変容する世界

 その夜……いや、そうなのか? 分からない。

 僕は久しぶりに夢を見た。

 いつものようにウトウトとした感じじゃない。ハッキリと夢だとは分かるけど、現実のような臨場感がある。



「よう、テンタ。元気でやっているな」

「いつも女の子の懐に潜り込みやがって。スケベな奴め」

「勉強は進んでいるか? 少し位出来たって満足するなよ」

「するなよー」

「時間はいくらあっても足りぬ。それこそ永遠にあったとしても足りるかどうか」

「まあ難しい事は置いておこうぜ。今日は誰の肌が一番気持ち良かったかを聞こうじゃないか」

「そうだそうだ」


 いやいや、待ってよ。一斉に言われても分からないよ。


 ここは真っ白い世界。他には何もない。上も白。下も左右も全て白。誰も見えない。何もいない。

 でも感じるんだ。みんなの息吹を。見えないけれど、確かにここにいる。

 ああ、そうだよ。今までのが夢だったんだ。


「みんな、聞いてよ。すごく面白い夢を見たんだ。物凄く綺麗な女の子に拾われてね。まだ成人になったばっかりなんだけど、僕よりもずっとしっかりしていて、幼いのに凛々しくて、とにかく凄い子だったんだ」


 言いながら、涙が溢れてくる。

 あれ? どうして?

 僕には目なんてないよ。あれ? それにどうして言葉でしゃべっているんだ?


「そりゃあ、夢じゃないからだろ」

「見てるよー」

「おうそう、俺達はいつでも見てる」

「いや感じているっていうのかな」

「ええのう、ええのう、甘酸っぱさで心が蕩けそうだわい」


「え? 夢じゃないとか見てるとか……あはは。冗談はやめてよ」


「いや、テンタ。ちゃんと見よう」

「そうだぞー」

「俺達はみんな、楽しみにしているんだぜ」

「お前がいつか、俺達を開放する日をな」


「……解放って、そんな」


 思わずこぶしを握る。それはいったい、誰の拳なのか。僕は今、誰の姿なのか。


「もう分かっているんだろ、テンタ」

「だけど無駄に呼び出すなよ。時間は短いんだ。きちんと考えるんだ」

「ここじゃ伝えられないけど、お前に教えたい技があるんだ」

「知識もね。でもこれは相当に難しい。きちんと機会を見るんだ」

「俺たちみんな、待っているよ」


 そこにいた仲間たちは、46人だった。

 エリクセンさんとバステルはいない。

 その意味を僕は知っている。ただただ、溢れる涙を止めることが出来なかった。





 朝、僕は見知った部屋とは違う場所で目が覚めた。

 いや、今は本当に朝なんだろうか? 鎧戸を叩く大粒の雨音。隙間から輝く雷光。

 空の様子は分からない。気温からすると夜のような気もするけど、こうも湿度と騒音があると分からないや。


 そして僕の周りを囲むのは、細い針金の様な棒。底は円形で、上の方で曲がって繋がっている。

 これは……うん、鳥籠だ。


 部屋は少し広め。高価そうな机と椅子があって、僕はその机の上に置かれた鳥籠の中。

 奥には扉の無い部屋があり、奥には天幕付きのベッドを感知できる。

 小さな本棚らしき棚には数冊の本。それと麻編みの丸籠にはスクロールらしき束が詰まっている。

 それなりの地位を感じさせる立派な部屋。だけどここはアルフィナ様の部屋じゃない。


 というか、ボケーっとしながらこちらを棒で突っついているのは朱色髪の少女だ。

 これはいったいどんな状態なの? 僕は何日寝ていたんだ?

 いやそんな事よりも、この歪みは何だ。

 歪み――いや、淀みと行った方が良いかもしれない。そんなものが周囲を漂いながら覆っている。

 それは壁や床、天井や調度品にまで浸み込んで、そこから何かが蠢いている。黒いのに透明、実体のない塊。だけどそれはきっと――いや絶対に、やがて何らかの形で現れる。


 ――ねえ、これは何事? 何があったの?

 ぴょこぴょこと檻まで行ってパンパン叩く。


「あら、動いているじゃない。死んだわけではなかったのね」


 うわ、酒臭!

 朱色髪の少女は淀んだ目でこちらを覗き込む。よく見れば周りには幾本もの酒瓶が転がっている。

 いやお酒って高いんだよ! ってそんなどころじゃないね。

 他には大量の食べ物が、美しさの欠片も無く無造作に置かれている。


「貴方のご主人様は、もういませんわよ」


 そう言いながら串に刺した兎の肉をモグモグと食べる。

 もう座っている事自体がダルそうだ。半ばぐてっと机に突っ伏している。

 上はあんまり意味のないチューブトップのブラに下はシルクのパンツ。色は紫でレースも付いているが、状況と態度が酷いだけあって色気の欠片も感じない。


 そして再び飲み始めるアルコール。一応年齢制限はないけれど、子供のうちに沢山飲むものじゃないよ。

 いやそれよりなによりアルフィナ様だよ。本当にどうなっているの!


 とにかく今は脱出が先。この鳥籠、そんなに頑丈ではないけれど、それでも内側からの圧力には強そうに見える。

 人間になって内側からバーンと壊したいところだけど、ダメだったらどうなるの?

 かなりシュール? ハム人間? いやそれだけで済めばいいけど、済まなかったらシャレにならないよ。


 そんな賭けはダメだ。とにかくエサ入れなり水入れなりから脱出しよう。

 普通の鳥ならともかく、僕の中身はこれでも人間だよ。籠を内側から開けるなんて造作もない事さ……ってバネ式のロックが付いてるし!


 何なのこの高級品! 貴族様の持ち物ってみんなこうなの!?

 金網が狭すぎて、僕の体は通らない。これじゃロックの解除は不可能だ。

 ならばもうやることは一つ、最終手段あるのみだ。


 ――あけろー!


 ビッタンビッタン、魚が跳ねるように大暴れ。

 当然金網に当たり、ガシャンガシャンと不快な音が鳴り響く。

 これでとにかく外に出してもらえれば――。


「うるさい……」


 朱色の髪の少女は、ダルそうな目をしながら僕を鉄串で刺した。ぶしぶしと。

 いや傷はつかないけど結構痛いよ。止めて、止めて!


「はあ……そんなにご主人様に会いたいんだ……まあ、生きていればそれも有るかもね。でもそれでも、アルフィナはアンタを残したの。その理由を考えてあげなよ……」


 酔いつぶれたのか、そのまま机に突っ伏して寝息を立てる。


 ――理由……か。そんなもの、考えていられるか!

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