アノマリアの挑戦

「なんてやつ……」


 アノマリアは上がった息を整えながら、自分の周囲を猛り狂って動き迫る敵の威容を見上げた。


 先端の中心からぞろぞろと湧き出してくる黒光りする巨大な鱗が、絶えずその長大な体躯を伸ばし続けてアノマリアを追いかけていた。その突進力は凄まじく、あらゆる遮蔽物を委細いさい構わず蹴散らしながら襲い掛かってくる。


 戦場はあっという間に更地となり、床は穴だらけとなった。


 染み出す者どもイグズド。この螺鈿大地をけがす正体不明の怪物ども。


 彼女はあの怪物を仕留めなくてはならない。


 今まで、どれほどの戦士達がこのストロングホールドに挑んで散っていったのか。螺鈿大地に住まうものとして、その命の最後の使い道として、ふさわしい相手だと彼女は確信していた。彼女もまた、戦士なのだ。


 アノマリアは風伯珠ロザリー・タービュレンスと、そして兄の形見である雷公珠ロザリー・サンダーボルトを手にして果敢かかんにも、この怪物に挑戦した。


 彼女の両腕に巻き付いたふたつの星遺物オーパーツは元々ふたつでひとつ。


 その名を〈颶風ぐふう迅雷じんらい珠〉――〈ロザリー・デバステイト〉という。


 それはかつて、偉大なエントリオと共にあり、数多あまたのヴォイデンスをちりした、この世のルールすらも超越する力を秘める星遺物オーパーツ――特別に〈超越器オーバーファクト〉と呼ばれ畏怖いふされる秘宝。それが今、アノマリアの卓絶した術のセンスによって当時の力を取り戻したのだ。


 颶風迅雷珠ロザリー・デバステイトを駆使したアノマリアは当初、ヨルムンガンドを圧倒した。


 彼女の腕の一振りが迅雷じんらいを呼び、太い紫電が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、その空間ごと無数のカマイタチがヨルムンガンドを切り刻んだ。一時は胴体を切断して、半身を粉々に砕き散らしたほどだった。


 だがしかし敵の耐久力は、まさに無尽蔵だった。どれだけ焼こうが切り刻もうが、続々と鱗があの中心から湧き出してきて、しばらくすればあっという間に元通り。いったいどういう仕組みなのか理解できないが、虚空の住人どもヴォイデンスとはそういうものだ。


 数十分としない内に、形勢は著しくアノマリアに不利に傾いた。原因は彼女のガス欠だった。


 現螺鈿柱エヴァイアにおいて最高の螺鈿術ネイカーつかい手の一人であるアノマリアをもってしても、単独の超越器オーバーファクト運用は荷が重すぎたのだ。アノマリアの想定を超えた、あまりの燃費の悪さだった。


 そこからは逃げに徹し、彼女は体力の回復を待っていたのだが、状況は好転しなかった。


 ――あれをほふるには、もっと圧倒的な暴威で瞬時に消し飛ばす他ない。そう、颶風迅雷珠ロザリー・デバステイトすらをも超える力がる。


 アノマリアは苦笑を漏らし、小さく首を振った。ニカイドウカオルという、なんともひ弱そうな頼りないエントリオの顔が、さらにはビヨンド号という心躍る星遺物オーパーツの宝庫で過ごした、あけすけで心地よい日々が、彼女の頭をよぎったからだ。


 彼らと共に行く未来は自分が断った。虚骸コーマに未来はない。


「おじさま」


 アノマリアの意識が一瞬だけ、ヨルムンガンドから離れた。


 はっと我に返るアノマリア。


 彼女が横に飛んだ時と、ヨルムンガンドが一髪いっぱつの差で彼女の立ち位置を抉り取っていったのはほとんど同時だった。


った……っ!」


 ごろごろと床の上を転がり、立ち上がるとももを切られていた。


 だらだらと温かい血が足を伝い落ちていくのが分かった。しかし痛がっている時間はない。鱗大蛇は空中で転進し、再びアノマリアを押しつぶすようにぶちかましてくる。


「――ここまで……かッ‼」


 アノマリアが獰猛に口角をつり上げて、両手を高く挙げた。後先を考えない全身全霊の一発を食らわせてやるためだ。颶風迅雷珠ロザリー・デバステイトは燃費もさることながら、威力を抑えて運用しなければ自爆して自分が丸焦げになってしまう。力の発動には慎重な扱いが求められていた。


 しかし、それももう、関係ない。イタチの最後っ屁だ。


 アノマリアの周囲につむじ風が巻き起こり、長い黒髪が舞い上がると、彼女の全身が電弧アークを零し始める。


 彼女が渾身の一撃を下す、まさにその直前。


 全身をあっする空振くうしんが周囲一帯を駆け抜け、同時に耳をつんざく爆音が周囲に轟いた。


「っ――! うそ……」


 アノマリアの脳裏にフラッシュバックした映像がある。


 ストロングホールド汚染の中心にあり、幾人もの英雄を返り討ちにしてきた、あの凶悪なイグズドを穿うがち、導星台もろとも一撃で打ち砕いた、まばゆ火焔かえん光跡こうせき


 自分を絶望の淵からすくい上げた、あの男の光。


「なんで――っ⁉」


 アノマリアは慌てて腕を下ろし、ため込んだ風伯珠ロザリー・タービュレンスの力を使って自分自身を吹き飛ばした。アノマリアの足が床をスライドし、鱗大蛇の突進を回避する。


 再び蟻塚城全体が恐ろしげに揺れ、腹の底を突き上げる轟音が来た。


 ――間違いない。これはガウスライフルだ。


 アノマリアは唇を噛んだ。泣きわめきたい気分だったが、そんな暇も与えてもらえない。ヨルムンガンドが床を抉りながら迫ってくる。


 腕を振り上げ、振り下ろす。


 風が吹き、彼女の身体を滑らせてヨルムンガンドの進路から逸らす。足を負傷したアノマリアには、こうして突進を避け続けることしかできない。しかし、十分な予備動作が取れず、徐々に風の力は弱まっていった。


 床はすでに穴だらけ。身体を滑らせる方向は限られていた。


 アノマリアが次に逃げるべき方角を探して首を振った。そんな何気ない動作を、他愛もない小石につけ込まれた。


 石につまずいたアノマリアが、思わず尻餅をつく。


 その時に両手も突いてしまった。


 風を起こすために腕を振り上げる動作が一拍遅れた。


 怪物の姿が、急膨張した。


「カコムンジャ! お前はカコムンジャだっ‼」


 そんな叫び声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る