第5話 昼休みの一悶着

「しかし大きい学校だなぁ」


 入学式の翌日の昼休み、その日から始まる学食を食べに学内にある食堂に向かっているカイルは、ぽつりとそんな事を呟いた。


 学校は三つの大きな建物があり、一つはカイル達普通学科の建物、一つは普通学科用の実習教室と食堂や教職員室などの部屋があり、そしてもう一つは特進学科用の建物である。


 歩いていると他の学年の先輩達もみんな食堂へ向かうようだ。制服にはそれぞれの学年ごとに赤、橙、黄、緑、水色、紫の線が入っており、カイル達は水色である。進級してもこの色は変わらないらしい。


「んで、なんで一緒に来るのさ」


「ダメ?」


「ダメだった?」


「別にいいだろ」


 カイルの横なり後ろなりにはサラと、そのサラスティアが話していたシルフィという長耳族の女の子。そして獣人族の説明で真っ先に呼ばれていたタロスが歩いていた。


「いや、なんだって僕とじゃなくても」


「俺はカイルの自己紹介、好きだったぞ」


 タロスが何てことは無いと言わんばかりにそう言った。


「俺は獣人族だ、俺達にとってはそうやって色んな人と仲良くなりたいって人は好かれるんだよ。それに狼類だと人族との関わりも多いけど、生憎とウチの村は人族の里からは離れてたからな」


「人族が怖くはないの?」


 カイルは純粋に疑問に思ったのでそう聞いたのだが、聞かれたタロスもまた、何故? と言った表情で返してくる。


「怖くないよ。むしろ俺だって、色んな種族と関われるのが楽しみで楽しみで仕方なかったんだ」


「お母さんとかに心配されなかったの?」


 サラがそう聞くと、タロスは微妙な顔になる。


「心配……はされたな。何せウチの村は遠い、ここまで来るのにも一番近い人族の里に出るまで二日、そこからアコーズまで更に六日もかかったんだ。それに俺ら獣人族の事をよく思わない人族もいるって言うしな」


「そうなの?」


 タロスの言葉に三人がハモった。確かに先程のロメル先生の話で、差別をしないようにと言っていた。こういう事だったのか。


「知らなかったのか? それに長耳族もそうだって聞いたことがある」


 タロスがそう言うと、シルフィが怯えにも似た表情を浮かべる。


「で、でもさ。ほら、先生も言ってただろ? 差別するなって。俺たちみんなは仲間だ、そうだろ?」


 タロスが慌ててそう付け加えると、シルフィの顔にも笑顔が戻った。そうだ。種族の違いがなんだ、僕たちは友達なのだ。


 食堂に着くと沢山の生徒で賑わっており、配膳の列は結構長く続いている。


「うわぁ……先に席を取っておいた方が良さそうね」


「だな。さすがに混んでるや」


 そんな事を言いながらも適当に席を取り列に並ぶ。メニューは日替わりらしく、毎日同じものなのかと内心でハラハラしていたカイルとタロスは静かに胸を撫で下ろすのだった。


 *


 めいめいに食事を受け取り食べていると、不意に離れた席から罵声が飛んだ。


「こんなモン食ってられるか! もっといい食事は無いのか!」


「そうだ! ここはエルゼン様にこんなモノを食わせるか!」


 恐る恐るそちらを見てみれば、人族と思しき男が二人。なにやら昼食にケチを付けているようだ。

 ちなみに今日の昼食はオムライス、お世辞じゃなく結構美味しい。


「うわ、何だあれ」


 一瞬静まった食堂に、カイルの声がよく聞こえた。

 しまったという表情を浮かべたが、時既に遅し。エルゼン様と呼ばれた男がキッとカイルを睨みつける。


「何だとはなんだ! 貴様、この私に文句を言う気か!?」


「エルゼン様、こいつ普通学科です。少し懲らしめてやった方が良いかと」


 その二人は特進学科らしい。特進学科は将来学者を志す人や、あるいは王に仕える官僚など政府の中枢で仕事をする人が入るのだという。

 制服も同学年を示す水色のラインを基調にした普通学科とは少し異なり、そこに金色のアクセントが加わっている。


「こんなモンは無いだろ、十分美味しいじゃんか」


 カイルがそう反論すると、エルゼンと呼ばれた同い年ぐらいの男の子ともう一人は大笑いした。


「お前は面白い事を言うな、コレを美味しいと言うか!」


「エルゼン様はトイ家の御子息、将来この国を背負って立つお方だ。将来外交で恥をかかぬ為にも、今から美食に触れておくべきなのだ」


「全く、イザールはよく解っている。それに比べお前達のなんと貧困な事か!」


 筋が通っているようで全く意味不明な事を言いながらエルゼンとイザールと呼ばれた二人はまた笑う。ここまで来るとバカにされた怒りを通り越して、呆れる他無い。


 だがそれを聞いた周りの高学年の生徒は一気に蒼ざめた。

 苗字があり、この国を背負って立つという物言いからしてエルゼンは貴族。恐らくイザールはその付き人だろう。


 貴族に平民が喧嘩を売るなど正気では無い。高学年にもなると、だんだんとこの国の力関係がわかってくる。それはつまり貴族は相当の権力を有しており、逆らう平民がいれば叩き潰そうと思えば徹底的に叩き潰せるという事だ。


