新しい暮らし

「旦那様、ご婦人は二階でお休みになられました」


 先程すれ違った薄緑色ワンピースの女性が戻ってきて、そう告げる。

 空はどんよりしているけど、まだ日は落ちていない。こんな時間から休む事にちょっと驚いた。

 でも体調も良くなさそうだったし、もしかしたら病気なのかな。


 ワンピの女性、見かけは若い。そして可愛い。身長は150センチを少し超えたくらいかな?

 ほうきのように、ちょっと左右に広がった短めのグレーの髪。

 表情はちょっと不愛想だけど、大きな紺色の瞳、長いまつ毛。鼻は少し低いけど、ちょっと童顔で愛嬌がある。もし一緒の村にいたら同年代かと思って意識してしまいそう。

 きっと僕が人間のままなら騙されただろう。いや多分本人に騙す気は無いと思うけど――この人は30歳を超えていると思われる。

 内側から香ってくる匂い……加齢臭というのだろうか? そんなのを感じたからだ。


「そうか、無理をさせてしまったな」


「だ、大丈夫よ。町まではいかなかったの。テンタを拾ったから!」


 女の子が必死でカバー。


「そうなのか……でも疲れただろう。食事をとって、今日は休みなさい。ああ、それと……その生き物は何を食べるんだい?」


 ――いや、僕は何も食べないよ。


 なんて言っても通じませんよね。

 女の子は不思議そうに僕の全身をくるくる回して確認する。

 男性も一緒になって覗き込むけど……。


「うーん、見たところ分からないな。だけど魔物の可能性だってあるんだよ」


 そう言ってひょいと僕を持ち上げる。

 うん、嬉しくないし気持ちよくもない。男性と女性でこうも感覚が変わるものなのか?

 村にいた頃は意識したことも無いけど、これは僕のこの体のせいなのだろうか?

 なんにせよ抜け出そうと身をよじるが、結構握力が強くて抜け出せない。

 最終奥義の振動をするか? いやいや、さすがに攻撃するのはまずいだろう。


「分かっているわ。でもあたしなら大丈夫よ。わかるもん」


「そうだね、アルフィナなら大丈夫か。一応、詳しい事は明日になってから確認しよう。でも今日はそうだね……空いている檻があるから、それに入れておこう」


 ――この女の子はアルフィナっていうのか。聞いた事の無い名前……まあ当たり前だろう。

 取り敢えず、これから僕の飼い主様だ。ちゃんと覚えよう。

 というかなんか物騒な事を言われたな。でも仕方がないよね。僕だったらきっと、捨ててきなさいというよ。


「いやよ!」


 でも女の子は僕を掴んで取り返すと、どっしどっしと足音を立てて歩いて行ってしまった。

 背後では男性と女性の話し声が聞こえる。


「君はどう思う?」

「害はないかと。むしろ誰が害せるというのですか?」

「そうかもしれない……だけど――」


 そこから先は聞こえなかった。

 アルフィナちゃんは厨房らしき部屋に入ると、籠に置いてあるパン、棚のチーズ、吊るしてあるハムを切りとる。

 そして鍋でコトコトと煮えていたシチューを瀬戸物セラミックの皿に盛ると、全部まとめてお盆に乗せる。


 あまりにも手際が良い。まるでいつもそうしているみたいだ。家族と一緒に食事しないの? というか、お手伝いさんみたいな女性の立場は?

 なんて誰にも聞こえないツッコミも空しく、よいしょとお盆を持ち上げるとパタパタと2階へ上がっていく。


 一階中央の階段を登った先は大きな窓……だけではなく、左右に延びる廊下があった。

 片面には窓が並び、反対側の壁には左右共に3枚ずつ扉が並ぶ。

 その右手にある手前の部屋で止まると、一度床にお盆を置き、飾り気のない木のドアを開ける。

 そこは少しこじんまりした部屋。だけどベッドのシーツやカーテンは清潔で、きちんと清潔に保たれているのが分かる。

 僕の部屋のシーツを洗ったのは何年前だっけ? そんな情けない事を考える。


「テンタは何を食べるのかしら? 好きなものがあったら何でも食べていいのよ」


 そう言いながら、皿を僕の前に置きつつ自分も食べ始める。


 ――僕は大丈夫だよ。


 本当に、食欲というようなものがない。

 だけど不思議だ……なんだか眠い。疲れているんだろうか? それとも、もう時間切れ?

 寝るのが怖い。死んでしまう事よりも、この子が泣いてしまうんじゃないだろうか? そう思ったから。


「あらためて自己紹介をするわ。あたしはアルフィナよ。アルフィナ・コンブライン。よろしくね」


 まだ幼いのに、胸に手を当ててしっかりと自己紹介。年の割にしっかりとした子だ。

 それに苗字もちかー。やっぱりお屋敷に住んでお手伝いさんもいるのだから、僕たち庶民とは違うよね。


 もぐもぐ食べながらじっとこちらを見ている気がする。

 顔はどうしてもわからないけど、仕草から理解できる。


「パンはどお? スープは?」


 どうやら僕が何か食べるか気になっているようだ。

 当然だよね。何も食べない生き物なんていない。でも僕には口は無いからね。食欲もない。

 どちらかといえば――


 アルフィナちゃんの前でもそもそとアピール。


「なにかしら?」


 気付いてもらえたらしく、小さな手がぎゅっと僕を掴んで持ち上げる。

 ああ、これ。これが良い。多分きっと、これが本能ってやつだ。

 体は短くなって巻きつくことは出来ないけど、こうして触れているだけで幸せになる。

 それに一生懸命に体をこすりつけると、アルフィナちゃんも大はしゃぎ。それはもう、実に楽しそうに転がって笑う。

 楽しい……この気持ちだけで、今はただ十分に満足できた。

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