おーじさま

「――何で来ちゃったかなぁ」


 至近距離から咎める視線を送ってきたアノマリア。


「まぁだってほら、俺おじさんだしさ。君みたいな美人に懐かれると弱いんだよ」


「ちょろいおじさまッスね~」


 クスリと笑い、しかしすぐに彼女の表情に陰が落ちた。


「――でも、一緒には行けない。このまま自分も落として欲しいッスよ」


「そうはいくか」


 二階堂はアノマリアの腰に回した腕に力を込め、さらにフレキスケルトンを硬化させて彼女の怪力に備えた。


 ところが彼女は二階堂の首に回した腕を解くつもりはない様子だった。むしろ二階堂の首元に顔を押し付けてくる。


「……というか、行くところがないんスよ。もう、ここしか自分には居場所がない。どこに行っても、瞳が割れてれば拒絶されるッス。エントリオのおじさまには分からないかも知れないッスけど、この螺鈿大地はそういうものなんスよ」


「コンタクトで隠しても?」


「え……」


 アノマリアが困り顔で言葉に詰まった。


「瞳が割れてるのを見られてまずいなら、隠しておけばいい」


「そういう問題では――」


「確かに。俺はこの螺鈿大地という場所を知らない。君たちの、ものの考え方や、文化も、風俗も、何も知らない――でもひとつだけ分かることがある。君のことだ」


 二階堂はひと呼吸おいて続ける。


「俺も、どうしようもなくなって、最後は死人しびととなって宇宙を彷徨さまよったから、分かる。俺は一度、決定的なな死を目の前にして、それを受け入れた。その後、この螺鈿大地で目を覚ました後の苦痛をよく知っている。だから、アノマリアの考えてることはよく分かる」


 自分の嘘偽りない本心が、ほんの少しでもアノマリアの心に引っかかることを祈りながら、彼女の瞳を見続ける。


「――馬鹿ッスね」


 アノマリアが小さく笑った。


「自分なんかに同情しちゃって……自分は札付きの傷物ッスよ? 偶然、怪我をした子猫でも拾った気分なんスよ、おじさまは。あわれみに目が曇っているだけ。自分をこのまま連れて行ったって、なんにも良いことなんてないのに」


「馬鹿でもいいんだ。俺は君と一緒に居たい」


 二階堂の腕の中で表情を硬くし、力なく身をよじったアノマリア。


「――そんなに、自分を抱きたいッスか? エヴァイアには、自分なんかより、もっとずっとセクシーなねーちゃんがいっぱいいるッス。おじさまのガウスライフル撃って見せれば喜んで股開いてくれるッスよ」


「アノマリアがいい」


「ひっ」とアノマリアが小さな悲鳴を上げた。


「アノマリアの笑顔を見てると、ほっとするんだ。ずっと見ていたい。君の笑顔を見ているだけでもいい。そのためだけに、人生をまっとうできる思ったんだ」


「うっ……でも……この顔は、もうすぐ醜く崩れていくから……」


 唇を噛んで顔を逸らすアノマリア。二階堂は彼女の頬にかかった髪を払った。


「アノマリア。俺がイスランの代わりに君の名前を呼び続ける。近くで名前を呼び続ければ、長く持ちこたえられるんだろう?」


 アノマリアがはっと息を飲んだのを見て、続ける。


「――君の病は、不治の病とされているようだが、地球の知識に照らし合わせたことはないだろう? ロンロンと相談して、治療の可能性があるっていう結論になった。ロンロンを甘く見るなよ。あいつは凄いんだぞ? 宇宙進出を果たした人類の黄金時代を支える叡智えいちが、あいつの頭にほぼ全て詰まってる。俺は、まぁそこまでじゃないが、それでも元それなりのエンジニアだ。他にも色々と訓練を受けた。きっと力になれる」


