第13話 いざ、天中へ

 翌日、朝食を簡単に済まし、早速出掛けることになった。


「結奈さん、そろそろ行きましょう」


 自室で髪を整えていた私の耳に葉月さんの声が届いた。

 男性の方が支度が早いというのは、どこの世界でも相場が決まっているのだろうか。

 待たせては悪いと思い、慌てて部屋を出ると、薬箱を担いだ葉月さんが居間と廊下をつなぐ台所から顔をひょっこり出しているところだった。


 手早く狐化をしてもらったところで、葉月さんはもう1枚袖から札を出す。

 結界の護符だ。

 これが家の鍵の代わりになるらしい。

 私が来る前は外出時だけ術をかけていたみたいが、今では家にいる時でもかけているようだ。

 なんというか申し訳ない。

 神力は体内エネルギーを消費するのだから、こう何度も術を使わせては疲れるだろう。

 それでも今の私にはどれも必要なのだ。

 慣れない世界に戸惑っている私には。


「さて、行きましょうか」

「はい!! 」


 私は五日ぶりに外へ出ることに、不安と嬉しさでいっぱいになった。

 戸を開けていざ外へ。

 眩しい太陽の光と森林の爽やかな香りが、私を包み込む。

 今日も桃源郷はいい天気だ。

 このまま山をおりて、山間にある小さな村の牛車乗り場へ向かい、そこから牛車で町へと行くらしい。

 今は早朝だが、町につくのはお昼頃になるとか。


(いらないところで古風なんだから。車も鉄道もないだなんて! )


 ただ、黄泉にはどちらもあるらしく、またそこが少し気に食わない。

 葉月さんを頼りに難なく山を下りると、小さな家が沢山集まった場所に出た。

 ――村だ。

 流石に朝早いため、妖は全然いない。

 朝霧に溶け込むように、私達は近くの牛車乗り場へ急ぐ。

 牛車の本数はかなり少なく、一日に五回出れば多い方らしい。

 日本の田舎より酷い。

 繁栄してる所では何十箇所も乗り場があるが、この村には端と端に一つずつ。

 牛車の整備と運営は、件(くだん)と呼ばれる半身半牛の妖が行っている。


「おや、薬師のあんちゃんじゃねぇか。またお仕事かぃ? 忙しいなぁ」


 牛車乗り場に着くと、いかにも江戸の者といった口調で、人の顔と牛の体を持つ男性が話しかけてきた。


「おはようございます、唯太郎(ゆいたろう)さん。今日は天中(てんちゅう)に売りに行こうと思いまして」


「へぇ、天中かぃ。朝からご苦労さん。ところでそちらの女狐さんは? 見かけねぇ顔だなぁ。あんちゃんの妹かぃ」


「ひゃい? ! 」


 二人の会話をぼんやりと聞き流していた私は、声をかけられて驚く。

 思わず奇声を上げてから、はたと気づいた。


(そっか。狐姿だし、歳も近そうだから……傍から見れば兄妹(きょうだい)に見えるのかも)


 どう答えようか分からなくて視線をウロウロさせていると、葉月さんが苦笑しながら答えた。


「いえいえ。遠い親戚の子ですよ」


 すると、唯太郎と呼ばれたおじさんは「あぁ」となにかを察した顔をした。

 葉月さんの家族事情に何か心当たりがあるのかもしれない。


「すっかり忘れていた。こりゃ失礼」


「いえ。この子も少し訳ありなのです。他にはあまり言わないでもらえると助かります」


「へい、承知した。さて、そろそろ出発の時間でぃ。早く乗りな」


 私の立ち位置は遠い親戚の子、という怪しいものになったらしい。


 私達はそそくさと牛車の中に乗り込んた。

 中は向かい合う形でベンチがあり、それらに挟まれる形で大きなテーブルが一つある。

 ベンチにはい草の座布団が敷いてあって、和の香りがしていた。


(……本当に何も無いなぁ。これから三時間、何していよう)


 恐ろしく暇になりそうな予感に、私は心の内でため息をついた。


 ガタゴト──ガタゴト──

 牛車が動き出してから三十分が経過。

 乗り心地は良い。

 寧ろ、ゆりかごに揺られているような感覚が眠気を誘ってくる。


 ガタゴト──ガタゴト──

 やることの無い私に、とても耐えられない眠気が襲う。

 ゆらりと視界が揺れて、私は心地良い眠りへと沈んでいった。


  ふっと意識が浮上し、目を開ける。


「…………? 」


 傾いている視界に一瞬戸惑い、そして理解した。

 寝ている間に葉月さんへもたれ掛かっていたのだ。


「良く寝ていましたね」


 ふふっと笑う葉月さんの声が振動として頭に響く。

 私は顔が熱いのを自覚しつつ、起き上がった。


「す、すみません。肩大丈夫ですか? 重かったですよね」


「全然。寧ろ硬い男の肩なんかで申し訳ないくらいですよ。それより、もう少しで関所に着きます。検問があるので、これを持っていてください」


 そう言って手渡してきたのは、木製円型に柏のマークが彫られ、紐で通されたペンダントだった。

 同じものを懐から取り出す葉月さん。

 私はよく分からないまま首にかけた。


「これは、薬師である免許証のようなものです。薬箱と羽織だけでは決定打にかけますからね」


「えええ、免許証って……私助手なのにいいんですか? 」


 まだ右も左も分からないような私に、薬師を名乗る資格なんてないのに。

 慌ててペンダントを外そうとするが、葉月さんに制された。


「大丈夫です。寧ろそれがないと関所を越えられませんから」


 国から普及される免許証は助手の分も含まれているらしく、薬師たるもの二つ三つは持っていて当たり前なのだとか。


「あの、葉月さん。着いたら私は何をすればいいんですか? 」


 薬師の証をつけている以上、ただぼうっとしているわけにはいかない。

 尋ねる私に、葉月さんは淀みなく答えた。


「結奈さんには薬の受け渡しのお手伝いと、あとは診療簿の記載をしてもらいます」


「しんりょうぼ……? 」


「ええ。薬師は薬を売るだけではありません。診察をしたり、アレルギーの有無を確認をしたりします。ですから、それらの記録をお願いしたいのです」


 診療簿という言葉に首を傾げていた私は、説明を聞いて「あぁ、カルテのことか」と思い当って頷いた。


「わかりました」


「あぁ、それから、一つこの世界についてお話していないことがありました」


 なんだろう、と耳を傾ける私に、葉月さんがずいっと私の耳元に顔を近づけてきた。

 どうやら唯太郎さんにも聞かれたくないことらしい。


「この世界では名字というものがありません。名字を持てるのは、黄泉の貴族だけなのです。ですから、結奈さんも名字は隠しておいてくださいね」


 私は何となくそんな気がしていたので、大して驚くことも無かった。

 だが、推測しているのと知っているとでは全然違う。

 聞いておいてよかった。

 私はしっかりと頷いた。

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