Tsundoku
どうやら私は「欲しい」と思った本を自室に生成する能力に目覚めたらしい。
原理とかはよくわからない。別の用事からの帰りに新刊を確認すべく5分ほど本屋に立ち寄ったら、その時に欲しいと思ったものが家に帰ると置いてあったのだ。なにごとかと最初は大騒ぎ仕掛けたが、幾度かの実験を経て、自分にそういう能力が発生したのだと確信した。
金がないわりに欲しい本が世に溢れていてたまらなかった私は、当然のように狂喜乱舞した。やった、タダで無限に読みたい本が読める! 最高だ! 私がなんども本屋に出向いては自室に本を積み上げていくのは当然の帰結だった。そして本の山の中でダンスを踊りながら、私は気付いた。
インターネットストアではどうだろう?
結論から言えば、私の試みは成功に終わった。私は外出せずに大量の本を入手する手段を得て、引きこもりが加速した。
いくら読んでも足りなかった。いくら読んでも読みたいものは積み上がっていく。私が生きている限り、有限でありながら膨大な既刊本と無限の新刊本がそこらじゅうに生えて、湧いてくるのだった。私は貪欲に文字を追った。欲しいものが欲しいと思った瞬間に手に入るのだ。私は吟味することをやめ、ジャンルも内容も気にすることがなくなった。私はテキストを読み込む機械のように、淡々と言葉を追った。
膨大な数の本が、山をなし谷をなし海となって部屋から溢れ出た。読んだ本、読んでいない本、すべてめちゃめちゃに秩序などありはしなかった。そして割合としては読んでいないものの方が圧倒的に多かった。読みたいという需要に対する供給は処理速度と乖離してどこまでも膨れ上がった。やがて私の家から隙間は消え失せた。同居していた両親は私に罵声を浴びせながらとうに去り、ゴキブリもネズミも住処を追われて逃げていった。私と本だけの世界だった。延々と延々と、私は文字と言葉と文章と物語たちと向き合い続けた。それは終わりなき戦いであって、宇宙の果てを見ようとする行為と同等であるかに私には思えた。
そして終わりが来た。私は最終的に、疲れ果てて一切の本を読む行為を放棄した。
無理だと思った。一生かけても読み切れない。どれだけを犠牲にしても捉えきれない。
そう気付いた時には、住宅街一帯が本の波に埋もれていた。誰も人は住んでいなかった。いつの間にか私一人になっていたのだった。
私は本の群れの中をさながら海を割るかのように掻き分け、蹴飛ばし、踏みつけて、どうにかこうにか外に出ることができた。私は住宅街の全容を見て、「こりゃダメだ」とすべてを捨てる覚悟を決めた。
マッチ一本で十分だった。投下された火種はじりじりと燃え広がり、やがておおきなうねりとなって一面を焼き尽くした。部屋が燃える。家が燃える。街が燃える。その燃料は紙の本だ。見果てぬ私の欲望たち。先の見えぬ旅路の記録たちが、ごうごうと千切れては舞い上がり、火の粉を散らせた。炎の熱気は神聖さを帯びて、儀式の様相を呈していた。
私はそれを、離れた場所からそっと見守っていた。私の心はすがすがしさに満ちあふれ、晴れた日の青々とした空のようだった。迷いなく苦しみは去ったのだと思った。これでいいと私は自らの選択を喜んだ。これでよかったのだ。これが教訓なのだ、と。
もうこんな力はいらないと思った。お金をかけよう。次からはちゃんと選んで吟味して保留したりうんざりするくらい悩んだりしよう。そうでなければ身がもたない。永遠を追いかけるのは、私にはどうにも難しすぎる。
住宅街が燃え尽きるまで、私はそれを見続けていた。再び出会う日まで、どうか私を待っていてくれたらいい、と私は希望に思いを馳せた。
それはそれとして、私は当然のごとく逮捕された。今は刑務所にいる。
決していい場所ではないが、本が読めるのは不幸中の幸いだろうか。
きっと、幸いなのだろう。たぶん。
そう思いたい。
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