 だがカイルはまだ低学年、その辺の事は全くわかっていない。そしてエルゼンのその後の言葉が、カイルの闘争心に火をつけた。


「しかもそこにいるのは長耳族に獣人族か? 穢らわしい、よくそんな畜生と一緒に食事ができるな」


「なんだって?」


「よく召使いなどと食事ができるな、と言ったんだ。これだから平民は……」


 カイルは一瞬自分の耳を疑い、次の瞬間激しい怒りが身の内にこみ上げるのを感じた。先程ロメル先生が言っていた「差別するな」の言葉の意味を理解すると同時に、一抹の不安もあった学校生活で初めて出来た友達にこんな事を言われては怒らない方がおかしい。


 キッとエルゼンの目を見据えると周りの好奇と怖れの入り混じった目線を物ともせず、思ったままを喋り出した。


「タロスやシルフィが召使い? 獣だって? お前は何を言ってるんだ、バカにしてるなら許さないぞ!」


「そうよ! そう言うあなたの方がよっぽど貧困だわ!」


 カイルの言葉にサラも応援したが、エルゼンは怯むどころかむしろ高笑いしだした。


「フハハハ! 何を言い出すかと思えば、僕の方がお前らより貧困だと? 平民風情が生意気な口を聞くな!」


 再び食堂が静まり返る。エルゼンもイザールも、それを自分達が場を支配できていると捉えたのか偉そうに踏ん反り返ってカイル達を見下していた。


 すると何やらイザールが耳打ちをし、エルゼンもそれを聞くやニヤッと笑った。


「おい、そこの人族の女。お前は特別だ、この僕と一緒に昼食を摂る事を許そう」


「エルゼン様は将来のこの国を担う重要なお方だ。そんな高貴なお方と同じ卓を囲むなど、将来自慢できる事だぞ!」


 エルゼンが傲慢な態度で言い、付き人のイザールもそうだそうだと囃し立てる。


「結構です! 私はこの三人と食べに来たの!」


 サラスティアの毅然とした拒否の言葉を想定していなかったのか、エルゼンは一気に恥辱に顔を赤くした。


「お前! 平民のくせに偉そうに、この僕の誘いを断ると言うのか!?」


「私はそうやって、貴族だからって人の事を平気で見下す人が大嫌いなの!」


 サラはそう言いながら、アレクス家で見てきた"貴族だから許される"様々な事を思い出していた。


 *


 アレクス家は表向きは宝石商という事になっているが、裏では金貸しも行っていた。それも他の他の金貸しが断るような経済状況の人にまで惜しみ無く金を貸し、その代わりに利率がとんでもないと言うもの。いわゆる暴利貸しだ。


 取り立てには街の不良を使っていたとかで、よく屋敷の中でどう見ても場所にそぐわない人達を見た事がある。

 何度か声を掛けられたりして最終的には姿を見ただけで逃げ回っていたのだが、屋敷を出る直前にも見た程だ。


 そしてサラ自身、何度か応接室の前で言い合う声も聞いた事がある。だがそれはアレクス家が貴族である事を前面に出した、一方的なものだったのだ。


「何とか……! 何とかお願いします! 今持っていかれたら家族全員路頭に迷う事に……」


 思えばそれを意識したのは、そんな声が聞こえてきて不意に足を止めたある日の事だ。


「お前の事情など知った事ではない。いいから貸した十万エルン、利子を合わせて合計十六万千五十エルン。早いところ用意してもらおうか」


「……あんたの利子はめちゃくちゃだ!十日で一割なんて払える訳が無いだろう!?普通は――」


「今更何を言い出すかと思えば、私に金貸しの法でも説く気か? 利率は事前に説明しただろう」


「それは……」


「では約束通り、この土地権利書は私のものだ。いいな」


「分かった……」


 会話の声は血の繋がりで言えば父であるクァンドルと、後は知らない男の人だった。

 当時七歳だったサラスティアは多少の事ならわかる。幼心ながらに、父がめちゃくちゃな金貸しをしてお金を取っているんだなと思って聞いていた。


「ふん、これでお前も平民下りか。これからは末代まで、我々に奉仕するんだな」


 クァンドルのその言葉に、サラスティアは強烈な違和感を感じた。自分が例え異母兄弟から虐め抜かれようとも、時折見る平民街の同い年ぐらいの子供より良い暮らしをしているであろう事は薄々理解している。