 二階堂は、息がかかるほど近く、アノマリアに顔を寄せた。


「俺たちが治療方法を探し出す。一緒に来てくれ、アノマリア」


 するとアノマリアはじろり。目つきを鋭く、試すような視線で見返してくる。


「――そんなこと気安く言って、探し回って結局見つからなかったらどうするの? その時は……そんなの自分、耐えられない……」


「その時は俺が一緒に死んでやる」


 二階堂はぴしゃりと言った。


「俺は弱いんだ。人生折り返した身で、一度死んだ後で、さらに生き続けるには、はっきりとした理由がいる。俺は君のために生きたい。だから、君は俺のために生きてくれ。俺には君が必要なんだ。どうせ捨てる命なら、一緒に行けるところまで行ってみないか。どこか遠くの彼方へでも行こう。ビヨンド号があればいける。君は知らないだろうが、ビヨンド号はな、ちょっと考えられないくらい遠くまで飛べるんだ。どこかに答えが隠されてるに決まってる。それを一緒に探す旅に出よう。それでもだめなら、最後は俺が一緒に死ぬ。どうせ君無しじゃあ、生きていけそうもない」


 ひと息に言い切って、二階堂は最後に、


「俺が君の生きる理由では駄目か? アノマリア」


 と言った。


「……」


 ぼーっと見返してくるアノマリア。


 彼女はふっと表情を崩し、にこーっと笑って、


「――駄目なわけない。信じるよ、カオルおじさま。連れて行って」


 と、言い終わらない内に両脚を絡みつけ、二階堂の口にむさぼり付いてきた。


 ワイヤーで釣られた不安定な体勢で、アノマリアを抱えてなにもできない二階堂。彼女の為すがままになっていたが、やがてアノマリアが「ぷはぁ」と息を上げて顔を離すと、同じように呼吸に喘いだ。


 しかし、すかさず再び口を塞がれる。


 そんな行為を数度繰り返し、ようやく解放された。


 ――ひょっとして、キス魔なのか?


 耳たぶを甘噛みされながら浮かんできた感想は、それだった。


 茫然と思考が麻痺していた二階堂。彼の肩に首をかけて抱きついていたアノマリアが、ふと身体を離して思い出したように言う。


「――そういえばこれって、ロンちゃんが言ってたトゥルーエンドってやつッスかね?」


「は?」


 不審な話題に、二階堂は訝しげに眉を寄せた。


「自分の笑顔を見ているだけでいいって話、散々抱かれた後だったら、ちょっと白々しいところだったッスけど、一度も手をつけられていない状態で言われると説得力があってグッと来たッス。こういう流れもあるんスねぇ……ロンちゃんの言うとおりッス。自分らはロンちゃんの手のひらの上だったってことッスね?」


「はぁ」


 突然繰り出された迷推理に、二階堂は生返事する他ない。するとそんな彼を見たアノマリアが「ふふっ」と微笑んだ。


「――笑顔が見たいなんて理由だけで、こんなところまで追ってきちゃって……仕方のないおじさま……でも、素敵ッスよ。このアノマリア様をメロメロにして、ちゃんと責任とって欲しいッス」


 にこにこ満足そうなアノマリア。苦笑する二階堂。


「責任は、取らせていただきますとも。アノマリア姫」


 二階堂がそう言うと、アノマリアはますます笑みを深めて続ける。


「――じゃあ、まずはポイントちょーだい。ッス……そういえば、ロンちゃんはどうしたッスか? さっきからぜんぜん声聞こえないッスけど」


「ロンロンは、しばらく眠ってる。……そうだった……ポイントはご破算だ! 相談もなく勝手なことして、こんなところまで助けに来させやがって! おかげでロンロンは疲労困憊で寝込んでるんだからなっ‼」


 ガーンとなったアノマリアがしょんぼり。


 しかしすぐにウキウキとなって二階堂に抱きついてくる。


「何はともあれ、まずはこの地下から生きて救い出して欲しいッス。そうしないとロンちゃんに謝ることもできないッスからね。よろしくッスよ、おーじさまっ!」


 言われて二階堂は遠くを見つめ、ばつの悪い表情を浮かべた。


 フックショットは基本的に降下用、あるいは滑落防止用であり、巻き取り機能は付いていないのだ。すなわち、自力でよじのぼるしかないのだが――。


「――すまんが、二人分の重さを持ち上げる筋肉は、俺にはないんだ。アノマリアが引き上げてくれないか……?」


 あんぐり困り顔で停止したアノマリアが、喉から声を絞り出すように呻く。


「ああぁ……締まらないッスねぇ……」


 数秒見つめ合い、二人同時に可笑しくなって吹き出した。


 暗い蟻塚城の穴蔵で、男女の笑い声が混じり合っていた。

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