのか……そんな、判断の付かない呟きだった。


「アルフィナが出て行く前から兆候はあったのよ。奇病が出始め、火事や通り魔なんかも増えた。橋もいくつか壊れて、道を選ぶのも大変よ。さて、そろそろ町を出るわ」


 外は少しだけ整備された道が続いていたけど、直ぐに土の道になる。

 だけど土とはいえ、ちゃんと道になっている。ここは街道だ。

 町から町へと続く道。この先にはランザノッサの町がある。


「そういえばテンタって、どのくらいのものを持てるのかしら? というか何が出来ますの?」


 うーん、どうなんだろう。持つといっても、そもそも僕には手はないからね。もちろん指も無ければ口も無い。

 出来る事も方もさっぱり不明だよ。そういった線引きもこれからは――、


 なんてのんびり考えていたら、馬車の後ろにポイと放り投げられた。


「そこに箱があるでしょう。肉の方を開けて取ってきてくださいな」


 何という無茶振りだ。だけどこれは多分、テストだと思う。僕の知能を図っているのだろう。

 うーん、これからの事を考えると、役立たずの小動物であることは得策じゃないな。せめて主人と番犬。その位の事はしたい。


 先ずは目的の肉だけど、これは臭いで分かる。馬車に積み込んだ時から判断できていたからね。

 箱は釘で止めてあるような事も無い。これも当然か。中身を取り出すたびにそんな事はしていられない。

 という訳で、外にあったかんぬきを易々と押し開け、頭で押して蓋を開く。

 さっきから、メアーズ様チラチラとこちらを確認しているのが判る。やっぱり試しているんだな。


 中に入っていたのは鳥や羊のもも肉、それにこれは魚か。どれも洗って塩を落としてから火を通さないとダメな奴だけど……。


 ちらりと頭を向けるとそれを察したのだろう。


「羊を頂戴な」


 そう要求してきた。いや確かに入ってはいるけどね。

 サイズ的に僕と同じ30センチほどだろうか。なかなかにハードなミッションだけど、こちらも伊達に長くこの姿でいたわけじゃない。

 あの教会を脱した時の不器用な僕とは違うのだよ。


 もも肉の先端にくるりと頭を巻きつけ、直立しながらメアーズ様の元まで運ぶ。

 馬車はかなり揺れるが、それも注意すれば大丈夫だ。その位のバランス感覚は鍛えたのだ。


 持ってきました――とは言えないが、メアーズ様の元まで運ぶと相当に驚いた顔をされた。

 要求はしつつも、実際にここまでやるとは思ってはいなかったのだろう。

 なんて思っていたら、今度はこちらが驚く番だった。


 塩も落とさず火も通さず、そのままモグモグとおやつのように食べ始める。

 いや確かに羊は生オッケーだけどね、これは塩漬けの保存用だよ。塩分の取り過ぎで倒れたりしないだろうか? ちょっとそっちの方が心配になる。


「ちょっと賢いって程度では無いですのね。ねえ、あそこで現れた二人の人間、実は貴方なのではないのですか?」


 思わずドキッっとする言葉を駆けられる。

 良かった、僕に表情が無くて。昔から僕は分かり易いって言われていたんだ。

 人間の姿の時に質問されていたら、一発アウトだった。

 でもまあ、ここで完全なすっとぼけも不自然だ。取り敢えず頭をくるくると回して意味不明なアクションを取っておこう。それをどう取るかは彼女次第だ。


「まあいいわ。ほら、もう見えて来たわよ」


 遠くて僕の感覚器官だと何も見えない。

 だけどここまで1時間とちょっと。2頭立てにしては軽量高速の馬車とはいえさすがに早い。

 激しかった雨も上がり、遠くから様々な香りを運んでくる。

 たしかカレッサの町からの距離は20キロ程だっただろうか。

 名目上はコンブライン男爵領。だけどこの先はもう、センドルベント侯爵軍が展開している。ここは最前線の町なんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る