第8話 突然の訪問者

 この世界に来てから3日が経った。


 だんだんここでの暮らしにも慣れて、生活リズムもしっかりしてきた。

 そんな事実に焦りながら、それでも今の生活が少し楽しかったりもする。


 葉月さんが早起きなので、私もそれに合わせて頑張るようになった。

 休日は寝て過ごすような私が、だ。

 正直自力では起きれなかったので、烏滸おこがましいと理解しつつも葉月さんに目覚まし時計をお願いしたら、家の物置にあったものを渡してくれた。

『無理に起きなくても良いのですよ? 』

 などと言いながら。


 そんなこんなで、早朝から私たちは働き始める。

 朝食を終えて、葉月さんは薬草を取りに外へ。

 私は外へ出るのは危ないので、居間で大人しく薬学の勉強を。

 葉月さんは大体お昼頃に帰ってくるので、それまでに昼食を作る。


 因みに、お昼を私が作る代わりに葉月さんが朝食を作ることになっている。

 お昼が食べ終わったら、採ってきた薬草の仕分けや荒処理をする。

 このときにちょこちょこと薬学について教えてもらっている。

 そして夕飯を食べ、お風呂に入って就寝。

 3日間同じサイクルで回っていた。


 今日も私はお昼ご飯を1人で作っている。

 しんとした家の空気が少し寂しく感じるのは、きっと誰かがいる空間に慣れすぎたから。

 早く帰ってきて欲しいと思いつつ、私は1人黙々とネギを切っていた。

 今日のそうめんに添える薬味だ。

 あとは麺つゆを作るだけ。

 そんな時だった。


 ドンドンドンッと荒っぽいノック音がした。

「おい、出てこい狐!! もう一度家の中を改めさせてもらう。何処を探しても人間の娘がいないんだ。やはりお前が匿っているのだろう? 」


 突然訪れた危機に、私はビクリと肩を揺らす。

 怖い。

 今私は1人だ。

 あの薄いドアが破られたら、私はきっと屋敷へ連れていかれてしまう。

 きっと食べられてしまう。

 そうしたら……


【死】の文字が頭に浮かんで、私はカラカラに乾いた喉をゴクリと鳴らした。

 指先がビリビリと痺れてきて感覚がない。

「……留守か? 」

(お願い。もう帰って……お願いだから……)

「仕方ない。出直すか」

 そう言って、足音が二人分去ってゆく。

 良かった。

 私はほうっと息を吐いて、手にしていたお皿を置こうとした。


 だがそのとき、私は最悪の過ちをおかしてしまった。

 怯えの抜けない指先がもたつき、上手くお皿が置けなかったのだ。

 ゆっくりと、だが確実に落下していく。

 ついにはガシャンと大きな音を立ててお皿が割れてしまった。


 割れた音は外にも聞こえたようで、足音が再び近づいてくる。

「ほぉ? どうやら留守ではないようだな。まあいい。開けてもらえぬのなら自力で開けるまでだ」


 そんな声と共にドアを殴る音が聞こえてきた。

 その力がノックにしては乱暴で、ドアを無理やりこじ開けようとしているのが分かる。

 ドアのつっかえ棒がガタガタと音を立てる度、自分の命が削られていくような気がした。


 ミシミシと唸るドアが、次第に粉っぽい音を含み始める。

 ヒビが入り始めているのだ。

 ドアが壊されるのも時間の問題だろう。


(もうやだ。なんでわたしだけがこんな目に……)


 そのとき。

「!? 」

 突然口元を塞がれた。

 強い力で体を抑えられる。

「結奈さん、私です」

 聞き覚えのある囁きに、強ばっていた体の力が抜けるのがわかった。

 葉月さんだ。


 振り返って改めて確認すると、慌てて駆けつけたのだろう、肩で息をする葉月さんがいた。

「すみません。遅くなって」

 私はブンブンと首を振って、視線をドアの方に向けて、彼らの存在を葉月さんに伝える。

 それに、わかってるとばかりに頷き、葉月さんは客間を指さした。

 畳の下へ入っていろということだ。

 急いで私は客間へと飛び込み、畳の下に潜る。

 そんな私を見届けると、葉月さんはドアを開けた。


「遅くなってすみません。地下で作業をしていたもので……気づきませんでした」

 それらしい言い訳を述べる葉月さん。

 だが、その言葉を男は鼻で笑って一蹴した。


「ハッ、ガラスの割れる音が聞こえたのは俺達の気のせいだったと? 確かに聞こえたんだがなぁ。そうだろ、ダレン? 」

「ええ、聞こえました。かなりドアの近くだったかと」

 ダレンと呼ばれた男が、上司の問にうなずく。


「ガラス……? 」

 葉月さんの怪訝そうな声に、私はひゅっと息を吞んだ。

(ど、どうしよう! 葉月さんの証言だと、ガラスが割れたことを説明できない!! )


 言っておけばよかったと後悔するも、時すでに遅し。

 状況はまるで何かに引き寄せられるように、最悪な方へと流れていく。

 死の息差しがすぐ後ろまで迫っていると感じて、私はぎゅっと自分の腕を抱いた。


 ふと、恐怖で敏感になった私の聴覚が、僅かな足音をとらえる。

 それと同時に、「あぁ、台所の」と葉月さんの落ち着いた声が聞こえた。

「なるほど、確かに割れていますね。……これ、あなた方が割ったのでは? 」


「はぁ!? 」

(はぁ!? )

 男の声と私の心の叫びが見事にハモった。

 なんでそうなる。

 味方であるはずの私でもツッコミたくなった。


 しかし、葉月さんは努めて冷静に続ける。

「私は地下に居ましたので、お皿は触っていません。勝手にお皿が割れることはないでしょうし、何よりあなた方は家を壊す勢いでノックをされていましたから、反動で落ちたのかと。その証拠に、ドアにヒビが入ってしまったではないですか」


「いいや、そんなはずはない! お前の匿っていた人間が落としたんだ! 」

「何を根拠に。憶測だけで話されても困ります。お引き取りを」

「だ、だから、証拠を出せと言っているんだ! 」


(あれ? おかしいな……立場が逆転してるような気がするんだけど)

 言い淀んでいたはずの葉月さんに責められたことで、相手は戸惑いを隠しきれていないようだ。


 追い打ちをかけるように、葉月さんがため息をつく。

「あれ、とても高価な代物だったのに……。そうですね、あなた方の主人に弁償していただきましょうか。この扉と一緒に。黄泉の者が桃源郷で器物損壊となれば、さぞ重い罰が下るでしょうね」

 礼儀正しい葉月さんが、今では脅迫罪スレスレの悪狐に成り代わっている。

 

 どうするんだろうと耳を済ませていると、後ずさるような足音がした。

「そ……そこに置いていたお前が悪いだろう!! ドアも開けないお前のせいだ!! とにかく、次に怪しい動きがあった時は、タダで済むと思うなよ! 」

 田舎町のチンピラよろしく言い放ち、荒々しくドアが閉められる音がした。

 意外にもあっさり身を引いてくれたことにホッとする。


 つっかえ棒を通す音が聞こえて、私はぐったりと壁によっかかった。

(疲れた……)

 暗い空間がそうさせたのか、危機が去ったことによる安心感からなのか。

 私の目にじわりと熱いものが溢れてきた。

 次から次へと流れてくる涙を止める方法を、私は知らない。

 散々泣いて、疲れきって、私はそのまま眠りについた。

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