従順

 天音は緋毬を退出させると、温くなったお茶を飲み干した。

 漆で染められた机を指先でなぞり、置いてあった一つの扇を手に取り、パシンッと扇で自身の手に打ち付けると、入口付近を見流した。


「何の用かしら・・・一葉いちよう

「おひいさん。可愛い可愛いお姫さん」

「此処で私をと呼ぶのはお前だけよ」


 栗色の柔らかな髪を一束緩やかに纏めた一人の男が、口元に笑みを浮かべながら、入口の襖に寄りかかりながら天音を見つめていた。

 しかし、天音はそれを気にした素振りも見せず扇を開くと、自身の口元を隠した。

 一葉と呼ばれた男は、この香月屋きっての売れっ子で、遊郭で最上位の地位であるの地位に君臨していた。

もう一人、愛歌あいかという男がおり、一葉と共に花魁の地位に君臨している香月屋の稼ぎ柱である。


「あぁそうだ、一葉。此方へいらっしゃいな」

「えぇ、えぇ。お姫さんのご要望ならば」


 天音が一葉に向かって手招きをすると、一葉は二、三度頷きゆっくりと天音の元に近寄った。そして長椅子に座っている天音の足元に跪いた。それはまるで主人の言う事を忠実に聞こうとしている犬のようだ。

 天音は、口元を隠していた扇を閉じると、その閉じた扇で一葉の顎に添え、顔を上向きに持ち上げた。一葉は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐさま蕩けるような顔となった。


「期待しているの?香月屋きっての売れっ子が、聞いて呆れるわね」

「意地悪な事をおっしゃらないでください。お姫さんに見つめられれば、ここにいる男達は皆、期待してしまいます」

「・・・まぁ良いわ。期待するように調教したのは私ですもの」


 天音はそう言うと、一葉の顔を持ち上げていた扇を離し、再び机の上に置いていた書類を手に取った。

 一葉は恍惚的な表情から打って変わって、心配そうな表情を浮かべた。


「それは、恋香炉の件・・・ですね」

「あら、よくわかったわね。そうよ、最近この夢幻郷を脅かしている害悪的存在」

「まだ俺達の店からは被害は出ていませんが、如何するおつもりですか?」

「ここ、夢幻郷は政府も迂闊に手が出せない場所よ。有力大名の姫君が手を付けている男もいるから。迂闊に手を出して姫君の怒りを買えば、大名同士で争いが起きる可能性があるから・・・けど、それは此方も同じこと。下手に疑えば、姫君からの顰蹙ひんしゅくを買う」


 有力大名の姫君。それは所謂、お得意様というものに当たる。多少の無茶もその分お金を落としてくれるというのであれば、という事で甘くみられる事も多い。

 実際、この香月屋が此処までの権力を持てたのは、その有力大名の姫君の寵愛があってこそだ。勿論そこに天音という遣手の実力も加わっての事だが。


「では・・・」

「今は何も出来ないわ。出来るのは何時もより気を付けることだけ。一葉、他の男達を招集して頂戴。まだ昼見世まで時間があるでしょう。夜見世に出ていた男達は寝かせおいて後で伝えなさい」

「分かりました。どこに召集をお掛けしましょう」

「・・・霞の間に集めなさい。あそこは広いから、全ての男が入れるでしょう」

女王クイーンの仰せの通りに」


 一葉は天音の言う事に深々と頭を下げ、退出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る