第9話 身を焦がす本能

 あれから、随分と長い時が過ぎた。何か月――いや、何年かもしれない。

 この頃には本能の意味も十分に理解できた。

 僕の欲求の一つ目は睡眠。だけど人であった時よりも要求は少ない。数日に数時間くらいだろうか?

 空腹や渇き、排泄欲なんかは全くない。


 起きていられる時間が長い事は、昔だったら便利に感じたと思う。生きるためにやらなきゃいけない事が、それこそ山ほどあったからね。


 だけど今は、寝て過ごす事が出来ないのはひどく苦痛だった。特に同じ拘束触手でご隠居と呼ばれている、オバヨンじいさんの長話が辛い。

 何十回と繰り返される同じ話。内容の殆どを暗記してしまった。


 そういえば、僕の記憶は何処にあるんだろう。この触手の中にだろうか? それとも、あのオークの中なのだろうか。

 まあ、どうせ千切れたら死ぬんだろうから関係無いかな。

 それよりも、問題なのはもう一つの欲求の方だった。


 ――やーらーせーろー!

 ――やーらーせーろー!

 ――やーらーせーろー!

 ――ぷがー!


 僕を含め、合計49本の触手による華麗なる3列ウェーブ!

 それはもう、一糸乱れぬ美しさだ。

 何せこれしかやっていない。暇を持て余していた僕らは、ひたすらこの練習だけをして今まで過ごしてきたんだから。

 この豚野郎オークは僕を殺した後、なぜかこの教会の地下から一歩も動かなかった。まるで、もう用は済んだと言わんばかりだ。

 そして誰一人として来ない!

 いや、何回かは来ているんだ。だけど上から松明がちらりと見えると、そのまま帰ってしまう。

 きっと、まだ魔物がいるから入れないんだ。というか、さっさと退治してください。

 それで僕らも死んでしまうかもしれない。だけど、それがどうでも良いと思えるくらいに激しい飢餓感が僕らを襲っていた。


『とにかく女の子に触りたい!』


 僕の欲求は、とにかくこれに尽きる。

 すべすべな肌に、ぷにぷにした肌に、しっとりした肌に、とにかく触りたい。触れ合いたい。

 今なら、どんな女性にだって迷わず巻きつく自信がある。

 空腹、乾き、排泄……それらを全部足したよりも、更に大きな欲求が心を焼く。


 ――やーらーせーろー!

 ――やーらーせーろー!

 ――やーらーせーろー!


 他のみんなも思いは同じ。なぜ触りたいじゃなくてやらせろなのかは分からないけど、多分意味は同じだ。


 考えてみれば、僕は異性と触れ合った事なんてほとんどない。

 僕の村はただでさえ貧しかったのに、飢饉に疫病、魔物にまた飢饉、寒波にまたまた飢饉と災難続き。

 若手の多くは徴用されたり出稼ぎに出たりで、村に残っているのは50歳過ぎのお年寄りか20歳過ぎのおばさんたち。

 上で一番若いのは24歳のベベットおば……お姉さんだったかな。

 下は確か、モルフトさん家のユイリが3歳か4歳だっただろうか。もう少し歳が近い子もいたけど、みんな売られてしまった。

 だから女の子なんて見た事もほとんどない。今まで興味すらなかった。なのになぜ、こんなにも身を焦がすのか。


 ――女の子に触りたいよう!


 ――言うな、クレス。みんな我慢しているんだ。

 ――うあああー、やりてー!

 ――今なら俺、どんな酷い事でも出来る気がする……。

 ――女ー! うおおおぁー!

 ――出させろ―!


 各々に叫びながらも、華麗なウェーブは続く。

 もう気が狂いそうだ。いっその事、本当に思い切って殺して欲しい。



 カツンー。


 そんな僕らの想いが神に届いたわけでもないだろう。

 だけど、上から響いた足音。それに僅かに感じた金属が擦れる音。響く重量感。静かな呼吸。

 人が――それも今までの様な様子見や偵察じゃない。武装した人間が、ようやくここにやってきてくれたのだった。

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