第14話 漢方薬局〜月光〜

 それから着くまでの間、私達は軽くお昼をとって、身支度を整えた。


「着きやした。一人40軽(けい)でぃ」

「ありがとうございました」

 まだお金を持っていない私の分も葉月さんが払ってくれた。

 因みに、軽とは軽銀(アルミニウム)のことで、この世界で1番価値の低い貨幣だ。

 次が銅。

 その次が銀。

 そしてやはり最も価値が高いのが金だ。

 大きさは皆均等で、日本の100円玉と同じ大きさである。


「お金払ってもらって……すみません」

「何をおっしゃいますか。結奈さんはそれ相応の仕事量をこなしてくれています。寧ろ私が無駄働きさせてしまっていたことに、結奈さんは怒っても良いと思うのですが」

 己を怒れと主張する葉月さんが面白くて、私は笑いを零した。

「じゃあ、これからはお給料を頂きたいです」

 冗談交じりに言ってみると、葉月さんも笑いながら了承してくれた。


 停留所から徒歩5分。

 江戸の町並みを再現したかのような、木造の家が立ち並ぶ所へと到着した。

「ここ……皆お店ですか? 」

 私は驚いて葉月さんを仰ぎ見た。

 どの建物も看板や暖簾が下がっており、店員の客への呼び込みの声がそこかしこで響いている。

 とても賑やかで、楽しそうな雰囲気だ。

「ええ、そうですよ。昔は住宅街だったようなのですが、個人経営が流行り始めて。今では立派な市場となっています」

「おお! 市場!! 」

 きっと、この中に葉月さんのお店もあるのだろう。

 迷いない足運びで進んでいく葉月さんの背中を追いつつ、私はついつい辺りを見回していく。

 駄菓子屋、呉服屋、喫茶処……

 八百屋や魚屋、肉屋もある。

 ふと気になるお店を見つけ、もっとよく見ようと前のめりになっていた、その時。


「わっ! 」

 よそ見をしていたせいで、誰かとぶつかってしまったようだ。

「す、すみません! 」

 慌てて頭を下げる私。

 俯いていてよく分からないが、ぶつかった相手が目の前にいるのは分かった。

 影が私に被さっている。

「……? 」

 言葉を発することもせず、まんじりともしない相手に流石に不信感を抱き、私はそっと顔を上げた。

 見上げた私の目に映ったのは、生気のない暗い瞳だった。

 視界の全てが、暗いその瞳で埋め尽くされる感覚に襲われて、私は体を強ばらせる。

 怖い。


 どのくらいそうしていただろうか。

「お前、本当に狐か? 」

 地を這うような低い声で問われたその言葉の意味を、私は上手く理解できなかった。

「結奈さん!! 」

 止まっていた時間を動かしたのは、葉月さんの声だった。

 グイッと私の腕を引いた葉月さんは、警戒するような顔つきであちらを一瞥した後、私の手を引いてその場を去る。

 少し早足気味の葉月さんに引っ張られながら、私はちらりと後ろを振り向いた。

 だがそれも一瞬のこと。

 なんとも形容詞がたい悪寒に身震いして、私は前を向くことに務めることにした。


 ぶつかった相手は鬼だった。

 2本の角と鋭い眼光。

 人間に似ているようで、どこか浮世離れしている顔立ち。

「大丈夫ですか? 」

  前を向いたまま尋ねてくる葉月さんの背中を見つつ、私は「はい」と小さく返事した。

「さっきの、鬼ですか? 」

 まだ鮮明に思い出せる。

 感情の読めない瞳と尖った角。

 そしてあの言葉。

 この街の人とは違うオーラを放っていた。


「ええ。本来鬼は黄泉の妖なのですけれど……。もしかすると野妖(やよう)かもしれませんね」

「野妖? 」

「どこにも家を持たない妖のことです」

 ホームレスのようなものか、と私は納得する。

 葉月さんの言い方から察するに、あまり良くない存在なのかもしれない。

「あの、葉月さん。私が狐じゃないとさっきの鬼は気づいてたようですけど、なぜ分かったんでしょう」

 葉月さんはその問いに苦笑した。

「それは、結奈さんから神力を感じとれなかったからでしょうね。鬼は妖力や神力を見分けられる、特殊な目を持っていますので」

 ふと思い出す、先程の不思議な感覚。

 全てを見透かされるような感覚。

 あれはきっと【見られていた】のだろう。

 もし私が人間だと完全にバレていたら、私は一体どうなっていたのだろうか。


「ここです」

 悶々と考えていた私の思考が、葉月さんの声によって打ち消された。

 顔を上げると、2階建てのお店が目に入った。

 木製の看板で『漢方薬局ー月光〜診察・注文承ります〜』と書かれている。

