第7話 襲撃事件
カイル達が王立学校に入学して三ヶ月が経った。
三十日で一ヶ月経つあまり代わり映えのしないカレンダーは七月に入り、もう季節は夏。眩しい緑を讃える森の中にも暑い風が吹き抜きており、寒いながらも大いに盛り上がる年末年始の聖輝教の宗教行事である越年歳にはまだ遠い。
そんな中で国の南部のケール穀倉地帯のさらに南、カイナル大森林と呼ばれる森の入口にあるアルムケール村の駐在文官は重大な問題に頭を悩ませていた。
「またか……去年の秋ぐらいから立て続けだぞ、それもここ三ヶ月ぐらいは酷くなってる」
駐在文官のロクダルは、今日になってまた報告のあった獣人族の失踪について頭を悩ませていた。
カイナル大森林での失踪事態は時折ある事だ。ろくな準備もせずに森に入って遭難する者が大半で、大概は影から滑り落ちて土砂に埋もれるとか、狂暴な獣に喰われるとかして見つからない。
だがそのような遭難はむしろ獣人には少なく、大体は人か街育ちのエルフだ。余程街に染まっていない限り、そもそも獣人は自然の中で生きる種族なのである。
それが昨年から、森の中にある獣人の村から失踪が相次いでいた。それも男性ばかりだ。
こうも続くと当然遭難より誘拐が疑われるのだが、全ての村に警備の為の兵士を派遣するのはあまりに手間がかかる。ロクダル自身はそうしたい所ではあったのだが、王都の自然保護庁を通して派遣を要請しても断られてしまった。
「王都もなんでこうも頑なに、軍の派遣を渋るんですかね」
副官のイレイアが書類を整理しながら独り言のように呟く。ロクダルは人族だがイレイアはアルムケール生まれの狼獣人だ。
「さあな、自然保護庁の意向なのか何なのか……」
「いっそ王都に直談判しますか?」
「それもいいな。さすがに異常だろこれは、王宮に宛てて直接文を書こう」
ロクダルはそう言うと、自らの執務机から筆談具を取り出し早速文を認める。
少ししてそれを書き上げると、すぐにイレイアに郵便として出すように命じた。
イレイアもつつがなく手紙を郵便として封をし、それは郵便配達人に預けられ、アルムケールの本局を経由して王都ルヴァンへと運ばれていった。
だがロクダルもイレイアも、手紙を受け取った郵便配達人でさえも知らなかった。
アルムケールから馬車に乗せて運ばれたその郵便は途中の川に架かる橋の上で御者の手によって抜き取られ、王宮に着くまでもなく川底に没していた事を。
*
八月初めのある暑い夜、カイルの家にはサラとタロス、それにシルフィが遊びに来ていた。
三人は皆が寮生でありカイルの家もそこそこ大きい事から、入学してすぐに仲良くなったこの四人組は時々こうしてカイルの家に集まってお泊まり会を開いていたのであった。
ちょうど学校は夏休みであり、寮生も実家に帰っている人が多い。しかしこの三人は色々あって帰らないようだ。
兄のオルグも合わせて子供が五人に増えたみたいだと、母親のナーシャも大張り切りである。
「でねー、オリエさんったら他の子が怪我したから介抱するのはいいけど、水道止めずに行っちゃってさぁ」
「それで風呂場があんなに水浸しだったのか!」
「いやびっくりしたよ、その前を通りかかったら足元冷たいんだもん」
寮母のオリエは世話焼きながら意外とおっちょこちょいな一面があるとかで、かえってそれが寮生たちから人気を集めていた。
近しい年代だけでの生活を経験した事が無いカイルにとっては、そんな寮での話もお泊まり会の楽しみだった。
時計の針が午後十時を指し、そろそろ寝ようかとなった時に異変は起こった。隣の家の方から悲鳴が聞こえてきたのだ。
「なんだ?」
「カレントさんの家の方だ!」
カイルはそう言うなり二階の自分の部屋から一階へと駆け下りる。
隣には貴族程では無いにしろ大きい家が建っており、そこにはロンデール=カレントという活動家が住んでいた。
活動家と言っても、何かと人族に比べて不利な立場に置かれる獣人やエルフを人族と同じ立場で対話すべきだと言うものであって、時々あるような暴力的思想があるわけでは無い。
隣同士という事でカイルも顔見知りで、カレントの話を聞いているからこそ獣人やエルフへの偏見が無いと言ってもいいぐらいだ。
「カイルか! 危ないから二階に上がっていなさい」
階段を降りると既に父のウェルズが、適当に武器になりそうな物を持って外の様子を窺っていた。
「お父さん、カレントさんが!」
「わかってる! 多分そろそろ……」
ウェルズが何か言いかけた時、不意に勝手口のドアが叩かれた。
「来たみたいだ」
そう言ってドアを開けると、同時にカレントが飛び込んできた。
「助かった! ありがとうウェルズさん」
「そんな事よりどうしたんですか。たびたび言ってた過激派かなんかですか」
