第10話 イラスの神

 襲撃のあった日も既に日はだいぶ傾いてきており、トイ家にも夕陽が差し込んでいる。

 門の前にハルデヒトをはじめとした、ルヴァンから来た兵士が整列していた。家宅捜査を終え、引き払う前の最終確認だ。


「結局めぼしい物は出ず、か」


「はい。家屋から敷地内の離れ、倉庫に至るまでくまなく捜査いたしましたが……」


 捜査に当たった憲兵が悔しそうに報告するのを、ハルデヒトもまた苦々しげな表情で聞いていた。そしてその前には、家主であるカラヌスが勝ち誇ったような顔を浮かべて立っている。


「当たり前だろう。トイ家が獣人やエルフの人身売買に関わっているなどと、冤罪も甚だしい。ましてや今朝のロンデール財団の家の襲撃事件だったか? あれに関与しているなどというのは、噂を通り越して我が家系を不当に貶しめる謀略と言ってもいい程だ」


「ご高説は良いが、まだトイ家への疑惑が解けた訳では無いからな。次はトイ家の持つ資産全般に捜査の手が入る事になる」


「だからどうしたというのだ第二王子殿、そのような負け惜しみのような事を言われても、私達がそのような恐ろしい事件に関与しているという事実は無いぞ」


 カラヌスの勝利宣言を聞きながらハルデヒトは邸宅に背を向ける。するとその時、誰かが呼び止める声が聞こえた。


「ハルデヒト様ー! ちょっと待ってくださいー!」


「ん? サラじゃないか、ってカイルはどうした。もう引き上げ……」


「それどころじゃないんです! ちょっと来てください!」


 サラスティアはそう言うなりハルデヒトの腕を掴んで走り出す。周りのハルデヒトを守るべき憲兵も、少女の唐突な行動に対応が遅れた。


「ちょ、ちょっと待て。何があったんだ」


「地面に怪しげな蓋を見つけたんです! でも私達の力じゃ持ち上がらなくて」


 その叫びを聞いた皆の顔色が変わった。ハルデヒトや憲兵達は獲物を見つけた猛禽の様に、そしてカラヌスや私兵達は今まさにその猛禽に捕らえられたひ弱な生き物かのように。


 駆け付けた所にはカイルの他にタロスとシルフィもおり、ハルデヒトは再び驚いた。


「皆もいるのか! いや、それで何を見つけたんだ」


「ハル様! これです!」


 カイルが指し示したところには、確かに鉄製の重そうな蓋があった。


「ほう。カラヌス殿、これは何かな?」


「そ、それは……それは毒物を保管している倉庫なのだ!」


 ハルデヒトがわざとらしくカラヌスの方を見ると、先程の尊大な態度とは打って変わってたどたどしい言い訳が返ってきた。


「そうです! 前に間違って開けて卒倒した使用人がおりました、準備無しに決して開けてはなりません!」


 私兵の一人がそう言って援護射撃を飛ばす。憲兵達が思わず一歩下がった。


 だがカイルがその疑惑を吹き飛ばす。


「嘘だ! さっきちょっとだけ持ち上がったけど、誰も倒れたりしなかったぞ!」


「うるさい! ガキは黙ってろ! そこに入ってるのは確かに毒だ、運が良かっただけだ!」


「何回もやったんだぞ!? 本当に毒だったら誰か倒れてるだろ!」


「まぁ確かめてみればいい事だ。そうだろう」


 ハルデヒトは火花を散らすカイルと私兵の間に割って入りそう言うと、憲兵の数人に命じて布を口に当てさせた上で蓋を開けさせた。


「どうだ、何かあるか。妙な臭いなどはしないか」


「は、いやこれは……かなり強烈なえた臭いがしますが、毒の類では無いかと思います。後は、梯子のようなものが……」


「もっと詳しくわからないか」


「駄目です。中は真っ暗なので明かりが要ります」


 蓋を開けると中は真っ暗で、薄れゆく日の光だけでは中の状態が判然としないのだ。


「おい! ランタンを持ってこい!」


 一人の兵士にランタンを持たせ、体に縄を巻く。実際に降りてみようというわけだ。


「いいか。何かあったらすぐに上がって来い」


「御心遣いありがとうございます。行って参ります」


 憲兵がゆっくりと梯子を降り、暗闇の中に消えていく。その様子を全員が固唾を飲んで見守っていた。

 だが予想よりも遥かに早く、梯子を降りたはずの憲兵が上がってきた。


「どうした!」


「声が、中から声が聞こえます!」


 憲兵達が一斉に騒つき、それと同時にハルデヒトがカラヌスの方を見る。だがそこにカラヌスや私兵達の姿は無かった。


「トイ家を包囲! 誰も逃すな!」


 命令に応じ憲兵がトイ家の周りを素早く取り囲み包囲する。すぐに憲兵に腕を掴まれ拘束されたカラヌスが連れてこられた。


「何をするか! 私はこのアコーズの……」


「カラヌスよ、人身売買の事実は無いのだろう? 何をそんなに慌てているのだ」


