最初の別れ
弓矢を拾って茂みへと入る。ここは街道以外は背の低い広葉樹の森。確かに闇夜でもよく見える僕らには有利だけれど……。
「逃がすな! 先に奴を仕留めろ!」
そんな事を知りもせず、背後から沢山の人間が入って来る音がする。
でもこのまま逃げるの? それはあり得ないよね?
「よく聞けよ、少年。俺はもう時間切れだ」
――時間って何? 疲れたの? でもアルフィナ様がまだ!
「いいから聞くんだ。俺の剣技はちゃんと見たか?」
――う、うん。凄かったよ?
「そうだろう。どんな時でも、剣だけは俺と共にあった。剣だけは俺を裏切らなかった。分かるか?」
少し自慢げに、少し寂しそうに、エリクセンさんはそう言った。
微かに分かる。暑い日も、寒い日も、手の皮が剥け、泣きながら、それでもひたすら振り続けた。
それは本当に微かな記憶。それと共に感じる孤独、恐怖……これはエリクセンさんの思い出? でも、そうと言える程にはっきりとはしていない。
それは、流れ過ぎて行く蜃気楼……。
「あそこまで使えるようになるまで、どれだけ振ったか分からない。何人斬ったかもな」
――ねえ、何を言っているの?
「師匠がいたんだ。立派な人だった。俺はあの人から剣を学んだが、それを継ぐことは出来なかった」
――エリクセンさん!?
嫌な予感しかしない。でも聞かないでいる事も出来ない。
「いいか、テンタ。俺は死んだ。死んでいるんだ。そして奴に取り込まれた魂も、もうとっく解放されている。この世の何処にも俺はいない。魂も無い。今話しているのは、お前の中に残った俺の
――言わないで! そんなこと言わないでよ!
「よく見て感じるんだ。これは王家に代々伝わる剣術。肝心なのは体幹と体重移動。そしてそれを悟らせない動き。常に相手の先を考えろ。そして
腰が落ち、足に力が加わるのが判る。その目の前に、まるで打ち合わせでもしていたかのように二人の男が草を分け現れる。
そうだ、今までの戦いもそう。視線、動き……そういった技を駆使して、自分が攻撃する
力強い踏み込みなのに、殆ど音がしない独特な跳躍。目に捉えることが出来ない程の高速移動。そして閃光のような一閃。
ポタリ……剣先から一滴の血が滴り落ちるその後ろで、二人の男の胴がそれぞれ上下に別れて崩れ落ちた。
「忘れるなよ。これが俺なりのクレーデルバーム流剣術だ。もし師匠に会う事があったら……見せてやって欲しい」
まるで空間から剥がれ落ちる様に、エリクセンさんの体が消えていく。
それを必死に止めようとするんだけど、僕には手も無く、掴む指も無かった。
「ほんの一部でもこうして残せたこと、俺は何処かの神に感謝しているよ」
――エリクセンさん? ねえ、聞こえない。エリクセンさん!
何か言っている気がする。だけど分からない。聞こえない。
「妹が生まれているとは知らなかったが、まさかこうして会えるとも思わなかった。親父どのも年の割には頑張ったじゃないか。本当に驚いたよ。全く、人生とは最後の最後まで分からない。苦しかったけど、それはそれで満足さ。テンタよ、アルフィナは任せたぞ。もしかしたら、お前が義弟になるのかもな。さて……後は任せた」
「――ああ、任せろ」
――え?
それはまるで突風のようだった。
バサッと黒い長髪が風になびく。
さっきまでとは違って、少し日に焼けた浅黒い肌。狼よりも鋭い眼光に、鋼のように細く引き締まった筋肉。だけど、それとはまるで矛盾するように鍛えられた逆三角形の上半身。
これは――バステル!?
同じ拘束触手だったバステル。殆ど話したことは無く、名前くらいしか知らない。
なのに何故かわかる。それは、僕が彼で、彼が僕だからなのだろうか。同じ体を共有する仲間。でも――、
「話をしたことはほとんどなかったな」
――う、うん。
苦手だったわけじゃない。バステルは無口で、あまり話の輪に入って来なかった。
僕自身もそんなに積極的に会話する方じゃなかったから、お互いそんなに接点は無かったんだ。
「先に行っておく。俺はただの
――そんなもの――、
「だけどな――」
バステルの手から放たれた矢が林の中を一直線に進む。
枝に当たらず、葉にも当たらず、そこしかないという一点を進み、中庭にいた男の額に命中した。
それは周囲に命令していた指揮官らしき男だった。
「――お前の敵は、全部仕留めておいてやる」
◇ ▲ ◇
男は、自らの額に矢を受けた事を理解できなかった。
ただ響く様な鈍い衝撃を感じた後、体の自由が利かなくなり勝手に倒れ込んだ。
動かそうと思うが、指一本動かない。
一体なぜ、こんな事になったのだろうか?
自分を見下ろしている娘がいる。アルフィナ・コンブライン。抹殺対象の娘。
そうだ――なぜ殺さなかった? なぜ生かしてここに連れてきた? 分からない、理解出来ない。
これが……こんな事が、自分の運命であったとでも言うのか?
こんな場所で、任務も果たせずに死ぬために、今日まで生きてきたとでも言うのか?
ありえない。許せない。そんな不条理を認めるわけにはいかない。
殺せ! 殺せ! 殺せ! その娘だけでも殺せ!
言葉は出ない。指一本すら動かない。だが意志は通じたのだろうか? 娘を押さえていた男の手が、腰の剣へと伸びる。
そうだ、それで良い。これまでは何かの間違いだ。もう時は残されていない。だが、最後の最後で正せばいいのだ。
しかし――男の目の前で、部下のこめかみに矢が突き刺さる。
ゆっくりと崩れ落ちる部下の姿を見つめながら、男は心の中で自問していた。
自分の人生は、何処で歪んでしまったのかと。
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