来ると分かっていたとばかりに、母のナーシャがコップに水を入れて差し出しながらそう聞いた。
と言うのも、カレントはまだまだ人族至上主義者の多いこの国でこういった活動をする事に危機感も覚えており、隣人であるウェルズ家に非常時には逃げさせてくれと頼んでいたのだ。
「いや、それが全くわからん。そんな噂も聞かなかったしなぁ」
そう言ってカレントは首を傾げる。
「奥さんやお子さんは」
「ちょうど昨日から実家に帰ってるんだ。私一人の時で良かったのかなんなのか」
「まぁいいさ。ほとぼりが覚めるまでしばらくウチに居るといい」
「申し訳ない、助かるよ。カイルくんもごめんな、しばらく厄介になる」
そう言ってカレントはウェルズに連れられて客間へと消える。着の身着のままで避難してきたので替えの服も無い。
眠れない夜を過ごし朝になると、また隣からざわついた声が聞こえてくる。
「賊でも入ったのかな」
「どうなんだろうね」
カイル達にとってはお泊まり会の朝でしかないが、やはり昨晩の出来事は皆の関心事である。
「隣の人ってどんな人なの?」
サラスティアがそう聞いた。
「カレントさん? 名字があってロンデールって言うんだけどさ、僕もよく分かってないんだけど、獣人やエルフの地位向上? だとか公平な何とかを目指してるって聞いたな」
その言葉にタロスとシルフィは目を丸くする。
「ロンデールって、あのロンデール財団の?」
タロスが聞くと、カイルは少し考えて頷いた。
「うん、ロンデール=カレント。確かそんな名前だったと思うな」
その言葉に二人は更に驚いた。
それもその筈で獣人やエルフはそうだと言うだけで職に就く事が出来なかったり、逆に経営者や責任者が差別的な人族だったりすると真っ先に首を切られる事がある。
街の市場に農作物や家畜を売りに行っても、人族の農家が持って来たものと品質が変わらなくても足元を見られて安く買い叩かれる事すらある。
ロンデール財団はそんな窮状を救うべく、就職を斡旋したり市場での公正な取引を監視したりと、何かと獣人やエルフ達にとっては頼りになる存在なのだ。
当然二人もその恩恵に多かれ少なかれ与る事はあったわけで、そんな恩のある人の家が隣にあるのも驚きならば、襲われたというのも驚きだった。
*
昼頃になると、再びにわかに家の前が騒然としだした。だが何か様子がおかしい。
窓を開けて外を覗いてみると、信じられない声が飛んできた。
「出てこい卑怯者!」
「獣人たちを
カイルは慌てて窓を閉じると、すぐに階下へと駆け下りた。
「お父さん! お母さん! 何が起きてるの!?」
「カイルか! ……これを見てみろ」
ウェルズが差し出したのは一枚の"特報"と書かれた紙だった。
活版技術がそこまで発達していないので、本来新聞の類は街の主要な場所にある掲示板に貼られるのが常だが、こうして配られるものは余程の速報があった時だけだ。
だが普通、死人も出ていないこの事件で配られるほどでは無い。
「ロンデール財団、襲われる。首謀者は隣家の一家か……」
そんな見出しが紙面に踊っていた。詳しく読んでみると、アコーズのロンデール財団代表のロンデール=カレント氏の邸宅が獣人の一団に襲われたと書いてある。
「ウソだ! 獣人の誇りにかけて、恩を受けた者を襲うなんてあり得ない!」
タロスが記事を読むなり、半ば叫ぶようにして言った。
獣人は狩猟で生計を立てている者が多いが、武器を向けるのは獣や魔獣のみだ。滅多な事では人やエルフを攻撃する事は無いし、ましてや自分たちを表から裏から助けてくれているロンデール財団の人の家を襲うという事はまずあり得ない。
読み進めてみると最初に発見したのは通行人だが、鎮圧に向かったのはなんと"偶然"ロンデール家の辺りを巡回していたトイ家の私兵だという。
「トイ家って確か……」
「あの偉そうなヤツ!」
入学して早々に食堂で揉めて以来は接する事は無かったが、その名前と印象だけは強烈に覚えている。
「トイ家って、カイル達が入学してすぐの時にいじわるしたとこの家だろう?」
「そう言えばそうだったよね。貴族にケンカ売られたなんて言われた日には寿命が縮んだかと思ったわよ……」
親も覚えていたようで、ウェルズはうーむと言って考え込む。
「確かそのトイ家ってのは、第二王子のハルデヒト様が言うには人族至上主義者なんだよな?」
「うん、ハル様はそう言ってたよ」
「だからハルデヒト様、な。しかし怪しいな……」
入学以来時折昼飯を一緒に食べる仲となったハルデヒトの事を、本人の希望もあってカイルやタロスはハル様と呼んでいる。
王族に対して不敬ではないかと親はわざわざ言い直すがお構い無しだ。
しかし父の言いたい事はカイルやオルグにも理解できたが、それは同時に貴族に対し反抗する事でもある。何より証拠が無く、このままでは犯罪者の戯言と一周されるのがオチだ。
