第45話 寝ていた時の出来事

 センドルベント侯爵領……その名に何かショックでもあったのだろうか、怪しい侵入者の男は震えるだけで動かなくなってしまった。

 だけどまあそれはそれで良いだろうとメアーズは思った。

 これは説明をしているというより記憶の旅。それと同時に、自分の心を固めているだけなのだから。





 アルフィナの元へ連絡が来たのは7月15日。王都からではなく、現在進行中のセンドルベント侯爵軍からであった。


 曰く――父親の身柄は丁重に保護している。かくなる上は、アルフィナ様ご自身が出向いて来るようにとの事だった。

 著名はマルキン・エイヴァーム・センドルベント侯爵。まあ本人に間違いないだろう。


 その手紙に一通り目を通すと、アルフィナは軽くため息をつきながらもさっさと支度を始めた。


「まさか行くつもりですの?」


「これはもう、私が行かなければ収まらないでしょう」


 まあそれはその通りではある。

 相手はそこいらの小悪党でも誘拐犯でもない。れっきとした貴族。それも侯爵本人だ。

 問題を解決するために必要なのは、結局は力。侯爵以上の力がない以上、もうアルフィナに従う以外の選択肢は無い。


 最後のあがきとして王都へと落ち延びるという手もあるが、既に同国民同士で開戦してしまっている。

 王都の貴族や商人たちが味方であるなど、誰が保証できるものか。むしろ情勢が悪化する可能性がある。それに――、


「彼らの目的は私の体。正確には血筋ね」


「それは分かるけど、その為にこれ程の事を?」


 言いつつも、無いとは言い切れない。

 センドルベント侯爵家は国家としては東の端に位置する。

 東部の海からやって来る魔物に加え、統一前後の混乱では激しい戦場であった。

 当時はそれなりに軍事・交易の要衝であり、それを統一したのがセンドルベント侯爵家いうわけだ。


 ただその分、ここ暫くの凋落ちょうらくは激しい。戦いが終わってしまえば、残るのはさほど豊かでもない普通の土地。しかも中央の王都からは遠い東の果て。

 交易、外交にも無縁の辺境として、存在感の無いまま衰退を続けていたのである。


 そんな訳なので、軍務内政共に目覚ましい成果も無ければ王室とも疎遠。当然の様に、長いこと王族にも王族からも良縁は無い。

 しかも現在では南方から魔物に侵食されつつある。彼らからすれば、今の状況を打破する手段が必要なのだ。


 だが現王室に目を向ければ、第一王子が死んで以来、現在は病弱となった国王に幼い姫が一人だけというありさまだ。こんな状況で、センドルベント侯爵家に縁組の機会など巡ってくるはずもない。


 だが一つ、誰もが欲する宝がある。それもすぐ近くに。

 アルフィナ・コンブライン。それはある程度の身分にあれば大抵知っている事だ。

 王族の血――いわゆる純血種。人でありながら、より神に近い血を持つ者達。

 その創世の物語は各国の神話により違うが、半神デミゴッドとは違い世代を経て継承される神に近き者。

 手に入れる事さえできれば、状況は一変する。


 だがもちろん、その危険さも知られてはいる。

 しかしそれを差し引いても、余りある程の魅力が彼女にはあると考えたのだろう。本当に、愚かしい……。


「この私と共に滅びたいのであれば、気が済むようにしてやるだけの事」


 胸に手を当ててそう宣言するアルフィナが少し眩しかった。

 堂々たる姿。そこには怯えも無ければ自暴自棄になった様子もない。ただ運命を受け入れたのだ。他でもない、その強靭な意志で。


「ミリーはどういたしますの?」


「あたし? そりゃ行くよ。まあ言いたい事は分かるよ。工房の事は悲願でもあるしね。だけどそれも、男爵家がどうにかなったらご破算だよ。悪いけど、センドルベント侯爵の為にやる気は無いね」


「別にそれなら付いてこなくてもいいのに。ワーズ・カル・オルトミオンなのだから、中央学院に幾らでもつてはあるでしょう? 万が一の時は、工房を引き払って他の町へ行くと良いわ」


「見習いごときが契約を破棄して逃げる? 残念ながら、世の中はそんなに甘くは無いよ。まあ、これも修行って事で」


「生きて帰れる保証は無いわよ。それどころか――」


「分かってますって。覚悟を決めたって訳じゃないけど、これもけじめよ。あたしは工房を完成させてワーズ・オルトミオンになるの。寄り道なんてしていられないわ。ここでダメになるなら、それも運命よ」


 二人の意志は固い。それはもう、こんな話し合いを始める前から分かっていた。

 というより、最初に考えた様に選択肢自体がもうないのだ。


「一応、わたくしはこちらに残りますわ。人質程度の価値があれば良いのですが……実際にはあまり意味は無いでしょうね」


「ううん、そんな事は無いわ。その――ね……テンタをお願いしたいの」


 先ほどとは少し違い、その姿には多少の弱気が混ざる。

 それだけ気にかけていると言う事だろうと見た。


「連れて行きませんの?」


「うん。今は寝てる。たまにこうなるの。それに……今回はちょっと長い。もしかしたら、もう目は覚まさないかもしれない……」


「なら――」


「だから、ずっと生きているって思いたいのよ。そう信じていれば、きっと耐えられると思うの」


 はかなくも強い笑顔。メアーズは思わずアルフィナを抱きしめた。

 気丈な彼女も震えていた。これが今生の別れになるかもしれない事は、全員理解していたのだから。

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