二人の出会い

「グルルルルルルルルルル」


 あー、うん。お腹がすいているのかな?

 確かにこれから冬の季節。野生動物も食料が減って大変だろう。

 目の前で唸っているのは、黒い艶やかな毛並みを持つレッサーベアー。ベアーと呼ばれているけど、どちらかといえばアナグマに近い。体長は1メートル程度。だけどその体に見合わぬ大きな手から生えた鋭い爪を武器に、本物の熊を襲って食べてしまう事でも知られている。

 ただ群れを作らない分、人間を恐れる。こんな人里近くに出てくる怪物モンスターじゃない。

 ぼくの村は大丈夫なのか? あれから長い時間が経った。過疎化が進み、廃村なんて事になっていたら大変だ。

 帰るところが――いや、そもそも無いよね、そんなものは。


 どうしようとか逃げようとか考える前に、諦めが体を支配する。

 蛇に睨まれた蛙が観念する時って、こんな気持ちなんだろうか?

 僕は抵抗も出来ず、レッサーベアーに食いつかれた。


 ――いだああぁぁぁぁぁ!


 痛い痛い痛いよ痛い。物凄く痛い!

 前言撤回だよ。このまま食われてなるものか!

 でも幸い、僕の体は固かった。正確には多分、皮膚が厚い。

 奴は鋭い牙と爪で僕の体を引き裂こうとするけど、幸い傷はつかない。でも痛い。

 というか、このまま無抵抗でいたらいつかは痛みで死んじゃうよ。はーなーせー!


 ブルブルと体を震わせる。もうその位しか抵抗のしようがない。


 ――全力の振動を受けろー!


 ブブブブブヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァァァァ!





 □     ◇     □





 ……無駄だった。僕は今、心の中で泣いている。

 こいつは僕を咥えたまま、草むらの中を疾走する。ずっと噛みっぱなし。本当に痛い。

 よほど飢えているのか、振動ごときじゃ諦めやしない。このまま巣に連れていかれるのだろうか? そういや、こいつの行動範囲ってどのくらいなんだろう?


 僕の村は農耕だけでは生きてはいけない。牧羊もするけど、それは極一部の余裕がある人だけだ。

 必然的に、野山での狩りが重要になる。だからこの辺りの野生動物に関しては、必然的に詳しくなるんだ。

 でもコイツの事は知らない。人を襲うような怪物モンスターの知識は、僕にはまだ早すぎたから。

 でも知っておけばよかった。

 まあ知っていたとしてもどうしようもないけどねと、3度目の振動攻撃。でも全くの不発。

 コイツの高さだと、草むらの外は見えない。というか、普通に考えれば人里になんて向かわないよね。

 せめて武器が欲しい。エリクセンさんの様な針があれば何とかなるかもしれない。

 そういえば、セルロットさんとアヴィニョンさんの武器って、結局何だったんだろう。

 痛い――いい加減に何とかしたい。誰か――みんな――助けてよ――。


 ――おまえが……。

 ――望むなら……。

 ――いつでも……。


 え? 一瞬、誰かの声が聞こえた気がした。

 だけどその時、僕の体は空へと舞った。正しくはレッサーベアーごと。





 □     ◇     □





 レッサーベアーの背中に喰い込む巨大なくちばし。バサバサと聞こえてくる大きな羽音。

 大鷲!? 違う、この辺りには小高い丘は会っても、そんなのが住み着くような高山は無い。

 音響定位エコーロケーションで状況を確認する。大暴れするレッサーベアー。噴き出す血。それでも僕を咥えたまま離さない。いい加減諦めろ!


 レッサーベアーを咥えているのは、頭は大きな鷲だ。羽もそう。だけど体は馬のように長い。

 いやよくよく見ると、上半身は鷲だけど下半身は獅子だ。


 この姿はグリフォン!?


 物語に登場する?


 そんなの大鷲より居ないよ!


 本当に何があったの!?


 頭の中で疑問とツッコミが交差する。

 そして遂に、バキッという音が響く。コイツと僕との耐久勝負は、僕の勝ちだった。

 レッサーベアーの背骨が砕け、遂にその口から解放されたんだ。


 ――どうしよう? ううん、どうしようもないよね。


 そう、もうあの時点でどうにもなっていなかったんだ。

 強風吹き荒れる高い空の上から、僕は落ちて行く。今の感覚も便利だけど、こんな時は目が欲しいと思う。

 反響定位エコーロケーションじゃ遠くの事は分からない。もし見れたのなら、きっと村を見ることが出来たかもしれないのだから。





 □     ◇     □





 ――痛い。

 風に流されながら、何処まで飛んだんだろう。土の上にボテッと落ちた。モロに。

 痛いというより、鈍い感触。そうか……ついに死ぬんだ。

 雪が舞い、微かに積もっている。寒い……。


 あれから長かったと思う。きっと何年も経っている。

 僕が村を出た時、グリフォンなんていなかった。多分だけど、南の海を渡って来たんだと思う。

 歪む英知と虚空の神ヴァッサノを滅ぼした国。世界のお手本だと思われた国。そして今や滅んだ国だ。

 あそこから怪物モンスターが次々とやって来る。僕らの国も、もしかしたら滅んでしまっているのかもしれない。

 でもそれは無いはずだ。ここは絡まる螺旋と太陽の神アステオの加護がある。

 確かめたい。最後に死ぬ前に、村の無事な姿を見たい。でもそれも……。


 視界――なんてものは無いけれど、世界が霞む。感覚が弱まっているのかもしれない。

 静かな風、しんしんと降る雪。いつの間にかその中に、何かがいた。

 またレッサーベアー……じゃない。人? 子供?


 そっと、僕の頭の近くにしゃがみ込む。

 何だろうか、よく判らない。

 だけど、ふと温かい何かが僕に触れる。これは手? 小さな手だ。

 その途端、体中に熱いものが走る。そして感じる、今まで味わった事がないほどの幸せを。

 全力で、その手に体をこすりつける。温かい。柔らかい。すべすべだ。

 触れただけで味覚も感じとる。甘い。それにいい匂い。もっとずっとこうしていたい。


「あなたは逃げないのね。それとも、もう動けないのかしら?」


 やっぱり幼子の声だ。反響定位エコーロケーションで見ると、まだ小さな、多分6つか7つ位の子供。

 だけど違う。変だ。おかしい。顔が分からない。


 そこは歪んでいた。ぐるぐるぐるぐると渦を巻き、何も見えない。感じ取れない。

 それはまるで波紋のように広がって、周りの景色も微かに歪んでいる。ううん少し違う。見た目だけじゃない。そのもの……本質……運命すらも歪めている。


 僕の体が、ひょいと小さな手に抱かれる。


「ママ―、何か拾った―」


 小走りにかけていく幼女。いや、本当に人間なんだろうか?

 歪んでいるこの子を少しだけ不気味に思う。だけど、僕は何も抵抗できなかった。

 この子が心の底から、嬉しそうにしていたのだから。

 そして何よりも、こうして触れられている事が何よりも気持ちよかったのだから。

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