第13話 神の幻

 暗い……真っ暗だ。だけど、この短い体にも慣れてきた。

 体を震わせ、微弱な振動の反射で周囲の様子を確認する。反響定位エコーロケーションというらしい。

 そして温度と匂い。それらが合わさって、まるで目で見た世界のように僕の中に投影される。

 目は無いけど見ているような映像。多分これは、僕が視覚を主体に生きて来たからだろうと先生は言っていた。

 ただ人間の時とは違って、死角が殆ど無い。真後ろまで見える。それに明かりも関係ない。まるで昼間の様だ。

 この変な光景は慣れないうちは不気味だったけど、今はもう慣れた。


 僕がいる所は、教会地下の側溝から外へと通じる穴の中。あの日は雨が降っていたのだろう。結構水かさが多い。僕が流れるほどだ。

 確か地下を掘った時に、地下水が流れ出したとかって話だったと思う。

 それをどうにもできなくて、ああやって壁沿いに溝を掘って流したんだ。

 そんな場所を、僕は今ゆっくりと流されている。


 今の僕は、直系6センチに長さ30センチほどの体。先端は少し丸くなっていて、あとは目も口も耳も無いのっぺりとした体。


 ――何で生きているんだろう?


 斬られた瞬間、死ぬ事を理解した。

 なのに僕はまだ死んでいない。ゆっくりと流木のように流れている。

 みんなもこうしているんだろうか? 多分だけど、僕だけって事は無いはずだ。

 そうだ、あの時断面に何を感じた。あれは何だろう?


 斬られた断面は、他の部分と同じ皮膚で完全に塞がれていた。

 ただスパッと平ら。もしかしたら直立できるかもしれない。そんな事を考える。

 僕も案外、図太くなったのかもしれない。そう考えながらさらに内側へと意識を向ける。

 人間であった頃は触ればいいのだけど、今はどうやっても自分では触れない。意識を集中させて、違和感を感じ取るしかない。


 ――何かれられた気がしたんだけどな?


 触れないからもどかしい。でも違和感は無いし、どこかが膨らんでいる様子もない。気のせいだろうか?

 そんな感じで諦めようと思っていた。ただ、この時の僕はちょっと暇だった。それが幸いだったのか災いだったのか、とにかくもうちょっと調べてしまったんだ……。


 ――ん?


 体の奥底に、何か黒い点のような物を感じる。集中する……集中する……集中……。

 ゾクリ――全身に悪寒が走る。身の危険を感じる。ダメだ! これ以上は関わっちゃいけない! そう感じた時には、もう遅かった。


 限りなく小さな黒い点のように感じていたものが、突然広がる。いや、世界が広がった。

 天に浮かぶのは、太陽の何倍も大きな黒い球。でも輝いているんじゃない。光を奪う漆黒の闇。

 その周りにあるのは真っ赤な空。血よりも赤い鮮やかな赤。

 大地は山も谷も無い平坦な地面。遥か彼方まで続く、小石一つないカーキ色の砂の世界。

 僕の体は……分からない。今の姿なのか、人であったのか……。


 その黒い太陽から、何かが世界中へ飛び散っている。渦を巻くように、広く、広く。

 それが何なのか、僕には分かっていた。なぜだろう? 理由は分からない。

 それは黒い羽毛。綿より軽く、鋼鉄より硬く、何にも侵されない不滅の存在。


 ――歪む英知と虚空の神ヴァッサノ



「ヒャハハハハハハハハハハハ!」

「ギャーッハッハッハッハハハ!」

「オホホホホホホホホホホホホ!」

「アハハハハハハハハハハハハ!」


 無数に重なる笑い声が世界に響く。

 酷く耳触り。酷く不快。だけどその声を止めることが出来ない。


「フハハハハハハハハハハハハ!」

「イヤァーッハハハハハハハハ!」

「ケヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 浸食される。心が、体が。

 その心は本当に僕のもの?

 体は? 今僕の体は人なの? それとも触手なの?


 黒く、黒く、黒く、闇が僕を蝕んでいく。


 ――やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ!


「ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ!」

「クスクスクスクス!」

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

「ワハハハハハハハハハハ!」


 笑い声が止まらない。

 僕の叫びも止まらない。

 もう上も下も分からない。


 ――うああああああああああああああー!


 助けて! 誰か助けて!



 <神託を授ける>


 突然声が消えた。いや、何もかもが消えた。音も、光も、何もかも。


 <滅びの子を導くが良い>


 誰を? 何処に?


〈哀れな存在よ〉


 それはどっちの事を言っているの?


〈誰からも祝福されぬものよ〉


 それはもう……理解しているよ。祝福されているのなら、こんな事になんてなるものか。


〈されど、故に、なん、なんじ、じ、じじじじじじじじじじじじじ――がーーーーーー〉


 ――あああーーー!





 気が付くと、僕は川べりの淀みに引っかかっていた。

 教会の地下排水溝の水が何処へ行くかなんて気にした事は無かったけど……そうか、この小川に通じていたのか。

 どんな経路で流れて来たのかは思い出せない。最後の記憶は背後で感じた宿主オークの死。

 少し意識が飛んでいる気もするけど……どうでもいいか。


 空まで反響定位エコーロケーションは届かない。だけど何となく、体感で日中な事くらいは分かる。

 空からはチラホラ冷たく白い粒が落ちてきている。そうか、今は冬なんだ……。

 ぼんやりしながらみんなの事を考えるけど、結局意味は無かった。

 僕はもう戻る事なんて出来ないし、それどころか、ここから抜け出すことすら難しい。

 体をよじり、もそもそと動く。だけどうまく動けない。

 やっぱり短すぎる。せめてあと10センチ長ければ体の自由も効くのだけれど。


 水が冷たい。動けなくなる程じゃないけれども、それでもこのままは色々とマズそうだ。

 一度流れてしまったら泳ぐなんて出来ない。まだ見た事の無い海ってものを見られるのは良いかもしれないけど、その先は? 考えるだけで恐ろしい。


 よじよじと全力で身をくねらせながら砂と土を掻き分け岸へと上がる。

 傍から見たら無様なのだろうけど、僕としては必死だ。

 でもまあ、ここが浅瀬で良かったよ。それに凍る前で良かった。結構運が良かったのかな?

 なんて考えるけど、直ぐに現実に引き戻される。運も何もないよね。


 オークの体から切り離されてもまだ生きているなんて驚きだ。だけど、それもいつまでもつのかは分からない。

 僕に残された時間は、後どの位なのだろうか……。

 悲しみと絶望が身を包む。将来への不安で心が押しつぶされそうだ。

 だけどそれよりも先ず、目の前に差し迫った脅威が迫ってきていた。

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