染み出す者ども

 二階堂の視線の先に怪物がいる。


 蟻塚城へと至る橋を渡り切った場所。


 蟻塚城へのアタック初日で二階堂が到達できなかった、正門前だ。


 そこには特に門があるわけでもなく、蟻塚城内部へと至る大きな穴がぽっかりと空いているだけなのだが、そこに門番さながらに異形が立っている。


 一見して人っぽいのだが、腕が四本あり、全ての手に剣を持っている。


 ――いや、剣を持っているのではなくて、手が途中から剣になっている。


 足も、よく見ると剣だ。頭はのっぺりとまるで風船のようで、透き通っており、内部で無数の球体がぐりぐり押し合いへし合いうごめいていた。


「エグい……」


「あれは、なんとなく生物ベースっぽいから、アブザードっすね。食えるッスよ」


 手でバイザーを作ったアノマリアが、二階堂の隣に立って言った。


「嘘だろ……あれ食うの……?」


 絶句した二階堂。


「アブザードは元が大地の恵みだから、食べられるんス。一方のイグズドは、体液の一滴に至るまで虚無だから、食うと駄目なんスよ」


 二階堂は改めて遠くの異形を見た。それなりに距離を取っているが、ズーム映像で詳細まではっきり見える。ロンロンの声が聞こえてきた。


『アブザードとイグズドの見分け方を教えてくれないか、アノマリア』


かん……ッスね」


「勘……」


 二階堂は呻いた。


「それってさ、毒キノコの判別を勘でやってるのと同じくらい、危険なことしてないか?」


 食べたら病気になるものを、勘で選ぶというのは、つまりはそういうことだ。


「まぁそうなんスけど。そもそも、よほど追い詰められないと虚空の住人どもヴォイデンスなんて食わないッスからね。どっちかっつーと、おじさま達が超絶非常識なことをしているだけで。自分らの常識だと、これだけ琥珀アンバーが落ちてるわけッスから、普通琥珀アンバーを食うッスよ」


「よしロンロン。帰って琥珀アンバーを食べよう」


 二階堂がそう言って踵を返そうとすると、アノマリアにがしっと腕を掴まれた。


「――自分の術の腕前を見てもらうために、ここまで来たんスよ?」


「疑ってない。疑ってない」


 実際、疑っていない。アノマリアの力はもう十分理解している二階堂だった。


「ちゃんと見て! 褒めて欲しいッス‼」


 口を尖らせて詰め寄るアノマリア。


黒水晶モーリオン取りに行った時にかけてもらったあの術は凄かったって! もう分かってるから! 凄いねアノマリア、よしよし‼ ほら、見ろよあの……そう、牛鬼うしおに! 頭が透明でカプセルが詰まった、デメギニス牛鬼だ、あれ! あんなのにわざわざ殴られなくたって……」


 そう言って二階堂がデメギニス牛鬼を指差して見ると、その頭がギュルンッと音を立てて二階堂に向いた。


 ゾォッと総毛立った。


「なっ……」


「あ、やべ」


 カツカツと、足音を立てて二階堂に向けて足を踏み出すデメギニス牛鬼。


「おじさま、あれ、アブザードじゃなかったっぽい」


「え?」


 距離を縮めてくるデメギニス牛鬼から視線を外せない二階堂。直後、七色の防御膜が二階堂を包み込んだ。


「あれはイグズドっす。おじさまが名前を付けて呼んだから、取りいたッスよ。もうどこまででも追ってくるから、逃げても無駄。おじさま、さっさと掠って始末して欲しいッス。自分、危ないから離れてるッスね」


