第41話 ケティアル・ファーズ・ケルジレット

 まだ僕には手段が残されている。諦めるのは、全部やりつくしてから……そうだよね。


 ――借りるよ、バステル。


 僕の体から、もう一本触手が生える。これはバステルの拘束触手。人に変身しなくても、こうして触手だけを伸ばす事も出来る。以前密かに試していた事だ。

 束になれば豚野郎オークさえも拘束する力。たとえ一本だけでも、鳥籠を内側から吹き飛ばすには十分だった。

 衝撃で机の下まで落ちた籠の隙間に触手を刺し、そのまま引き千切る。この程度の針金なんて、完全な状態の触手なら簡単だ。


「……何? 何事ですの?」


 でも当然、その音で朱色の髪の少女も目を覚ます。そりゃそうだ、熟睡しているって訳でもなかったしね。

 でもどうする? どうせ移動には使えないから拘束触手は引っ込めたけど、それはそれでこの体じゃ逃げられない。

 エリクセンさんやバステルに変身する? そりゃ走って逃げられるけど、それで良いの?

 僕はまだ何も知らない。あれから何日経ったの? アルフィナ様は何処へ行ったの?

 ミリーちゃんは? シルベさんは? 男爵様や他の兵士達は、一体この状況をどう考えているんだ!?


 無知は何も生み出せない。何をするにも知らなきゃいけない。そして十分な知識の中から最高の選択肢を選ぶ――そうだよね、バステル。


 ――なら、俺の出番だな。


 ――え、誰?


 ――まあ見てな。こういった時は俺の出番さ。


 見る間に姿が変容する。あの時と同じだ。僕に周りに人型の膜が張られるように、人間の姿が形成される。

 紺とグレーのメッシュの髪。ストレートで前髪は長く、後ろは借り上げている。

 歳は20代後半だろうか。彫りの深い顔立ちに鋭い黒の瞳。少し伸ばし、美しく切り揃えられた口ひげ。何処か怪しい空気を漂わせているが、衣装さえまともなら逆に格好よく見えたかもしれない。


 ――ケティアル! ケティアル・ファーズ・ケルジレットじゃないか!

 僕とは違う、繁殖触手の一本だった。どこか僕らとは距離を取っていて、あまり積極的なタイプでは無かったと思う。だけどあの時――豚野郎オークを攻撃した戦士から真っ先に僕らを守ろうとしてくれた人だ。

 まあ、そのまま切り飛ばされてしまったんだけど。


 突然目の前に現れた全裸の男を見て、朱色髪の少女は完全に固まっている。そりゃ当然だろうと思うよ。


「いきなりすまないね、お嬢さん。だが少し――」


「キャアアアアアーー!」


 想像もつかないような大音響の悲鳴。そして股間に感じる鈍い感触。ぐにゃり。そしてパキン。

 一瞬で僕の感覚器官が切り離される。危なかった。

 朱色髪の少女の見事な蹴りが、完璧に股間にヒット。顔は背けていたけど、それはまるで武道の達人のように見事な蹴りだったよ。


 ケティアルはそのまま股間を抑えたまま、うつぶせに倒れ込んだ。

 目は白目。口から泡も吹いている。いやまって? ちょっと! もしもーし!

 ケフィアルの体が、ハラハラと消えていく。かつての二人のように、まるで花が散る様に。

 っていやいや、ちょっとまってよ! 僕はまだ何も聞いてないよ? ねえ、君何者よ? これからどうすればいいの? ちょっと待ってよ、行かないで!


 だけどそんな僕の願いは虚しく、ケティアルは天に召されてしまった。いや本当にどうしよう。


「テ……テンタ?」


 朱色髪のお嬢様がキョロキョロと周囲を確認しながら僕を呼ぶ。

 うん、バレていない。これはセーフ。

 わざとらしく鳥籠を鳴らして、そのまま朱色髪の少女の元へと跳ねる。


「ああ良かった。さっきの男が落としたのかしら。怪我が無いようで良かったわ。でも――」


 僕を懐に入れながら、右手は油断なく壁にかけてあった剣を握る。

 柄まで含めて140センチほど。大の大人が使う両手剣。彼女の身長とほぼ同じだけど、平然と片手で持ち上げる。


「さっきの蹴り程度じゃ効かなかったみたいね」


 油断なく周囲を警戒しながら廊下へと移動する。いや十分効いていたよ。もう昇天しちゃったよ。

 しかし参ったな……振り出しか、あるいはもっとひどいかもしれない。これで万策尽きた。おしまいだぁ……。


「先ずは2階へ行くわよ」


 片手で僕を抑え、細心の注意を払って廊下から2階への階段を上がる。

 いやなんで? 普通に考えたら、すぐに外に出て衛兵を呼ぶべきじゃないだろうか?

 だけど僕は、もっと重要な事を失念していたんだ。


「とにかく服を着ないと外にも出れませんわ。全く――!」


 実際、僕も抑えていてもらわないとチューブトップブラから落っこちそうだ。

 流石は男爵令嬢様と言って良いのだろうか。幾ら酔っていたとはいえ、裸同然で外に出るほど羞恥心を失ってはいない様だった。

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