ヘビゲーム

 ギャグで盛大に滑った時のような、シーンという耳に痛い静寂が来た。


 広場に飛び込んだ二階堂は、倒れているアノマリアと、そこに迫るヨルムンガンドを見た。


 アノマリアと射線が被っていて、ガウスライフルははじけなかった。そこで二階堂は、咄嗟に指差しながらカコムンジャと叫んだ。理由は、あのイグズドの意識を引き付けるためだ。


 ――イグズドは、名前を付けると、取りくッス。そうなったら周りのことは目に入らなくなるって言うか、とにかく名前を呼んだ名付け親を最優先で殺しに来るッス。


 そんなアノマリアの言葉が脳裏に閃いた二階堂。しかし急には適当な名前が出てこない。そんな彼の脳裏に蘇ってきたのは、ロンロンにやらされたゲームの記憶だった。俺も相当毒されているな、と思った。


 この苦し紛れの一手は、二階堂自身も驚くほどの効果を上げた。ヨルムンガンド――もといカコムンジャはピタリと動きを止め、アノマリアの目と鼻の先で停止している。あまりに際どい位置での停止に怖くなった二階堂が、さらに大声で畳みかける。


「――お前の名前は今からカコムンジャだ! ……やーい、カコムンジャー! まんまと名前付けられてやんの! お前のかーちゃんもカコムンジャ! 一族郎党みんなカコムンジャだ! 分かったか、動きが8ビットっぽくて気持ち悪いんだよ! ゼッパチでやってろっ‼」


 二階堂は意味不明な罵倒と共に中指を立てた。


 ゴゴゴゴ……と、カコムンジャが進路を二階堂に向けたのが見えた。


 応じて二階堂も足を横に運びながらガウスライフルを構える。アノマリアが射線から外れたら即座にはじくつもりだった。


 カコムンジャが加速した。湧き出す鱗が猛然と迫る。


 それを見た二階堂も横に走って、立射姿勢を取った。


 スコープを覗き込み、そのど真ん中に敵の頭部を捉える。


 カチリ。二階堂は迷わず引き金を引いた。


 ブッブー。間抜けな音がガウスライフルから聞こえてきた。


 カチリ。二階堂は引き金を引いた。


 ブッブー。来るはずの衝撃が来ない。


 ブッブー。ブッブー。


「……はっ⁉」


 二階堂は、限度額を超えているカードを何度も切り続けている人間のような、愕然とした面持ちになった。


 ガウスライフルの時間は、終わっていたのだ。


「――ちょっとまって。ちょっとタイム。名前を付けたのは取り消すから、まだお前は名無しの権兵衛でいいよ。だから一回ポーズをお願いできませんかね……?」


 加速するカコムンジャ。


 ギリリと奥歯を鳴らし、二階堂は駆け出した。幸い、敵の動きは大味だ。アラフォーの体力でも何とかれそうだ。


「くっっそ……かかってこいや、カコムンジャ! こっちだ、俺が相手してやる‼」


 二階堂は自身にはっぱをかけ、アノマリアとは逆の方向に走った。


 向かう先にはカコムンジャの胴体が浮いている。その胴体は宙で静止していた。これが、ロンロンがあのカコムンジャをヘビゲームのヘビっぽいと称した理由だった。敵は伸ばした身体を空間に固定しながら移動しているのだ。


 それならば、そこにちょっと指をこすり付けてやればロックが外れるはずだ。かつてミノタウロスに敢行して返り討ちにあった、当たり屋作戦だ。


 二階堂の予想だと、あの鋭い鱗まみれの胴体は近づくと意地悪く回転を始める。気をつけるべきだが、鱗を飛ばしてくることはないだろうとタカをくくっていた。もし鱗を飛ばせるなら、この広場に刻まれたアノマリアとの激しい戦闘痕に、射出された鱗が見当たらないのはおかしい。