 そう言って、そさくさと離れていくアノマリア。デメギニス牛鬼は、アノマリアには興味を示さず二階堂に向けて加速し始めた。


「それはどういう意味なんだ、アノマリア⁉」


『カオル、来るぞ』


 二階堂はロンロンの声に応じて腰を落とした。


 目の前でやたらめったらに振り回される四本の剣。


 二階堂に剣の心得なんて、ない。


 後じさる。


「ど、どうやって掠らせろと……」


『アノマリアの防御膜がある。心配するな』


 二階堂は舌打ちして腰からバールを抜いた。


 それを下からすくい上げるように剣の領域に叩き込む。


 ガキィという音がしてバールが止まった。デメギニス牛鬼の猛牛のごとき筋力と、二階堂のフレキスケルトンの硬度が拮抗して両者の動きが一瞬止まった。


 二階堂が敵の脇をすり抜けようと前に踏み出した時と、胸部に凄まじい圧迫感を感じたのは同時だった。


 二階堂は大きく宙を舞い、背中から蟻塚城の壁に叩き付けられていた。


「かっ……は……」


 ずるずると身体が滑り落ちる中で、呼吸が詰まり、息が吸えなかった。同時に、胸を中心に焼きごてを押し当てられたかのような熱が全身に広がって、四肢に力が入らない。視界が周囲から徐々に暗くなってくる。


『急いで前に転がれ、カオル! 押さえつけられたら身動きが取れなくなるぞ!』


 ロンロンの言葉に盲目的に従い、倒れ込むように身体を前方に転がす。


 入れ違いにデメギニス牛鬼が二階堂がいた場所に飛び掛かり、両者が位置を入れ替えて睨みあう。その時既に、二階堂は膝射の姿勢でガウスライフルを構えていた。


 二階堂が引き金を引くと、恒常超伝導体スタティック・スーパーコンダクタに瞬間的に莫大な電流が流れ込み、二階堂の肩を押しながら超加速したエルジウムの弾丸が、空気を切り裂いてライフルの口から飛び出した。


 瞬時にしてデメギニス牛鬼の胴体に大穴が空き、ガウスライフルの轟咆ごうほうが蟻塚城の空に木霊した。


 無言で立ち上がる二階堂。


「おじさまっ! 平気⁉」


 パタパタと掛けてくるアノマリアに、二階堂は「ああ」と答えた。


「本当に怪我はしないんだな……」


『カオルのバイタルサインは正常だ。ただ、牛鬼に切られた瞬間は脳波が嵐に飲み込まれたようになっていたが、今は治った。大丈夫、作戦成功だ』


 うっしうっしとガッツポーズを取るアノマリアだったが、一方の二階堂の表情は晴れない。


「……これ、駄目だろ。気を失いかけた。痛みで身体が動かなくなるのもマズい」


 二階堂が胸部の傷をさすった。


 牛鬼の刃は服を切ったが、その下の皮膚は無傷だった。確かに切られはしなかったものの、まるで鉄骨でフルスイングをもらったかのような、尋常でない痛みがあった。誤解した脳が、その活動を停止してもおかしくないほどの激痛だった。


「なんてこと言うんスか! ようは訓練なんスて! 戦士達もある程度は時間を掛けて痛みに慣れる訓練をするもんなんスッ‼ アノマリア印の螺鈿術ネイカーはみんなから、それはそれはもう信頼されていたんスからねっ!」


『そうだぞカオル。先ほどの牛鬼にアノマリアのサポート無しで挑んでいたら間違いなく死んでいた。それほど隙のない攻撃だった。きちんと感謝するべきだ』


 二人に責められ、目を閉じて天を仰ぐ二階堂。


「……もうひとつ。アノマリア、さっきの。取り憑かれるって話……初耳だぞ。あれどういう意味だったんだ?」


 アノマリアは、二階堂があの異形をデメギニス牛鬼と呼んだから、彼に取り憑いた。もう逃げられないと言った。とても重要そうな話だった。


「そうそれ。ちょっと言い忘れてたんスけどね、おじさま」


 アノマリアが二階堂の胸をさすりながら言った。


「――イグズドのこと、名前付けて呼んだら駄目ッスよ?」


「名前を? どういう意味だ?」


 二階堂が聞くと、アノマリアは目を細めて続ける。


「イグズドは、名前を付けると、取りくッス」


「――そこが分からない」


 二階堂は首をかしげた。


「イグズドのことを、名前を付けて呼ぶと、死ぬまで追っかけられるんス。そうなったら連中、周りのことは目に入らなくなるって言うか、とにかく名前を呼んだ名付け親を最優先で殺しに来るッス」


