第32話 託された肉体
3人の少女が出て行った家は、なんとも不気味なほど静かだった。
だけどこれでようやく、自分の事を考えられる。今まではずっとアルフィナ様の事だけを考えていたからね。
あの後から今まで、ずっと大きな喪失感がある。心にぽっかりと空いた穴。寒気すら感じる心細さ。
理由は分かっている。エリクセンさんとバステル、二人が僕から居なくなったからだ。心から消えてしまったからだ。
今ならわかる。こんな姿になっても、発狂せずに僕のままでいられたその理由。
それは僕の心の中で、48人の仲間たちが支えてくれていたからだ。
僕自身が自覚していなかっただけで、これまでずっと一緒に生きて来たからだ。
だけど消えた。本当に――完全に。
周囲に誰もいない事を確認して、エリクセンさんの姿になる。やっぱり、そんなに難しくない。
質量が何処から来たとかいう難しい話は分からないけど、僕はいつでも二人の姿になることが出来る。
じゃあ彼ら本人になれるのかといえば、それは全然違う。
二人の知識は僕には無い。ほんの微かにはあるけれど、僕の思い出と混同するような鮮烈さを感じない。夢で見たワンシーン程度。実感のない記憶。
彼等が残っている時は、もっと鮮烈に覚えているシーンもあった。王宮の風景や戦い――炎に包まれた砦。そしてバステルが消える時に一瞬見えた、こちらを見る男女の姿。僕の村よりも貧しそうな、雪の深い山……あれは彼の両親だったのだろうか?
だけど彼らが消えた時、その記憶も消えてしまった。夢の内容をどことなく覚えている……今はその程度なんだ。
実際に、今の姿を見ればわかる。
目に力は無く、口元は緩く、姿勢も悪い。何歳だったんだろう……正確な事は分からないけど、そこまで生きてきた経験がない。人生に苛烈さも無い。
僕はただ貧しく生きて来た村人で、エリクセンさんは王子様。人生の重さが違う。
あの精悍で惚れ惚れするような立ち振る舞いは、王子様としての生活があってのものだ。
今の姿には格好良さの欠片も無い。年相応の子供が入った、体だけの大人。ちょっと溜息が出る。
だけど一方で、体に身に付いた事は意外と扱える。
今までの人生で剣を振ったのは、後にも先にも
いや、あれを突き刺したというのだろうか? ちょっと違う。構えて体当たりしただけだ。
でも、今の僕ならもっと違う動きが出来る。
軽く左右にステップを踏み、時折大きく踏み込む。動きの緩急を利用した独特の動き。
同時に扱う剣の振り方も分かる。何千何万、いやもっと繰り返して身につけた技巧。それは、今もこの体に刻まれている。
「でも中身が僕じゃあなぁ……」
声が出る。当然だ、人間の姿なのだから。
窓に行けば、暗い夜空も、空に浮かぶ月も、その周囲を回る衛星も、月に掛かる雲も、きらめく星も、何もかもがしっかりと見える。
それに加えて、触手特有の感覚器官。
こんな狭い部屋なら、それこそベッドの下どころか棚の後ろまでバッチリだ。
視界に関してだけなら、そこいらの人間よりも上だろう。
「でもやっぱり、中身は僕なんだよなぁ……」
ついつい同じ言葉を呟いてしまう。コンプレックス――そういった事ではないとは思う。僕にだって得意な事はある。それを否定する気はない。だけどそれでも、やっぱり比較してしまう。
――バステル。
心で念じると、姿が変わる。
黒髪がばさりとたなびき、狼のような精悍な顔立ちと見事な背筋の戦士が現れた。
とはいえ、やっぱり表情に力が無い。特に目力が足りなすぎる。
それっぽく演技すれば似せられない事は無いけど、そんな付け焼刃は見る人が見たらすぐにばれてしまうだろう。
年齢としては僕と近い。多分16か17歳くらい。だけど、彼の人生も僕とは比較にならない。
戦場を駆けた
物凄い――そうとしか言えないような次元だった。僕もそれなりに狩りを
でもあれは違う。そういった、素人が生きるために何とかやっているってレベルじゃない。戦場を知る業だ。
そのバステルが言っていた。運命を選べるようになれと。
その為には身体能力や技だけじゃない、知恵と知識が必要だ。
本棚にあった本を抜き出し、ページをめくる。
――ぐえ。
全く内容の理解できない難しい本。初心者用の本はないのだろうか? いやそれ以前に、何から学ぶ?
「本当に、僕は無知なんだな」
所詮はただの村人だと実感する。心がくじけそうになる。だけど――、
「運命を選べるほどの人間になれ――だよね、バステル」
今は理解出来なくてもいい。ただ覚えるんだ。一言一句、全てを。
やがて知識というピースがはまった時、それは必ずや生きてくるはずなのだから。
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