 疚しいことは無いという一方でこうも慌てては、まるで何か後ろ暗い事があると自分で言っているようなものだ。

 やがてもう一度中に入って行った憲兵が上がって来て叫んだ。


「中に数十人の獣人やエルフがいます! 皆が衰弱していて、かなり危険な状態です!」


 声が響くや拘束されていたカラヌスや、その他のトイ家の関係者に素早く縄が掛けられていく。


「え、冤罪だ! 何かの間違いだ!」


「自分の家の庭から獣人を収容していた地下室が見つかったというのに、まだそのような悪足搔きをするのか貴様は」


「こんな事謀略に決まっている!」


 カラヌスの喚きをよそに、数人の憲兵が開け放たれた蓋から中に入って行く。少しすると中から、兵士たちに抱えられるようにしてボロボロの衣服を着た獣人やエルフが上がって来た。


「これでもまだ何か言うか?」


「グッ……しかし彼らと私との関係を証明できる物は無いぞ」


「そうか。では直接聞いてみた方が早そうだ」


 ハルデヒトはそう言ってゆっくりと保護された獣人に近付く。獣人たちもまた、怯えた目でハルデヒトや救出した憲兵を見上げていた。


「怖がらなくていい。私はミリウス王国の第二王子、ハルデヒトだ。わかるか?」


 その言葉に相対した若い男の狼獣人は無言で頷いた。


「私は君達の味方だ。色々と教えて欲しいんだが、まず君達の家はどこにある?」


「……カイナル、カイナル大森林……です」


 国南部にあるカイナル大森林には獣人やエルフの集落が数多く存在する。失踪が相次いでいるのもこの集落からがほとんどだ。


「君達は何故ここにいる」


 この質問には無言を答えとする。


「ではロンデール家は知っているか?」


 その質問をした瞬間、受け答えをしていた若い獣人の顔色が変わる。


「あ、あ、あれは……あれは命令されてやったんだ! 我ら獣人族の恩人であるロンデール財団を襲うなんて……」


「気持ちはよくわかる、私達はその事件も追っているんだ。やったのが君達であるなら教えて欲しい。誰に命令されたんだ?」


「それは……!」


 犯人の名を言いかけた瞬間、今度はカラヌスの私兵が叫んだ。


「貴様ら! 分かっているだろうな……?」


 ドスの利いた声でそう言うと、何か言いかけた獣人は黙ってしまった。


「どうした。誰に命令されたんだ」


「……言えない」


「何故だ」


「言えないんだ……!」


 ハルデヒトはその言葉だけで瞬時に悟る。トイ家が集落を襲えたという事は、裏を返せば集落の場所を知っているという事だ。家族などを人質に取っているのかもしれない。恐らく他にも協力者がいて、トイ家で何かあった場合は即座に人質に取られている親しい者達も殺されるなり売られるなり、そう言った脅迫があるのだろう。


「ハルデヒト様、獣人達がそう言うのです。真の指示者が誰かは知りませんが、少なくとも私達と関係無いと分かっていただけたでしょう」


 カラヌスは虚勢混じりの勝ち誇った声で言う。現場の状況を見れば間違いなくトイ家の関与が認められるのだが、肝心の加害者であり被害者である獣人達が認めなければ関与が証明できないのだ。


 黙らされた獣人は下唇を噛んで耐える様に沈黙を貫き通す。状況はカイル達にもわかっていたが、だから何か出来る訳でも無い。


「わかったらそろそろお引き取り願えないだろうか。あぁ、その獣人達を保護するのであれば懇意の馬車屋があるからそこに使いを出そう。私も午後の仕事が丸潰れなのでね」


 カラヌスがそう言って笑い、他の私兵達も笑い声をあげる。ハルデヒトもこの状態ではこれ以上どうしようも無く、撤退の指示を出すことに決めた。


「……止む無いか。カラヌス達の縄を……」


 そこまで言いかけた時、カイルが空に何かを感じある一点を見上げて呟いた。


「トゥーリエだ……」


「なんて?」


 隣にいたサラが聞き返したが、カイルは目線を変えずにもう一度呟く。


「トゥーリエが来る」


「何よそのトゥーリエって……」


 そう言いかけてカイルと同じ方向を見ていたサラスティアの言葉が止まった。今しがた見えてきたものが信じられなかったからだ。そしてそれはタロスとシルフィも同じ事だった。


「ハルピアだ……」


 サラスティアのその呟きを近くにいた憲兵が聞き、反射的に空を見上げる。そこには一匹のハルピアが、音も無く接近していた。


「ハルピアだ!」


 憲兵の叫びと共に現場が一気に騒然とした空気に包まれた。遠くから見れれば幸運、近くで見れば不運とも言われ、神獣とさえも言われる獣がここに降りてこようと言うのだ。憲兵達はすぐさま防御の構えを作り、最悪は迎え撃つつもりで迎撃態勢を整える。


