狗の望み

「あら、銀翼ぎんよく・・・珍しいわね、貴方が招集に参加するなんて。年季が明けたというのに好き好んで此処に居座る物好き」


 天音は一葉に召集を掛けさせたあと、茜色の羽織りに袖を通し、霞の間で男達が集まるのを待っていると、一番最初に襖を開けた男に眉をひそめた。


「そりゃあ、心酔する天音さまからの招集ですからね。慌てて身支度しましたよ」


 と呼ばれた男は「そんな嫌そうな顔、しないでくださいよ。悲しいじゃないですか」と声のトーンを下げて呟いた。

 そして畳の上を歩み、天音の元へ近づく。

 美しい銀色の髪の毛を一つ三つ編みに纏め、少し肌蹴た紺色の着物は白い肌にとても映えていた。

 この銀翼という男は、1年前年季を明けた元花魁であった。現在は引退し番頭新造ばんとうしんぞうとして花魁である愛歌や一葉などの専属マネージャーとして客の良し悪し、あしらい方を教えている。


「それにしても酷い。天音さまは俺が居座っていると思っていらっしゃったのですか?」

「間違っているかしら?外様大名の姫君からの求婚を断ってまで居座っているのだから」

「おや手厳しい。それにしても懐かしいですね、えーと確か雛姫でしたっけ?」

「お前が、あの話を受けていれば、香月屋の懐は、もっと温まったでしょうけどね。私の事を心酔しているなら、最後まで私の役に立てば良かったのに。酷い男」


 天音が溜息をつきながら、長椅子に横たわった。

 丁度年季が明ける頃、銀翼に強く入れ揚げていた外様大名の姫である雛姫から身請けの話があった。長い付き合いのある姫だった為、天音含め多くの人間がその話を受けると思っていた。

 しかし、この銀翼という男は何と断ったのだ。その後は、まぁ荒れに荒れた。

 最後は狂乱した雛姫が、銀翼に刃を突き付けようとした所を、天音の配下に取り押さえられ、雛姫を危険と判断した天音により、二度と夢幻郷の敷居を跨ぐ事を禁じられたのだ。

 その後、配下たちの情報により雛姫は、結婚をする事も許されず山奥にある尼寺に預けられ、今も仏に身を捧げているのだという。


「酷い・・・?酷いのは貴方でしょう、天音さま」


 スルリと銀翼の男らしくも、繊細な指が天音の頬を撫でた。黒曜石のような瞳には何時ものような強く輝く光は宿っていなかった。そこにあるのは、吸い込まれるような闇のみ。

 普通の娘が見れば、恐れ悲鳴を上げる程だろう。しかし天音はあくまで冷静だった。ただ真っ直ぐ金色の輝く瞳で銀翼を見つめていた。


「此処に売られてきたばっかりの頃、俺はさっさと年季を明けて此処を出て行くつもりだったんだ」

「そう」

「この場所を出て、国中を旅するつもりだったんだ」

「そう」

「なのに・・・天音さまは、その夢を全部奪った」

「奪った?人聞きの悪い事言わないで・・・の間違いでしょう?そんなに嫌ならさっさと出て行きなさい。今の私に、貴方を引きとめる権限はないのだし」


 天音は、冷静にそして冷酷にそう言い放った。

 すると銀翼の瞳をグラリと揺れた。

 そして銀翼はまるで幼子のように天音の羽織りを握り締め、縋る様に膝を付いた。


「酷いですよ・・・やっぱり天音さまは」

「何が?」

「俺は、貴方に欲してほしいんです。引き止めて欲しいんです。なのに貴方は俺を手放そうとするじゃないですか」


 天音はそれを聞きながら、ゆっくり起き上がり座った。銀翼は天音の膝に顔をうずめながら、ポツリポツリと小さく呟いていた。


「手放さないでください。俺、俺は・・・もう天音さま無しじゃ生きられない」

「・・・まるで野生を忘れた獣のようね。憐れに飼いならされてしまった家畜」


 天音はゆっくり銀翼の頭を撫でた。

 そして顔を上げた銀翼の額に小さく接吻を落とした。

 27歳となった銀翼の頬は、まるで生娘のように紅潮した。


「大丈夫よ、安心なさい。私、愛は深い方よ」

「・・・その愛が、俺だけのものになってくれればいいのに」


 そう呟いた銀翼は、立ち上がると今度は天音の額に接吻を落として微笑んだ。


「男達、遅いですね。催促してきます」

「良いわ。それより銀翼、私久し振りに貴方が淹れた茶が飲みたいわ」

「・・・女王クイーンの仰せの通りに」


 銀翼は、嬉しそうに口元を綻ばせながら茶の準備を始めた。

 飼いならされた狗の望みは、主人の狗であることだ。

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