第3話 追放、そして……

 ミリウス王国の首都、ルヴァンの一角には高級住宅街がある。王国政府の官僚や政治家、国の一大企業のトップなどが住む大きな家が立ち並ぶ場所だ。


 その家々の中の一軒にアレクス家という家がある。ミリウス王国内で宝石商を営む家だが、現当主になってからは散財が過ぎると社交界で話題になっていた。だがそんな放蕩経営でも家が潰れないのは、先祖が遺した巨万の富のおかげだという事も皆が知っている。


 そしてある日、その屋敷の前に大荷物を積んだ馬車が一台止まっていた。


「忘れ物は無い?」


「大丈夫よお母様」


 見目麗しい母と子が名残惜しそうに玄関で話している。その後ろから当主であるアレクス=クァンドルが、見るからに肥えた体を揺らして現れた。


「大丈夫ならさっさと行け、サラスティア。ミューゼとまだ仕事があるのだぞ、あまりボヤボヤするな」


 身体を体現したような太い声でそう言うと、クァンドルは早く行けと顎で追いやる。


「そうよ、急がないと入学の日までに宿に着かないわよ」


 クァンドルの後ろからさも心配そうな顔をして、クァンドルの正妻であるオリメが現れた。でもサラスティアは知っている、オリメもクァンドルも早く私に出て行って欲しいのだという事を。


 サラスティアは無言で頷くといそいそと馬車に乗り込んでいく。屋敷の二階を見やれば腹違いの……オリメから産まれた兄弟が見下ろしているのが見えた。あの三人の兄弟でさえも早く行けとばかりに手を振る。


 母のミューゼはクァンドルの妾だった。元々はアレクス家に仕える使用人だったのだが、クァンドルが手を出したというわけだ。

 だがクァンドルはミューゼの躰に興味があっただけで、その結果として産まれたサラスティアに関しては無関心だった。正妻のオリメもその三人の子供もサラスティアには強く当たっていた。


 だからサラスティアが十歳になるのを待って、王都ルヴァンから遠く離れたアコーズにある寮付きの学校へ入学させる事にしたのだ。事実上の追放というわけである。

 ミューゼも同行を求めたが、それはクァンドルが許さなかった。まだその躰に用事がある事と、正当な理由ではなく使用人にいなくなられたとなると、貴族の名に傷が付くと考えたからだ。


 ガラガラと音を立てて、サラスティアを乗せた馬車は高級住宅街を後にする。船が主要交通網として栄え、水の都とも呼ばれる王都ルヴァンが遠ざかって行く。

 母と離れる不安は大いにあったが、妾の子として顔と名前が知られている土地を離れ誰にも何も言われないはずの新生活に、サラスティアはとてもワクワクしていた。


 *


 母のミューゼは元々、かつて使われていたという古い文字を研究する学者だった。ただ学者稼業だけでは食べていけなくなったので、住み込みで働ける仕事という事でアレクス家の使用人をやっていたわけだ。


 アレクス家の邸宅のミューゼに充てがわれた部屋の中には、当主の許可を得てその古文の資料が置いてあった。その本を見ながら育ったサラスティアも必然的に古文に興味を持ち、寮に持ち込もうと母から貰った古文の本を沢山積んでいた。