 鱗がシュレッダーみたく回転する程度なら、何とかなるはずだ。最悪指が飛ばされても、アノマリアが治してくれる。


 ――さすがに指が飛んだら無理かな……ジャケットを引っかける程度にしよ。


 二階堂の算段が付いたその時、彼の結論をあざ笑うかのように、カコムンジャの胴体にびっしり生えた鱗がブワアァッと逆立った。


 次いでそれらがにょろにょろと首を伸ばし始める。


 カコムンジャの胴体は、あっという間に全身に小さなヘビを生やしたような状態に変貌した。それらの先端では、鱗だった部位が、今やホタテ貝みたいにパカパカと開閉を繰り返している。


 ――なるほど、そういうパターンね……。


 二階堂は走りながら腰に手を伸ばした。


 手探りでポシェットから金紅石ルチルを取り出し、それを目の前に向けて全力投球する。


 金針を含んだ水晶玉が、うねうねと蠢く触手の下に転がったのを見届けると、彼は地面に飛び込んで伏せった。


 楔石スフェーンがセットされたネイルガンを抜く。


 バスンという音と共に一直線に走る黄色い煌めきファイア


 直後、カコムンジャの下で金紅石ルチルが炸裂した。


 ヒュンヒュン、チュィーン……という身がすくむような鋭い音が耳を掠めていった。


 間髪を容れず立ち上がる。


 視線の先では、無数の触手が金紅石ルチルの爆発で吹き飛ばされ、カコムンジャの胴体の下が、トンネルのようにぽっかりと開いていた。


 そのわずかな隙間に向こう側が見えている。


「――ヘビゲームッ‼」


 二階堂は追って迫るカコムンジャを背負ったまま、勢いよくスライディング。身体を目の前の小さなトンネルにねじ込むと、その逆側に滑り出た。


 すると二階堂を追跡していたカコムンジャが、自分の胴体に食いつくような格好となり、こうして彼の思いつきの戦法は、見事ヘビゲームさながらの自爆を誘った。


 鉄骨が勢いよくコンクリートに突っ込んだような鈍い激突音を聞きながら、二階堂が立ち上がって振り返る。


 衝突で飛び散った鱗の破片が無数に飛散していた。


 上空でクルクル回転しながら飛んでくる黒光りした鱗が一枚、目に入った。


 その軌道は綺麗な放物線を描きながら、二階堂の頭に落ちてくる。


 眼で追える速度だった。


 ――度胸だ。


 バタバタと空気を切り裂きながら飛んでくる鋭い光を見据え、二階堂はここぞという集中力を発揮した。


 バールを腰から抜き、鎖骨に沿わせて構える。


 鱗がスローモーションになった。


 その回転、その形、その表面の模様までくっきりと見えた。


 天から落ちてきた黒いギロチンが、二階堂の肩から胴を無慈悲に真っ二つに断ち切る。その寸前、二階堂は片脚を引いた。


 ギャリンという音と共に、バールを構えた手に重みがあって、次いで濡れた筆でサァッと胸を撫でられたような、くすぐったい感覚があり、直後に足元の床が爆ぜた。


 ほとんど同時に、スーッと熱い痺れが胸を走り、寒気が全身を駆け巡った。


 二階堂が眼球だけを動かして自分の胸を確認すると、バールに傷が残り、鎖骨から大胸筋、腹筋に至るまでが一直線にぱっくりと割れて鮮血が散っていた。


 ピピピッ。


 待ちに待った音に突き動かされて、二階堂がガウスライフルを構えた時と、カコムンジャが自分自身の土手っ腹を食い破って飛び出してきたのは同時だった。


 膨張し、迫り来る漆黒の円。


 そんな怪物の姿が、宇宙で自分とロンロンを食った、あのワームホールと重なって見えた。


「――二度も食われてたまるかッ‼」


 二階堂の決然たる意思が周囲一帯を震わせ、莫大な運動エネルギーを乗せた灼熱の鉄槌てっついを吐き出した。


 一条の光となった白い火焔かえん


 その輝きが怪物の中心を串刺しにした。


 追って焼かれた大気が、爆然と轟く大音響ソニックブームに転じつつ光跡を急膨張させる。


 怪物の身体が爆圧に押されて内側から膨れた。


 二階堂の目の前で、闇黒くらやみから来たる虚無は粉々に砕け散った。


 神々が振るう断罪の槍というものが存在するのであれば、このようなものなのだろうなと、二階堂はどこか遠いところからその様子を眺めていた。

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