第26話 弓兵

 暗闇の中をバステルが音もなく走る。そして間断なく放たれる矢が、襲撃者たちを次々と葬っていった。

 反響定位エコーロケーションや温度に匂い。周辺の状況は立体図を俯瞰ふかんしているようによくわかる。僕らは暗闇でもへっちゃらだ。

 逆に向こうは普通の人間。それなりに夜戦には自信があって林に入って来たんだろうけど、根本的に感覚器官センサーが違うのだから勝負にもならない。

 でもそれを差し引いても、バステルの技は凄すぎた。音もなく移動し、音もなく射る。

 微かな羽切音が鳴った瞬間には、一人の襲撃者が倒れている。

 彼らがその方向を警戒した時には、もうその場にはいないのだ。何もないとか、ただの弓兵アーチャーとかでは絶対にないよ。


「なあ、テンタ。お前は運命ってものを信じるか?」


 ――運命?


 それはちょっと意外な質問に感じた。今ここで話すような内容なのだろうか? だけど何となく、僕はこの話を後回しにしてはいけない気がした。


 ――信じるよ。こうしてバステルと話したり、弓の技を見たり……ううん、出会い自体が運命だよ。


「そうか……まあ、それも間違ってはいない」


 応えながらも、また一人の襲撃者がこめかみを射抜かれ、ゆっくりと崩れ落ちる。


「だけどな、運命なんてものは、それまで選んできた選択肢の結果でしかない。今の自分の立ち位置を見て、もう後にも先にも進めない。そんな時、これが運命だったと思うんだ。良い事でも、悪い事でもな」


 ――それは間違っているの?


「ああ、少しだけ違う。俺はな、昔から人より上手に弓を扱えた。だから自然と弓兵になって、戦場を駆け……それが運命なのだと考えていた。それ自体に後悔はない。だけどな、テンタ――俺は思うんだ。もし俺が文字を書けたら……計算が出来たら……もっと世の中の事を知っていれば、もっと沢山の運命の中から、別の結末を選べたのかもしれないと」


 僕は、それに答えることは出来なかった。

 かわりにバステルは言葉を続けた。


「お前のお嬢様は、きっとこれからも勉学を続けるだろう。こんな森の奥ではなく、いずれは町の――もしかしたら、王都や外国の学校に通う事になるかもしれない。いや、絶対にそうなるだろうな」


 ――うん、僕もそんな気がするよ。

 その時、アルフィナ様の隣には誰がいるんだろう。


「お前も学べ、テンタ。一緒に勉強して、同じ道を歩め」


 ――僕が? そりゃ、死んだり捨てられたりしない限り、僕はお嬢様と一緒にいるよ。でも僕が勉強する事に、何か意味があるのかな?


「あるさ……そう、あるんだ」


 最後の矢が放たれ、最後の襲撃者の眼窩を穿つ。

 ドサッと大きな音がして、辺りから聞こえる音は、風と屋敷が燃える音だけになった。


「俺達が残してやれるのは、この体と、染みついたちょっとした動き。それだけだ」


 バステルの体が、ポロポロと崩れて消えていく。

 それを止めることは出来ない。そんな事、もうわかっている。


「お前は学べ、そして選ぶんだ。無数の選択肢の中から進む道を。運命なんてものに止まらずに」


 ――それが、たとえ神様の決めた運命があっても?


「そうだ。神が決めた運命なら、その神を越えればいい。そうすれば、そいつが決めた結末より、もっといい未来を掴めるはずだ」


 もう体は殆ど残っていない。まるで夜の闇に溶けていくように、その姿は散って行く。


 ――バステル! 待って、まだ消えないで!


「これで良いんだ、テンタ。俺達はもういない。これは、お前の夢だ」


 ――夢?


「そう、お前の中にある記憶、思い出。今見ているのはそんなものだ。目が覚めたら忘れてしまうような儚い記憶……それで良いんだ」


 ――僕は絶対に忘れないよ!


「そうか……それもいいさ。たまには他の皆の事も思い出してやれよ。きっと、お前を待っている。お前と再会し、たくし、解放される日を待っている。その時が来たら、迷うなよ」


 ――バステル? 聞こえないよバステル!?


「最後に思いきり弓を引けて楽しかった。やはり、俺の運命はこれだったんだろう……じゃあな」



 もし僕に目があったら、きっと涙で何も見えなかっただろう。


 もし口があったのなら、きっと泣き叫んでいただろう。


 僕の体が、地面にポトリと落ちる。

 ただの切られた触手の先端。今の僕の姿。何も考えられない。自分の身に何が起きたのか、それさえも整理できない。

 だけど僕には、動きを止める余裕なんて無い

 ゆっくりと這いながら、アルフィナ様の元へ行く。今お嬢様を守れるのは、僕しかいないのだから。





 アルフィナ様の頭部はぐるぐると歪んでよく分からない。

 また眼を失ってしまったから、今までと同じ状態だ。だけど僕の脳裏には、あの美しくも気高く、また可愛らしいお顔が焼き付いている。

 綺麗だったな—……。


「テンタ!」


 炎に照らされ、僕の姿が見えたのだろう。アルフィナ様がやってきて抱きかかえてくれる。

 細い指の一本一本から力強い生命力が浸み込んでくる。温かい……。


「良かった……まだ屋敷の中にいるかと思って心配していたのよ!」


 震えている。そりゃそうだろう、恐ろしかったに違いない。死を覚悟していたかもしれない。それでも弱みを見せず、気丈な姿を見せていた。


 ふと、血の匂いを感じる。アルフィナ様の手が少し切れている。そうだ、縛られていたんだ。だけど周りの死体から刃物を取って、自分でそれを断ち切ったんだ。その時に、怪我をしてしまったに違いない。

 一体どれほど芯が強いのか……強くあらねばならなかったのか。


 これからは、僕も強くならなきゃいけない。もっと勉強して、世の中の事を知らないといけない。

 ただ最後の時まで一緒にいようだなんて、甘い考えだった。

 アルフィナ様が普通の子供じゃない事なんて、出会った時から分かっていたじゃないか。

 一緒にいるためには、もう守られているだけのペットじゃダメなんだ。

 僕も強くなるよ……そうでしょ、エリクセンさん。バステル……。

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