「コックルおじさんは学校に行った事あるんだよね?」


 コックルおじさん、とは馬車を操る御者の事だ。


「えぇ、ありますよ。もっとも田舎の小さいところでしたがねぇ」


「ね、ね、どんなところ? 友達いっぱいできるかな!」


「いっぱい出来ますとも! サラスティア様に限って、出来ないなんてことはありませんよ!」


 そう言って陽気に笑うコックルもアレクス家に仕える一人だ。でも何かにつけてサラスティアとミューゼの味方をしてくれるし、そんなおじさんがサラスティアは大好きだった。


「学校ってどんな事を教えてくれるの?」


「そうですなぁ、6年間通うわけですが最初は簡単な読み書き計算から。そして段々と難しい内容や、国の成り立ちだったりを学んでいくわけですな」


「卒業したら?」


 サラスティアがそう聞くと、コックルはうーんと考える。


「それこそ人それぞれですなぁ。私は三男だったので街に出て仕事を探しましたが、家を継いだりもっと色んな事を学べる学校に改めて通ったりする人もいますな」


「ぼーけんしゃっていう人は?」


「冒険者……変異動物、あるいは魔獣とも呼びますが、それを駆除するって人達ですか。

 あの仕事はお金は稼げますけど危険ですからね。良く書かれてる本なんかもありますけど、あんまりやらない方が良いと思いますよ」


 そっかー、と言ってサラスティアは空を見上げた。そう言えばドラゴンという生き物がいるのだという、山の奥の方に住んでいるが人が乗って飛ぶ事も出来るそうだ。


「ね、アコーズにドラゴンっているかな」


「ほ、また急ですな。軍の駐屯地があればいると思いますよ。竜騎兵は空の守り神、アコーズほどの街ならいるんじゃないですかねぇ」


 コックルの言葉にまた思いを馳せる。ドラゴンも絵や彫刻などではよく見るが、本物は遠目でしか見た事は無い。しかし子供心ながらに、そのカッコよさには惹かれるものがあった。


 そんな話をしていると、ちょうどドラゴンが編隊を組んで飛んで行くのが見えた。


「ドラゴンだ!」


「お、あれは軍の竜ですなぁ。いや、いつ見ても壮観なものですな」


 頭上を馬車とは比べ物にならない速さで通過していく六騎の竜を、サラスティアは目を輝かせて見上げていた。そしてこの時ハッキリと自分の将来を決めたのだ。


 ——将来はぜったい、ドラゴンに乗ってお母さんと一緒に世界を旅するんだ……!


 *


 アコーズにある王立学校の寮に着き荷物を運び込むと、コックルは名残惜しそうに今来た道を帰っていく。本当はアコーズに泊まって荷解きを手伝いたかったようだが、主人であるクァンドルから早く帰れと催促されているらしい。

 まだどの部屋に入るかもわからないのに帰れというのも急がせ過ぎな気もするが、あの家主クァンドルなら納得もできた。


 入学時点で9歳の子から卒業時点で15歳の子まで入る寮は、当然の事ながら男女別で朝夕の食事も提供してくれる。

 その分寮費もそこそこの値段にはなるのだが、貸付制度もあったりと遠方から来る貧しい家庭の子供にも抜かりないサポートがあるというわけだ。


「あ、いたいた」


 突然後ろから誰かに話しかけられて、飛び上がってしまった。振り返ってみれば少し太めのおばさんが部屋の前に立っていた。


「わ、そんなに驚かなくてもいいじゃないの。えーと、サラスティアさん?」


「は、はい。サラスティアです」


 そう言ってお辞儀すると、おばさんは一瞬面食らってすぐにケタケタと笑った。


「丁寧な子ねぇ。私はオリエよ、ここの寮母、まぁここのみんなのお母さんみたいなものかしらね。オリエおばさんって呼んでくれれば良いからね」


「よろしくお願いします、オリエおばさん」


「あら、笑うと可愛いじゃないの。よろしくね。貴女の部屋は……二階の三号室ね、二人部屋で他にもう一人いるから仲良くしてね。

 19時から夕餉の時間で、その時にここの寮の決まりとか色々説明するから、遅れないようにね」


 そう言ってオリエは出て行く。他の入寮者の所へ行くのだろう。


「優しそうな人で良かったなぁ……」


 ぽつりとそう呟くと、すぐに荷物運びを始めた。必要な家具は据え付けてあるので持ってきたのは私物のみだが、お気に入りのぬいぐるみやら母から貰った古文の本やらそこそこ量はある。


