第7話 大変な一日の終わりに
「結奈さん。よろしければ、湯あみをしてはいかがです? 今日はかなりお疲れでしょう」
食後のお茶を飲んでいるとき、葉月さんが言った。
確かにそろそろお風呂に入りたいと思っていたが……一つ問題がある。
着替えがない。
服はこのままでもら構わないのだが、下着はそうもいかないだろう。
「着替えなどは勝手ながら用意させてもらいました。寝巻きは男物ですけど、まだ使っていないものなのでご安心を」
そう言いつつ、先程持ってきた桜柄の風呂敷を手渡してくれた。
人当たりのいい笑顔とともに。
「あ、ありがとうございます」
用意の良さに驚きながらその風呂敷を受け取った。
「ではご案内しますね」
そうして向かった先は、台所の奥だった。
そこでふと、私は疑問に思う。
(ここ、外から見たときより広くない? )
初めは気のせいかと思ったが、台所の奥は予想以上に広かった。
細い廊下の左右に襖があり、その廊下の突き当たりにお風呂場がある。
真っ直ぐと伸びた廊下のせいで、お風呂場が随分とどっしりした雰囲気を醸し出している。
木製ドアをガラリと開けると、右側にドアがあり、反対側に洗面所があった。
洗面所の先に、竹製の引き戸が見える。
「右手にあるのが厠で、左手にあるのがお風呂場です」
竹の扉を開けると、暖かい蒸気とひのきの香りに包まれる。
まるで温泉宿のような浴槽に、私は胸を高鳴らせた。
「神力で沸かしているので、温度調節をするときは希望の温度を言ってください。勝手に調節してくれるので」
「わかりました」
──と、とりあえず頷いておく。
正直よく分からなかったが、できるだけ早く説明を終わらせてもらうことにした。
お風呂場に男女2人でいるという状況はあまり宜しくないと思ったのだ。
葉月さんは特に気にしていなそうだか、私はちょっと警戒してしまう。
「洗いものはあちらの洗濯機に入れてください。使い方も教えましょうか? 」
「お願いします」
神力洗濯機の使い方をパパっとレクチャーし、葉月さんは足早に出ていった。
ふうっと息を吐いて、私は伸びをする。
やっと一人の時間ができた。
別にひとりが好きなわけではないし、葉月さんの隣が居心地悪いという訳でもない。
寧ろ居心地良すぎて怖いくらいだ。
だが、やはり人には一人の時間も必要だろう。
私はとりあえず風呂敷の中身を確認することにした。
「よし、オープン!! ……ん? 」
勢いよく開けてみると、タオルとグレーの羽織と紺色の浴衣が飛び込んできた。
(下着は……えぇ、あるんだけど。ちゃんとあるんだけど!! 彼、一体何者なの!? いや待てよ、もしかして実は女の人? うーん、でも声は女性にしては低いしなぁ)
私は複雑な気持ちで下着を見つめる。
現代と同じ型のショーツとシャツが、やたらと存在感を放っている。
どちらもシンプルなデザインだ。
流石にブラジャーは入っていない。
(なんで持っているのかすごく聞きたい……けど、聞きにくいなぁ。おや? その下になにかある? )
着替えに埋もれていたアルミ製の箱を引っばり出してみると、カランと音がした。
若干の重みに首を傾げながら開けてみる。
「わー! 可愛い!」
中には2つのビンが入っていた。
それぞれ中身の色が違い、乳白色と桃色の液体が揺れている。
とろみのあるそれらは、手書きのラベルがかけられていた。
【ぼでぃーそーぷ】【しゃんぷー&りんす】
これは葉月さんの手作りだろうと、私は1人頷く。
ラベルの裏に原材料と配合比が細かく書いてあったのだ。
(……女子力!! )
それらを持って、いざお風呂へ。
瓶を並べ、シャワーを浴びてゆく。
温く設定された温度に、私は少し物足りなさを感じた。
(妖って、体温低そうだもんね。えぇっと、温度の変更は【言う】んだっけ? ……声に出すってこと? ははっ、まさかね)
阿呆らしいと笑いながら、私は呟いた。
「40度」
途端、降り注ぐお湯の温度が上がった。
「うわ、凄い! 」
神力超有能!!
私は上機嫌で【ぼでぃーそーぷ】の瓶を手に取った。
ポン、と音を立てて開けると、嗅いだことのある香りが広がった。
(これは確か……シトラス? でも市販のやつより香りがキツくない。自然の香りって感じ)
因みにシャンプー&リンスはローズの香りだ。
のんびりとお風呂を堪能し、お風呂場を出る。
そして下着をつけ、私の手は止まった。
(どどど、どうしよう。私着付けなんて出来ないよ!? でもこんな姿で葉月さんの前に出るわけには行かないし。……ええい! もうどうにでもなれ! )
わからないことはいつまで考えてもわからない。
私は無理やり着込んでいくことにした。
幸い、羽織のおかげで誤魔化しが効く。
少し不恰好だが、何とか着ることが出来た。
「お風呂いただきました」
洗濯物を終わらせて居間へと戻ると、既にお風呂場へ案内されてから1時間が経過していた。
葉月さんは何やら紙に書き込んでいる最中だ。
「遅くなってすみません」
家の主を待たせてしまったことに恐縮していると、葉月さんはとんでもない、と微笑んだ。
「リラックスできたのなら良かったです」
そして、近くに置いてあったグレーの風呂敷を手に取り、私の方へと歩いてきた。
「……現世では洋服の方が着なれているのですよね? これしかなくてすみません」
困ったように頬を搔く葉月さんの、言わんとしていることが分かって思わず赤面した。
やはり着方がおかしかったようだ。
「……やっぱり変でした? 」
「少し。でも、向きはあっていますよ。こればかりは慣れですね」
「あの、わざわざ用意して頂いてありがとうございます。でも良かったんですか? その……下着、とか」
つい。
和やかな空気に流されてつい、聞いてしまった。
(だって、気になるんだもん! この下着が! )
心の中で言い訳をしていると、葉月さんの周りの空気が重たくなったのを感じた。
驚いて見上げると、葉月さんの耳がぺたりと伏せられている。
何か悪いことを聞いてしまったのだろうか。
しかし次の瞬間、葉月さんは微笑んだ。
「それは、姉のものだったんです。もちろん新品なので大丈夫ですよ? 」
私は黙って頷いた。
葉月さんの笑顔が、目が、これ以上聞くなと言っている。
お姉さんのものだった、と言っていた。
もしかしたら……
「では私も湯あみに行ってきますね。お部屋のご用意をしていますので、結奈さんは先にお休みになってください」
変な空気を打ち消すように葉月さんが言い出した。
そのままの流れで、細い廊下の右側に位置する和室を案内される。
襖をあけると、さっきまでの会話が消し飛んだ。
「なんか、旅館みたいですね。すごく落ち着きます」
葉月さんが、私がお風呂に入っている間に部屋を整えてくれたようだ。
布団が敷かれていた。
「気に入ってくれたようで何よりです。私は向かいの部屋を使っているので、何かありましたら遠慮せず言ってください。では、お休みなさい」
「お休みなさい」
襖を閉め、布団に入り込むと、一気に疲れが押し寄せてくる。
(今日は本当に疲れたなぁ。わけも分からず異世界に送られて、知らない人の家に行って、お仕事手伝って……)
生きて元の世界に帰ることが、本当に出来るのか。
そんな不安を抱きしめて、私は布団に潜り込んだ。
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