第17話 結奈の過去


「私の両親、10年前に亡くなったんです。交通事故でした」

当時のことは未だに覚えている。

まだ小学生だった私は、共働きの両親の帰りをいつも家で待っていた。

お夕飯は家族揃って食べる。

これが暗黙の了解だったからだ。

みんなで食べるご飯は美味しい。

だから、その日も私は待っていた。

料理を作りながら、何度も時間を確認する。

──プルルルル

シンと静まり返ったリビングに、不意に電話が鳴った。

「はい、神崎です」

電話など別に慣れていた。

親の不在時にかかってくることはよくある。

だけど……

『落ち着いて聞いてください。ご両親が交通事故で搬送されました。詳しいことは──』


この人は何を言っているのだろうと思った。

お母さんとお父さんは、これから家に帰って私とお夕飯を食べるのに──


電話の相手が誰だったのかも、私がどう受け答えしたのかも忘れたが、気がついたら病院だった。

医者に説明を受けていることも何となく理解した。

それでも、やはりよくわからない。

お母さんとお父さんが昏睡状態だと、それだけ頭に入ってきた。

回復の見込みはないとも。


そしてそれから1週間後。

両親は息を引き取った。

お見舞いに行った記憶はあるが、その間どう過ごしていたのかは断片的にしか記憶にない。

やけにアルコールの匂いが鼻をついた。

理解出来なかったから、お葬式に出ても泣けなくて、ぼんやりと周りの泣いている人たちを見ていた。

不思議と悲しいという感情が湧き上がらない。

周りの人からかけられた哀れみと励ましの言葉でさえも雑音に過ぎなかった。


自分はこんなにも冷酷な人間だったなんて。


それから今迄ずっと。

寂しさはあるが悲しいと思えない。

だから──

「だから、私は優しくなんてないんです」


私が話終わっても、葉月さんは黙っていた。

普段何を言っても返してくれるのに、黙っていた。

私たちの間を、虫の鳴き声や草木の揺れる音だけが流れていく。

(怒らせちゃったかな?……それとも嫌われたのかな?こんな面白くも何ともない話をしちゃったから。本当は話すつもりなかったのに。なんで話しちゃったんだろう)

せっかく楽しい気分で終わるはずだったのに。

ついまた、受け止めてもらえると縋ってしまったのだろう。

最悪だ。


無言で術を消し、自室へと戻っていく葉月さんを、私はずっと見つめていた。


その日の夜中。

日付もとっくに変わっている頃だった。

私はぼんやりと部屋の隅に座り込んでいた。

もう何時間こうしているのか分からない。

頭に巡るのは、後悔の念のみだ。

何故あんな話を……何故こんなことに……


「結奈さん、起きていますか?」

部屋に溶け込むような、静かで落ち着いた声が耳に届いた。

「……はい」

私は呟くように口にする。

「入ってもよろしいですか」

「はい」

怒られるのかもしれない。

思わず体を縮こませると、襖がそっと引かれた。


恐る恐る顔を上げて、私は思わず息を呑んだ。

微笑んでいた。

葉月さんが。

泣きそうな、辛そうな微笑みを浮かべてこちらを見ている。

「結奈さん、ごめんなさい」

「……え?」

その謝罪の意味が分からずにいると、葉月さんは私の隣に座り込んでもう一度謝った。

「ごめんなさい」


「なんで……謝るのは私の方です。あんな話、するはずじゃなかったのに」

すると、葉月さんは顔を歪めた。

「違う。違います。結奈さんは勇気を出して話してくれた。なのに私は、いつも逃げてばかりで……」

そこでやっと、私は葉月さんの言いたいことを理解した。


葉月さんは私に自分の過去を話そうとしたのだ。

私が話してくれたから、と。

「そんな!そんなの……私はそんなつもりじゃ!」

「わかっています。結奈さんはそんなつもりで話してくださったのではないでしょう。だからこれは、私の意地だと思うのです。結奈さんが頑張ってくれたのなら、自分もしないと。そう思って。でもいざ話そうとすると言葉が出て来ない。……失望したでしょう。こんな弱腰な自分。私は嫌いです」

