Washer

 体感では27日前から、深夜のコインランドリーに閉じ込められている。窓から差し込む月明かりと、ドアのガラスから忍び込む駐車場の青白い光だけが、外の世界との接続を示していた。人はやってこないし、夜が明ける気配もない。


 ここでは時間も動きを止めて、その静寂の中で息を潜めているようだった。あるいは、気体として漂っていたものが液体となってコインランドリーを満たし、私はその中で溺れているとか。


 お腹は空かないし、髪は伸びないし、いつしか冷めると思っていた激情も、鈍磨することなくぐるぐると回っている。ちょうど、ベンチに座り込んだ私の背で回り続けるドラム式洗濯機のように、凪いだ私という空間の中で、振動と騒音を撒き散らしている。


 洗濯機の中に入っているのは私の服だった。終わりを感じさせない回転が、センスの欠片もない真っ赤なシャツをもみくちゃにしている。似合うわけがないと罵りながら、部屋着として使っていたものだ。


 ちっとも灰にならない煙草の煙は、光たちを薄ぼんやりと霞ませる。その粒子のせいか、思考はぼやけて滞留し、状況の解決策もいまいち思いつかなかった。外に出られるか試そうかとも思ったけれど、洗濯が終わるまではそうもいかない。だから実のところ私を閉じ込めているのはこの建物ではなく洗濯機であって、汚れ物が綺麗になるまで待とうと決めた私自身だ。


 そして、体感ではすでに27日が経過している。




 27日前には、親友の結婚披露宴があった。


 私にあの真っ赤なシャツをよこすくらい美的センスの欠如した彼女は、純白のドレスを着てみるとそれはもう輝いて、私にはまぶしすぎるくらいだった。適切な服装がわからずにスーツで来た私とは大違いだな、と思いながら、グラスに注がれたワインを呷っていた。


 ちくしょう、と小さく呻いた。新郎新婦の笑顔を見て、誰も聞いちゃいないだろうと思ってのことだった。自分の頭に渦巻く矛盾に、うんざりしていた。


 祝福と、幸福であれという願いは本物だった。大切な人間が笑顔でいることの喜びに間違いなどあるはずもなく、だからこそ私は彼女の話を聞いたし、喜んで相談にも乗った。けれど、悔しさとか嫉妬とかそういうどうしようもない感情もまた、嘘偽りなく存在するものだろう。なぜならそれは、私と彼女の関係性の上での問題だからだ。種類が違う。


 私の役割は親友だ。私の位置は家庭の外だ。そういう温かさを求められているのだと、よく、わかっていた。ないものはない。そこになければないですね、だ。


 ちくしょう、と反芻する。私の席はあっちじゃない。今いるここでしかありえない。

 そんなことは、よくわかっていたのに。



 本当は、彼女からもらった唯一のものであるあの服を捨ててやろうと思っていた。そうすれば、私の内にあるこの感傷もなりを潜めるだろうと、淡い期待を抱いていた。


 でも、無理だった。捨てられなかった。ゴミ箱の前で立ち尽くして、布を強く強く握りしめるのが関の山だった。


 だから、重く冷たい水を掻き回すのが、私の最後の抵抗だ。綺麗になれ、綺麗になれ、と呪うように思考しながら、延々と回し続ける。私の中で回る感情が、いつか分離して、排水と一緒に溝に消えるまで。


 いつしか回転は止まるだろう。汚れは落ちて、私は彼女との関係に新しいものを見る。そして青白く爛れた灰が、口先からリノリウムの床に落ちてあっけなく散るはずだ。


 それが、私がここから出るとき。それまではどうか、ずっと回っていてくれ。

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