業火の中で
――アルフィナ様―!
僕はもう泣きそうだった。全てが燃え、灰と消える。
苦難の末に辿り着いた安住の地。
何も変わらない日常のまま、自分はやがて死を迎える。それでいい。
でもその前に、アルフィナ様の嫁入りくらいは見ておきたい。そんなささやかな願いすら叶わない。
出来損ないの蛇のように体をくねらせながら少しづつ進む。
だめだ――こんなんじゃだめだ。こんな速度じゃアルフィナ様を探せない。周りは熱すぎて、そして木が爆ぜる音が
もうもがいたってどうしようもない。でも泣き言なんて言っていられない。
幸い、お屋敷といっても迷路じゃない。ただ進めばいいだけだ。
火に焼かれても、煙に巻かれても、幸い僕は大丈夫。熱いけど意外と平気だ。
気が遠のくような長い時間……といっても1時間も経っていないだろうけど、僕には無限のように感じられた。
だけどその甲斐あって、ようやく外に出ることが出来た。
もしどこかの部屋に取り残されていたらお手上げだ。でもその時はどちらにしても何も出来ない。ならせめて、外へ脱出していてくれることに期待したんだ。
どうして火が出たのかは分からないけど、シルベさんだっていた。アルフィナ様もきっと無事だ。
外は夜の気配に満ちていた。燃え盛る屋敷の中と違って、様々な感覚器官も働く。
そんな中、確かにあった。アルフィナ様の微かな匂いが。
だけどそれと一緒に、知らない人間たちの強烈な匂いが混ざる。
何人かは一緒に西の丘へ向かっている。
でも考えるまでもないかもしれない。それなりに身分はありそうな感じだったんだ。護衛すらいないこんな屋敷じゃ、いつ誘拐犯がやってきてもおかしくはない。
というよりも――、
「其方にはいたか?」
「いえ、誰も見ていません」
「まだ屋敷の中でしょうか?」
「くまなく探してから火をつけたハズだ。それは有り得ぬ」
「では……」
「ここには8人残れ。残りは周囲を確認する。足跡一つ見逃すな! 必ず全員仕留めるのだ!」
あまり遠くは分からないけど、多数の人間が四方に散っていく気配を感じる。
あれは間違いなくアルフィナ様を探しているんじゃないな。シルベさんを探しているんだろう。
というかどういう事? あの人逃げちゃったの?
アルフィナ様を追っていったって事は無いだろう。匂いが無い。
じゃあ屋敷の中で死んでいるの? でも連中は殺していないようだし……いや、今はよそう。それより先に追跡しなきゃ。
――意味はあるの?
頭の中で、誰かが告げた気がする。
追いかける? この体で? この速度で?
今なら匂いで追える。でも向こうはきっと、そう簡単には止まらないだろう。
かなりの人数を感じた。ただの誘拐とは思えないような武装と数だ。準備も万全だろう。
――何をするの?
仮に追い付いたとして、僕は何をするんだ?
アルフィナ様を離せとでもいうのか? いや通じないよ。言葉も話せないし。
じゃあ振動で攻撃でもする? レッサーベアーを驚かす事も出来ない振動だよ。
考えれば考えるほど、無力さに打ちひしがれる。
無力、無能、無様。ただの元村人。本体から切り離された触手の先端。何も出来やしない。まるで、この世の全ての絶望が襲って来たかの様に感じられる。
拾われなければよかったのか? あのままグリフォンにでも運ばれて餌になっていれば良かったのか?
それとも、もっと早くに死んでおくべきだったのか?
そうすれば、こんな情けない思いをしなくてすんだのか?
ジャリ。
何かが砂を踏む音がすぐ近くで響く。
いつの間にか、一人の男がこちらを見ていた。
見たことの無い顔。20歳くらいの大人。灰色の髪、黒く鋭い眼光。表情は無く、右手に持った剣を振り上げる。
あれが僕に死をもたらすのだろうか?
その方がマシかもしれない。こんな苦しい思いをしたまま、どうして生きていられよう。
でもダメかもしれない。レッサーベアーの様に、僕を傷つけられないかもしれない。
その時はきっと、散々に嬲られたあげくに放置されるんだ。そして死ぬまで、自分の無力さを呪うんだ。
――違うだろ?
――違わないよ。
――まだやれることはあるだろう?
――もう無いよ。全部やったよ。
――本当にそうか? もっと頼れよ。仲間だろ?
――仲……間。
――俺達はいつでもお前と共にある。さあ!
――助……けて……。助けて! 僕はお嬢様を助けたいんだ!
男は41番と呼ばれていた。それが生来の名前ではない事は明白だ。本当の名前はこの仕事に就いた時に捨てた。
この番号も、”今回は”というだけに過ぎない。前回は確か24番だった。
ここに何しに来たのか……そう、全員殺す。そして屋敷に火を放つ。痕跡は全て消し、後は帰還するだけだ。
しかし失敗した。一人逃してしまった。もう一人は予定通り殺し……いや、殺していない。なぜ? おかしい。
だがそれを考える前に、何か奇妙な小動物を見つけてしまった。
30センチほどの見た事の無い生き物。丸みを帯びた細い体。色は肌色で、質感も人の皮膚の様。まるでのっぺりとした男性器の様だ。
別に放っておいても良かった。こんな無害そうな生き物など。
しかし、さっきまではいなかったように思う。それにこんな炎に照らされた庭に生き物が出てくるのは余りにも不自然だ。
……何か魔術的な存在の可能性がある。
慎重も時には害となる。だがそれは、恐れるあまり手を止めてしまった時だ。
だが自分は問題ない。危険因子は排除する。
ごく普通に剣を構え、足元を転がる生き物を突く。ただそれだけ。油断があったと言えば嘘になる。だが、これ以上の警戒が出来たであろうか?
――ガコッ。
顎を突き上げる鋭い掌底。
男にとっては鋭く、また周りの者にとっては鈍く、男の頸椎が外れる音が鳴った。
何一つ理解できなかった。男はまるで糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちると、そのまま地面に伏した。
カランと落ちた剣を、
何処から現れたのか、周囲の人間も分からない。ただ確実な事は一つ。敵であると言う事だ。
そして、それだけで十分であった。
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