 だがカイルはそのハルピアを知っているが故に動かず、サラは驚きのあまりその場から動かなかった。

 そしてタロスやシルフィ、捕らえられていた獣人達はその場に跪き、静かにハルピアが地に降り立つのを見守っていた。


「な、なんで我が屋敷にハルピアが……」


 カラヌスもそう言いながら地べたに座り込んでしまっている。皆がこの後何が起こるのかを固唾を飲んで見守る中、カイルはハルピアに近付いていく。


「おいカイル! 戻れ! ハルピアだぞ!」


 ハルデヒトが懸命に止めるが、大丈夫だからと言って御構い無しだ。


『カイルよ。今から私の言う言葉を、皆に伝えてはくれぬか』


 トゥーリエは念話でカイルにそう語り掛けた。


「わかった。何を伝えればいい?」


『まず攻撃の意志は無い事。そしてそこの獣人達に、安全を保障するから本当の事を喋って欲しいという事だ』


 カイルはトゥーリエの言葉をそのまま伝える。だが皆の顔には疑惑の顔が浮かんでいた。当たり前だ、過去にいたどんな大ぼら吹きでもハルピアと喋ったなどと言った者はいない。


「トゥーリエ、疑ってるみたいだよ?」


「あんたはさっきから何をぶつぶつ言ってるのよ」


 サラがすかさずツッコミを入れる。だがカイルはまた何かハルピアと話すと、次にサラに向き合った。


「黙ってたけど僕ね、このハルピアとは喋れるらしいんだ」


「はぁ? カイル何を言って……」


「トゥーリエ、空中で一回転!」


 サラスティアの言葉を遮ってカイルが命ずると、果たしてハルピアは飛び立ち空中で見事な一回転をして見せた。その後もカイルが命ずるがままハルピアは飛び、三つほど芸をすると再び地上に降り立った。


「どう? これでさっき言った事がこのハルピアからの言葉だって信じてくれた?」


 カイルの言葉に誰もが声を失った。人とハルピア神獣が間違いなく会話し、しかもこの少年の言う事を聞いているのだから。


 やがて先程ハルデヒトと話していた若い獣人が口を開いた。


「ハルピア様、先程仰っていた"安全を保障する"と言うのは……」


 質問の答えをトゥーリエはカイルに伝え、カイルの口から皆に伝える。


「もう仲間が解放してるって。だから安心して真実を喋っていいって」


 カイルの言葉はハルピアの言葉、それを聞くなり獣人達は皆涙を流して感謝した。


「ありがとうございます。イラスの神よ」


 カイルやサラはその光景に不思議さを感じながらも、王立学園に入学して最初に話題になっていた事を思い出してた。獣人やエルフにとって、ハルピアとは神様なのだと。


 やがて若い獣人は真実を語り始める。ある日突然暮らしていた集落に賊が押し入り、抵抗するも圧倒的な兵力差の前に敗れ連行された事。家族を人質に取られ、ロンデール財団の代表の家を襲えと指示された事。そして、終わった後ここに連れて来られ監禁された事。その際にはあの男もいたと言って、明確にカラヌスを指差しもした。


「だそうだ。何か反論はあるか、トイ=カラヌス」


 憲兵の一人がそう言うが、カラヌスは黙して語らない。だが獣人の口からそんな言葉が出てくれば今更何を言い繕おうと無駄である。


「連れて行け。たっぷりと聞きたい事はある」


 ハルデヒトがそう命じて、カラヌスやトイ家の関係者が憲兵詰所に連行されていく。

 それを見送ったハルデヒトは、今度はカイルの元へとやってきた。


「カイル、そのハルピアと話せるのは本当なのか」


「本当です。僕にもよく分からないけど……」


「いや、今はそう深くは聞くつもりは無い。害が無いならそれでいいんだ。しかし……驚いたな、近くで見るとかくも美しく恐ろしいとは」


 ハルピアを間近で見た者などほぼいない。ちょうど太陽は水平線の向こうに沈み、キラキラと光を反射していた美しい羽根は今は淡く光るのみだ。


 やがてハルピアは自らの羽根を1枚抜くと、カイルに手渡し去っていった。


「これ、トゥーリエ……じゃなくて、あのハルピアから再建……? に充てよって」


 カイルは泣いた跡を拭おうともしない若い獣人に、その羽根を手渡す。


「イラスの神の使いよ、ありがとうございます」


 獣人はそう言っておし頂く。カイルが自分はそんな大それたものじゃないと言っても、獣人はカイルが神の使いという姿勢を崩さなかった。


 獣人達が保護され、トイ家の周りにもようやく落ち着きが戻ってきた。辺りはすっかり真っ暗だ。


「まぁとにかく一件落着だ、カイルもサラも襲撃事件に一切関わり無いと証明されたしな。僕も宿舎に行くとしよう」


 ハルデヒトがそう言って立ち去ると、タイミング良くカイルの腹が鳴った。


「そろそろ夕飯時だし、私たちも帰りましょ」


「だね。僕もうお腹ペコペコで……」


 そんな事を言いながら、四人は家路に着く。

 夏休みの事件はこうして幕を閉じたのだった。

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