「とりあえず家の前の人達はなんとかせねばなるまい」
結局そのまま家に泊まって行ったカレントが、そう言うなりおもむろに玄関を開けた。
「ちょっと! カレントさん!」
ウェルズの制止も聞かず表に出たカレントは、奇妙なざわめきに包まれる獣人やエルフも混じった民衆を前に声を大にして叫ぶ。
「心配してくれてありがとう、私はこの通り元気だ」
ざわめきは一層大きくなったが、集まった民衆の一人が叫んだ。
「カレントさん! あんたはそのウェルズ家にけしかけられたんじゃないのか!?」
「私がそのウェルズ家からこの通り、無傷で出てきた事が何よりの証左である。つまらぬ風説を流布するような報道に踊らされるな!」
そう言ってカレントは昨夜何が起きてどういう経緯でウェルズ家に逃げ込み、そしてその家でどういう扱いをしてもらったかを滔々と説明した。
演説にも似たそれが終わった頃には民衆の熱は冷め、逆に特報の信憑性を疑う声すら出てき始めた。
「私は家がこうなってしまったからな、修理されるまではこのウェルズ家に厄介になるつもりだ。その大恩人に向けて石を投げるようであれば、この私が許さんぞ」
カレントはアコーズでは知られた篤志家でもある。財団としての事業は獣人やエルフの救済が主だが、個人としては積極的に奉仕活動に参加したりもする。
そんな人だから義憤に駆られて民衆が集まったわけだが、逆にこうも怒らせてしまっては自分たちの良心を疑おうと言うもの。すぐに集まっていた民衆は散り散りになり、代わりにあまりの熱気で近寄れなかった新聞屋が取材を始めていた。
*
「とりあえず……大丈夫そうかな」
外の様子を窺っていたウェルズがそう言った。だがそれで収まらないのはカイル達だ。
「ね、僕たちで真犯人を捕まえない?」
「何言ってんのカイル……」
調子のいい言葉にすぐさまサラが呆れた声を上げるが、タロスとシルフィは乗り気なようだ。
「そうだよ! そもそも、普通は見回りの夜警か憲兵なんかが見つけるもんだろ? それがなんであのトイ家の私兵なんかが見つけたんだ」
「しかも捕まった犯人はトイ家が確保してるって書いてあったよね」
タロスとシルフィの言葉にサラは口をつぐむ。貴族の私兵はその貴族の屋敷や持っている建物を守るのが仕事であり、犯罪者を捕まえたりなどはしない。
もし偶然犯罪現場に出くわせば手伝う事もあるが、犯人はすぐに憲兵に引き渡すのが普通なのだ。
「ハル様なら何か知ってるかもよ?」
「だからハルデヒト様だって……でもどうやって会うの、今は夏休みだし」
サラスティアに指摘されて、カイルはうーんと考え込む。今は夏休み、ハルデヒトも王都ルヴァンに帰っているだろう。
「とりあえず俺は故郷に速達を出してみるよ。獣人のコミュニティの中では何か広まってるかもしれないし」
「私も家に聞いてみようかな。後はこっちに来てからエルフの知り合いも何人かいるし、聞いてみるよ」
結局なんとも後味の悪い感じでお泊まり会は解散となり、寮生の三人はめいめいに寮へと帰って行った。
「ねぇ、オルグ兄はどう思う?」
見送ったカイルが兄にそう尋ねた。
「そりゃ怪しいのはトイ家だろうよ。だけど証拠がなぁ……話を聞く限り、トイ家は人族至上主義なんだろ? それも相当過激な」
オルグの言葉にカイルは頷く。ハルデヒトと仲良くなってからも時々トイ家の事は話題に上ったが、獣人やエルフの村への組織的略奪はほぼ間違いなくトイ家の差し金らしいという事も聞いている。
「だとすれば、例えばトイ家が獣人を攫ってきて"家族を殺されたくなければ言う事を聞け"とか言って脅してさ。カレントさんの家を襲わせたという推測も成り立つわけだ」
「なるほど……流石オルグ兄だ」
カイルには考え付かなかった推論であり、聞いてしまえばそんな風な気がしてならなくなってきていた。
「その獣人達に会えないかな」
「何をバカなこと言ってるんだ、推測だって言ってるだろ。本当に獣人が何かしら恨みを持ってカレントさんを襲ったとも限らないんだから」
オルグはそう言って、この話は終わりだとばかりに自室へと戻っていった。しかしカイルは一度憲兵の詰所に行ってみようと既に決めていた。
「どうせカイルは詰所に行くんでしょ? 私も行くからね」
「サラも来るのか」
「行って"犯人に会わせてください"なんて言ったって会わせてくれるわけ無いんだから、ちょっと工夫がいるわよ。行くのはちょっと待ってて」
サラスティアもそう言うなり、カレントが匿われている部屋に向かっていく。
カイルもまさに図星の事を言われてしまったのでサラスティアが出てくるのを待ち、一緒に憲兵詰所に向かう事にした。
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