 引き戸と障子窓がいかにも【和】を感じさせ、扉の横に置かれた大きめの金魚鉢が涼し気な印象を与えていた。


 鍵を使って葉月さんが中へと入っていく。

 続けて私も入ってみると、家の地下と同じ、漢方薬の香りが私を迎え入れた。

「少し掃除をしてから開店します。お手伝いお願いします」

「はい! 」

 一週間前に来たばかりらしいが、やはりそこは商売の基本。

 店は清潔に、だ。

 ハタキを使って商品棚の薬瓶をさっと拭いていく。

 その間に葉月さんは床と接客用のテーブルを磨いていた。


 掃除を終えると、葉月さんは私に正方形の布を渡してきた。


「これを頭につけてください」


 そう言いつつ布を三角に折り、葉月さんは自分の頭に被せた。

 三角巾だ。

 葉月さんを手本に三角巾を身につけると、薬師らしい格好になった。

 店前に開店の看板をかけて、いよいよ開店だ。


 カラカラと戸が引かれ、早速一人目のお客さん。

(いや、患者さんかな? この場合)

 少し緊張しつつ扉へと目を向けると、烏天狗と思しき妖が入ってきた。

 背中にある立派な翼をパタリと閉じて、烏天狗の青年は私たちのいるカウンターへと向かって来る。

 顔が異様に真っ赤で、熱があることが見て取れた。


「こんにちは」

「こんにちは。あの、今日は診察してもらいに来たのですが」

「分かりました。では、まずお名前と症状を教えてください」


 どうやら初めての来店らしい。

 私はカルテをめくる手を止め、新しいページを開いた。

 そして筆に墨汁を浸して……


(いや、まって。私習字とか得意じゃなかったんだけど!! 和紙に筆って……書き辛いよ)


 しかしここには鉛筆がない。

 シャーペンなどもっての外だ。


「黒尓(こくじ)といいます。最近微熱が続いていたのですが、仕事の忙しさにかまけて休息らしい休息を取らなかったのです。そのせいか、ついに昨日高熱を出してしまって」


「なるほど。睡眠や食事はきちんととっていましたか? 」


 葉月さんの質問に黒尓さんは「うっ」と息を詰まらせた。

 そして言いにくそうに目を逸らしつつ、苦笑する。


「……どちらもあまりとっていなかったですね」


 これは……私でも原因はわかる。

 徹夜に栄養失調、そして疲労。

 典型的な過労だ。


「喉の痛みや鼻ずまりはありますか? 」

「ないです」

「では、現在何か飲まれている薬はありますか? 」

「それも、ないです」


 私が苦戦しつつも質疑応答を書き留める横で、葉月さんは薬の処方を始める。


「こちらが補中益気湯(ほちゅうえっきとう)と呼ばれる、疲労回復の薬です。それからー」


 薬の説明と用法、それから内容量を伝えつつ、葉月さんは紙にそれらを書き出した。

 この世界にコピー機とコンピュータはないのだろう。

 実に面倒だ。

 処方箋と薬を大事そうに抱えて黒尓さんが帰っていった。


「おぉ、さすが結奈さんですね! しっかりと診察した内容が記録されています」


 目を輝かせて喜ぶ葉月さん。

 役に立てたようで何よりだ。

 字が若干ヘニョヘニョなのはご愛嬌ということで。


 それから5時間弱。

 街の提灯に明かりが灯り始めた頃に、葉月さんは店の戸締りを始めた。

 来店してくれた妖は12名。

 今日はそれほど多くないようだ。

 それに、注文を受けていた妖も数人来ていないとか。

 葉月さんは、不定期に店をあけているから仕方ないと言っていたが、取りに来なかった場合は届けるしかないらしい。

 明日も忙しそうだ。


「結奈さん、お疲れ様でした。何か食べてから帰りましょうか」

「はい!」


 私は今にも騒ぎ出しそうなお腹を抑えつつ頷く。

 お昼が軽かったからとても空腹だ。

(なんかガッツリ食べたい。お肉とかお肉とかお肉とか)


「何か食べたいものはありますか? 」


 葉月さんの質問に、私の脳内では肉料理賛成運動が行われていた。

 しかし、だ。

 女子たるものあまりがっついては行けない。

 だけど食べたい。


 むむむっと考え込む私に、葉月さんは苦笑した。


「遠慮なさらず言ってくださいね。私、この辺のお店は大体行きましたから、どんな料理でも美味しいお店にご案内できますし」


 少し自慢げに言う葉月さんに、私の迷いは打ち消された。


「美味しいお肉料理が食べたいです! 」

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