「はぁ? なにそれ……名前を付けると怒るのか? そういうもんなのか?」


「そういうもんス。……これは、自分がここで色々研究してみて、なんとなく分かったことなんスけどね。染み出す者どもイグズド、引いては虚空の住人どもヴォイデンスは、どうやら記憶されたくないみたいなんスよ」


「記憶されたくない?」


「そう。奴ら、自分を見たものを優先的に襲い掛かっているし、名前を付けるなんていう、自分の存在を確定させるような行為に対しては極端に攻撃的になるッス。ただしアブザードは別。アブザードは元生物なんで、元から名前がある者ばかりッスから、改めて名前で呼んでもそれほど反応しないッス」


「――虚空の住人どもヴォイデンスって、なんなんだ?」


 あまりに意味不明な敵に、二階堂は唸った。


「自分らも、詳しくは分からねーッスよ。ただ、連中は螺鈿大地の敵。桃源郷ザナドゥおびやかす宿敵ってことは確かッスね」


『そういえば先日、蟻塚城の巨大ウニに前触れもなく突然集中砲火を受けたことがあった。これといった切っ掛けがなかったので、不思議に感じていたが、あれはまさかカオルがあの怪物を巨大ウニと、はっきり呼んだからなのだろうか?』


 ロンロンの言葉に、アノマリアが腕を組んだ。


「そっすねぇ……自分そのシーン見てないッスけど、呼んだならそうかも。確かに、上から見てた感じ、狙われ方が執拗だったッスね。きっとそうッス」


「なんてこった……」


 知らなかったとは言え、迂闊にもロンロンへのツッコミを優先して墓穴を掘っていた二階堂は、がっくりと項垂うなだれた。


「――とにかく、まぁ、そうだな。この新戦略の感触は分かった。十分だ。もう帰ろう、精神的にクタクタだ」


『まだ肉がない。最低一匹仕留めてこい。まだライフルは撃てるぞ』


「正気かよ、お前……」


 無慈悲なロンロンの指令に、うんざりと呻き声を上げる二階堂。


「ささ、もうちょっと一緒に遊んでいくッスよ、おじさま! やっぱそのガウスライフルって星遺物オーパーツ、やっぱすんげーかっこいいッス‼ ……自分も、使ってみたいんスけど、駄目? おじさま……」


 目を輝かせるアノマリア。


「お前ら……俺の命を削った遊び、そんなに楽しい?」


 そんな二階堂の恨み節を無視して、アノマリアが彼の背中を押した。


 二人は蟻塚城の中に消えていった。


 アノマリアの協力を得た新戦術の確認は上手くいった。ただし、やっぱり攻撃を完全に掠らせるのは難しく、腕や足の激痛を堪えなければならなかった。20回ほどトライして完全に掠らせたのは2回だけ。17回は光の膜で防がれ、1回だけ、直撃を受けた。痛みは瞬間的なもので、意識を保つことさえ出来れば、あとは我慢の問題だった。


 ガウスライフルの威力が大きすぎて、直撃させると肉が残らないというトラブルもあったが、結局異形を四体仕留め、その日はビヨンド号に戻った。二階堂には最後までアブザードとイグズドの見分けがつかなかったが、仕留めた後、赤い血を流していれば間違いなくアブザードだということだった。イグズドの体液は半透明らしい。


 その後、数日かけてアノマリアとの連携を繰り返すうちに、少しだけ掠りのコツを掴んだ二階堂だった。要するに度胸だった。


 その特訓のついでに、蟻塚城の内部構造をソナーを使って調べたり、アノマリアが言うところの爆弾として使える宝石――金紅石ルチルを拾ったりと、彼らは忙しい日々を送った。


 こうして、蟻塚城に潜る日が近づいてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る