 包みを一つ持ち上げたところで、先程のオリエの言葉が脳内で再生された。


「ん……? もう一人いるの?」


 *


 指定された部屋に向かい戸を開けると、勉強机が二つと二段ベッド、そして机に座っていた金髪長耳の子が振り返るのが見えた。


 その子は金髪に翠色の瞳、いわゆる長耳族エルフだった。初めてまじまじと見る長耳族に一瞬見惚れたが、すぐにその女の子がぱぁっと笑顔を見せて歩み寄ってきた。


「あなたがサラスティアちゃん!?」


「は、はい。サラスティアです、よろしくね」


「硬いな〜。私はシルフィ、よろしく! シルフとかって呼んでくれればいいからね!」


 そう言ってシルフィはサラスティアの手を取ってぶんぶんと振った。どんな人と同じ部屋なのだろうかと心配したが、その必要は無さそうだとサラスティアは胸を撫で下ろした。


「サラスティア……サラって呼んでいい?」


 シルフィからそう言われて、サラスティアはいささか驚いた。

 貴族の家で育ったとはいえ所詮は妾の子、周りの同年代の人からも見下された口調で話される事が多く、そう言ったざっくばらんな付き合いが無かったのだ。


 でも同時に嬉しくも感じた。これからはこれが普通、今ここでシルフィと話したわずかな時間だけでもルヴァンの家より心地がいい。


「もちろん……! じゃシルフィの事はシルフって呼ぶから、私の事はサラって呼んでね」


「わかった! それでさ、サラはどこから来たの?」


「私? ルヴァンからよ」


「王都から来たの!? すごーい! 私は知ってるか分からないけど、トレッタケールっていう所なんだけど知ってる?」


 サラスティアには当然どこか分からなかった。ミリウス王国の地理にはてんで疎く、せいぜいルヴァンと聖輝教の総本山があるサンクトゥスと、ここアコーズぐらいしかわからない。


「やっぱり知らないかー、田舎だからね。ここのアコーズからだと、馬車で十日かかったなぁ」


「そんなに遠くから!?」


 思わずサラスティアは驚きの声を上げた。ルヴァンとアコーズは馬車で二日程だ、それでさえ大冒険だと思っていたのにこの子はその数倍もの距離を旅してきたという。


「国の外れの方だからね、何もない所だよ」


 シルフィはそう言ったが、生まれてこの方ほとんどルヴァンから出る事無くここアコーズでさえ初めて来る馬車でワクワクしていたサラスティアからすれば、そこがどんな場所かなどどうでもいい。


「どんな場所なの? 私、あんまりルヴァンから出た事無くて……」


「トレッタケールの話でよければいくらでもするよ! まずはね……」


 何もないと言いつつ、故郷の話をするシルフィは心底楽しそうで、サラスティアにはそれが嬉しかった。

 結局サラスティアの荷物はシルフィと一緒に運び込み、その後は二人して色んな話に夢中になって、寮母のオリエが夕餉の時間になっても食堂に来ない二人を心配して呼びに来るまでずっと他愛もない話をしていた。


 *


 翌朝、一緒に入学式に参加する親のところへ行くというシルフィと別れて一人、校舎を見上げていた。大きくて立派なその建物は、王都ルヴァンにあってもおかしくない程だ。


 ——これからここで学んで、自由な事をして……何をしてもいいんだ、誰と仲良くしても何を勉強してもいいんだ!


 口を真一文字に結んで難しそうな顔をしながら、それでも内心は期待でいっぱいだった。本当は入学式はお母さんと一緒が良かったのだが、卒業までに何とかしてクァンドルも納得するような成果を出して、卒業式はお母さんと一緒に出るんだ。と強く決意したのだった。


 そうして校舎を見上げ自分の意思を再確認すると、ゆっくりと建物の中に入っていった。近くにいた男の子にちらちら見られていた事など気付きもしないで。

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