 だか、平民になる事はいけない事なのだろうか。自分より遥かに笑顔の眩しいあの平民街の子供達は、貴族に劣るのだろうか。


「真に心がとうとい人は、貴族である自分達が誰に支えられているかよく分かっているものよ」


 母のミューゼに尋ねると、そう言って寂しげに笑った。


「貴族とは言うけどね、本当の貴人が果たしてどれくらいいるのかしら。平民のみんなが頑張ってくれるから、みんな貴族としてやっていけるものなのよ」


 ミューゼの言葉に当時のサラスティアは意味がわからず曖昧に返事をしたが、成長するに連れて段々とその意味が分かってきた。


 気をつけて聞いてみれば異母兄弟の口癖は「平民風情が」であったし、クァンドルの正妻であるオリメも何かと平民を馬鹿にしていた。


 金持ちのくせにケチなアレクス家で、食糧の買い出しはミューゼの仕事であった。

 ある日、いつも通り買い物を終えて帰ってきた母がオリメに叱られているのをサラは偶然見てしまった。


「なんで平民街なんかで買ってくるの!」


「奥様、品質は貴族街で買っても平民街で買ってもあまり変わりません。それならば安い方でと……」


「言い訳はやめて! 今すぐ貴族街で買い直して来なさい! これはあんたと娘で食べればいいでしょう!」


 そう言ってオリメは買い物籠を母に投げつける。

 辛抱堪らず出て行って文句の一つでも言おうと思ったが、すぐにオリメはどこかに行ってしまいそのタイミングを失ってしまった。


「お母さん、大丈夫……?」


「大丈夫よ、サラ。でももう一回出かけて来なくちゃね、これもいい品物なんだけど……」


 母が手にしていたのは林檎だった。値札を見て驚いたのをサラスティアは今でも覚えている。


「これって、高いりんごじゃないの?」


「そうよ。アダリスのルァイツという所のもので、平民街に出ているのは珍しいぐらいなんだけどね」


 平民街だからダメだという理由が、やはりサラには分からなかった。夜に食べたその林檎は甘くてみずみずしくて、母と二人の幸せな時間として覚えている。


 *


 そんな経験などカイルもエルゼンも知る由では無いが、エルゼンにとっては自分の誘いを断った事によりプライドを傷付けられたと感じたらしく顔を赤くして激昂し出した。


「僕の誘いを断るだと!? ちょっと顔がいいからって調子に乗って、そんなにその男と畜生どもがいいのか!」


「なんとでも言いなさいよ。私はあなたとは絶対に一緒にご飯を食べたりはしないもの」


 もはや売り言葉に買い言葉と言った感じではあったが、いつしかエルゼンの側には他の高慢ちきな貴族が、そしてサラスティアの側には大勢の平民が種族関係無く付いてやんやと野次を飛ばしていた。


「いいぞエルゼン! この身の程知らずな女に貴族の偉大さを思い知らせてやれ!」


「負けるな二人とも! 平民がいなきゃ街は成り立たないんだ!」


 カイルもだんまりを決め込もうと思っていたが、あまりにエルゼンの言葉に腹が立ったのでサラの応援をしていた。


「わかった! お前がそんなに僕の誘いを受けないと言うなら、父に言い付けてお前を破滅させてやる! 僕の父はルヴァンで官僚をしてるんだ、お前みたいな平民なんてすぐにこの国から追い出してやるからな!」


 エルゼンの言葉にサラが答えに窮した時、人混みの中から一際通る声がした。


「ほう、父に言い付けるか。では私もこの一件を父に報告させてもらおうかな」


 そこには見事な艶を放つ金髪を持ち、橙色に金色線が入った制服を着た生徒が立っていた。


「誰だお前は!」


 怒り心頭のエルゼンがその勢いのままに怒鳴った。


「仮にも上級生に向かってその言い草か? 特進学科が聞いて呆れる……いや、水色の制服ならまだ入学したばかりか」


「お前も僕を馬鹿にするのか! 橙色なら四年生か? だからどうした、父に言い付けてお前も国外追放にしてやろうか!?」


 冷静な上級生に対して、エルゼンは感情のままに叫ぶ。


「君が父に言い付けると言うのなら、私もそうさせてもらおうか」


「お前が誰だか知らないけどな、僕の父は宮殿勤めの官僚だぞ! トイ家の名前は知れてるはずだ!」


 そう言うと上級生の男は大笑いした。


「そうかそうか、あのトイ家の子息か。なら分からんでも無い。あぁ、言い忘れていたが私の名前はハルデヒト、ミリウス=レクス=ハルデヒトだ。宮殿勤めの父を持つ君なら名前ぐらい知ってるだろう?」


 ハルデヒトと名乗った瞬間のエルゼンの顔が目に見えて変わった。それはもうあまりの変わりぶりが滑稽で、カイルは噴き出すのを堪える方が大変だった程だ。

 だがエルゼンもイザールも、そしてサラも信じられないと言った顔でハルデヒトの方を見ている。


「貴方は……第二王子様、ですか?」


 サラの言葉に、ハルデヒトは微笑を浮かべて頷いた。


「そうだとも。ここは、任せてほしい」

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