感情を抑えるような声は酷く痛々しかった。

あぁ、一緒だ。

一緒なのだ。

葉月さんもずっと、過去の何かに縛られている。

一緒だからこそ、痛いほど気持ちはよくわかる。

自分は簡単に己を否定するのに、相手に否定されるのは恐ろしくて。

結局黙り込んで閉じこもってしまう。


「葉月さんがどんな過去に苦しめられているのか、私には分かりません。でも、私はこんな形で過去の話を話して欲しくはないです。葉月さんが話したいと思ったその時に、話してください。大丈夫です。私は葉月さん曰く、なんでも受け入れることの出来る優しい人らしいので!」

無けなしの語彙力を目一杯使って、ついでに自分を少しだけ肯定して、一生懸命伝えた言葉に、葉月さんはやっといつも様に微笑んだ。

「ありがとうございます。結奈さんに大丈夫と言われると、なんだか本当に大丈夫な気がしてきます。何故でしょうね」

ふっとお互い体の力を抜いて、壁によりかかった。

喧嘩ではないと思う。

それでも、これは私たちの関係を壊すような、そんな出来事だった。

それを感じ取っていたからこそ、気付かぬうちに体に力が入っていたのだろう。


「私の名前の由来、神力の色から来ているそうです。緑に光った尻尾を見て、私の母が葉に似ていると思ったとかで。月の光で葉のように見えるから、葉月。初めてその話を聞いたとき、なんというか、もう少しなかったのかと思いました。いい名前だとは思うのですけどね。でも、名は体をあらわすといいますから、せめてどんな大人になって欲しいかくらい教えて欲しかったですよ」

唐突に、呆れたように言い、そして私の名前の由来を尋ねてきた。

「私は……正直覚えていません。聞いたことはあると思うんですけど。結の方は恐らく良縁に恵まれるように、という意味だったような気がします」

奈の漢字はイマイチよくわからない。

響きがよかったとか、そんな感じだろうか。


「では、結奈さん奈という漢字は、優しいという意味にしましょう。実際にそういう意味は含まれていますから。優しくて、多くの人に愛される。ね、ぴったりだと思いませんか?」

「だったら、葉月さんは元気で優しくて穏やかという意味にしましょう!月は穏やかで暖かなイメージですし、葉は元気なイメージがありますから」

いつの間にか、いつも通りの他愛のない話が続いていく。

その事にほっとしたのは、きっと私だけではないだろう。


障子の外は夜明けが近いのか白んできている。

「明日……いえ、今日と言った方が正しいですね。結奈さん、今日は一日お休みしませんか?」

「え?それってどういう……」

急な提案に目を丸くしていると、葉月さんは名案を思いついたときの表情になっていた。

「たまには休みの日があったっていいと思うのです。よく考えてみれば、私達ずっと働き詰めじゃないですか。どうです?旅行とか。でも、家でのんびりするのもいいですねぇ」

「それは確かに楽しそうですね!でも受け取りに来なかった患者さんのお薬はどうします?」

いつもは患者さん第一に考える葉月さんにしては珍しい。

思えば今日はずっと珍しいの連続だ。


ちらりと葉月さんの顔を盗みみれば、その理由は一目瞭然だった。

(そっか。疲れたんだ。前に私が熱を出したときもそうだった。人は心が疲れると体も疲れる。きっとそう。だって葉月さん、顔色すごく悪いもの)

私のせいで、家の護符や変化の術を使わせてしまっていた。

その上街中でも気を張っていたはずだ。

あの鬼のように、私の正体を見破ってしまうような妖がいるから。

でも私はなんの力もないから、こういうときに役に立てない。


「……もう暫く待ってもらいましょう。大丈夫、急ぎの薬ではないのですから。だから、今日は……」

(寝ちゃった……?)

スースーと寝息を立てて眠る葉月さんに、私はそっと毛布をかけた。

本当は布団に運びたかったが、流石に成人男性を運ぶことは難しい。

下手に引きずれば起きてしまうだろうから。

「おやすみなさい、葉月さん」

申し訳なく思いつつ、私は羽織にくるまって敷き布団へ横になった。

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