動き出した世界

 まだ燃え続ける屋敷から離れた一本の木の上に、一人の女性が立っていた。

 箒のように広がったグレーの髪に紺色の瞳。口元から膝下までを覆う濃紺の外套ローブを纏っているが、その下にはワンピース水着型の革鎧。足には金属で補強されたブーツを履いている。

 それはお屋敷で働いていたシルベであった。


「これは驚いたわね」

「どっちがだね? あのお嬢様の化け物じみた力が発揮されなかった事かい? それとも、彼女を守る何者かが現れた事かね?」

「もう一つ、連中が動かなかった事もよ」


 燃える屋敷を挟んだ反対側の丘に、複数の人間が確認できた。

 いや、人というには少し太く、また大きい。それらはもそもそと動きながら、闇の中へと消えて行く。


「追わないのかい?」

「やるなら貴方がやって。私は一応、周囲を確認しながら朝を待つわ」

「では、そちらは任されよう。そうそう、彼女を守ったという人間、今は何処にいる? どんな姿だね?」

「残念ながら、今はいないわ。それに姿は確認できていないのよ。詳しい事は、明日にでも町のお屋敷で。お嬢様はそこへ連れて行くわ」

「賢明だ。ではな」


 木の上から、音もなく木製の鳥が飛ぶ。カラクリではなく、本当にただ荒く木を削っただけの姿。

 しかしそれはまるで生きているかのように、力強く闇夜に羽ばたいて消えた。



 シルベが見下ろす先には、うずくまるアルフィナの姿がある。

 遠くてよく見えないが、一度林の境界まで移動して何かを拾っている。ほぼ間違いなく、テンタだと直感するが、その理由は分からない。


「まさかね……」


 木彫りの鳥に対しては、アルフィナを守った者の姿は見えてはいないと言った。しかし、実際には少しだけ見えていた。

 僅かな木と木の間。屋敷の炎に照らされた一瞬だけ、上半身裸で黒い長髪の男が見えた。

 手にしていたのはおそらく弓矢。それは射る瞬間を見たというより、射られた死体が物語る。


 炎に照らされた兵士共が、次々と、そして一撃で葬られていった。

 魔法ではない、弓だ。距離や正確性を考えれば、そんじょそこらの狩人ではない。

 それだけでも驚きなのに、暗闇の、それも林の中でも戦っていた。その結果は明白だ。襲撃者は消え、アルフィナは生きている。


 さぞ名のある弓兵であろうが、今は何処にいる?

 最後の一人と相打ちになった? それはあまりにも荒唐無稽すぎる考えだ。

 ならば、まだいると考えて良い。そして、アルフィナの味方が自分の味方とは限らない。


(……どっちにしろ、夜が明けたら素知らぬ顔で合流しないとね)


 音もなく、木の上から飛び降りる。

 そもそも、いつからあのようなものが傍に付いて居たのだろうか?

 確かにアルフィナは優秀だが、自分たちの監視を逃れて誰かを雇うなど出来ないはずだ。


 自分は彼女が生まれた時から行動を共にしている。そう、あの日から――。


 あの滝のような大雨の夜を、まだ鮮明に覚えている。

 マーリア・コンブライン。コンブライン男爵の妹。そのお腹の中にいる子供の素性も全部知っていた。

 あの日、アルフィナは祝福されて産まれてくるはずだった。

 少々訳ありだが、それも大きな問題にはならない。母親からは引き離されるだろうが、数か月後には王宮行きだ。

 幸せになるかは本人次第だが、それでも常人よりは遥かに恵まれた人生を送れただろう。

 なのに――生まれてきた子は呪われていた。いや、神の祝福を受けていたのかもしれない。


 パニックに陥ったマーリアを落ち着かせ、息つく暇もなく悲鳴を聞きつけ廊下へ行くと、ベルトウッド・コンブライン男爵が倒れていた。

 その手に抱かれた泣きわめく赤子。しかし、そんなものは目に入らなかった。


 窓の外。木製の鎧戸は風雨により破壊され、その先は視界が一切なくなるほどの大雨――のはずだった。

 しかし、雨を裂き、闇を裂き、まるで風景の上から絵を描いたように、薄青く輝く球が浮かんでいた。

 それは月よりも何倍も大きく、そして不気味だった。

 目とは言えない、ただの青い球。だがそれと目が合ったと感じた。生まれて初めて、小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。

 あれが何なのか分かってしまったから。





 翌日にはもう、世界中が大騒ぎになっていたらしい。それは幻でもなければ、あの場にいた人間だけが見たのでもない。全ての人間が等しく見たのだ。

 だがその広さは幸いした。こんな小さなお屋敷――いや、城塞の出来事など噂にもならない。

 情報は極一部の者のみに隠匿され、2週間後には中央オルトミオン学院から何人もの学者や魔術師がやって来た。

 だが分かった事といえば、『どうしようもない』という事だけ。

 赤子を殺す事も出来なければ、傷つける事すらできない。封印も失敗した。

 水もミルクも与えなくても死なず、ただ泣き続ける。しかもそれが最悪だった。


 アルフィナの感情の昂ぶりは、周囲の運命を歪ませる。それはことごとく悪い方向へ。

 大雨に干ばつ、噴火に地震。更には突如として隣国が攻め込んできた。

 南からはヴァッサノの眷族と思われる魔物の群れが海を越えて来襲し、国内は炎に包まれた。


 だがそれは、数年で収まりを見せる。丁度、母親であるマーリアが亡くなった頃に近い。

 状況を考えれば、世界が亡びる引き金になるかもと思われていた最悪の事態。

 ところが逆に、アルフィナの歪みは小さくなったと運命観測士たちは報告した。

 理由は不明。しかしとにかく穏やかに、可能な限り世界から隔離して生活させる。そうすれば、被害は最小限に抑えられる――かもしれない。


(ダメだったじゃないの……)


 神の力を人間が抑えるなど出来はしない。遅かれ早かれ、今日という日はやって来たのだろう。

 ならば諦めるのか? 運命を嘆き、滅びの道を進むのか?


(冗談じゃないわ)


 きつく奥歯をかみしめながら、シルベの姿は闇の中へと消えた。

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