エクストラステージ

 バスンッという音と共に撃ち出されたフックショットが、頑丈そうな建物の壁を咬んだ。二階堂が意を決して大穴に身を躍らせる。


 ワイヤーがウィンウィンと引き出されていく音と、ブレーキがそれを減速させる音を聞きながら穴を下りていく。


 分厚い地層を抜けると、彼の視界がぱっと開けた。


 二階堂は天井から下りていく形になった。そんな彼の見下ろす蟻塚城地下二層目の様子は、代わり映えなく六角形の建物が密集する空間であり、そしてあのヨルムンガンドが遠くで暴れているのが目に入った。


 ――すごいピンピンしてる……。


 今眺めている二層目の空間も相当な高さがある。この高さから落ちて平気となると、あれを仕留めるにはガウスライフルの力が必要だろう。実際、イスランの雷撃を何度も食らって、なお動き出すほどのタフネスなのだ。


 そんな怪物にアノマリアが一人で挑もうとしている。彼女の位置を示す光点がヨルムンガンドに近づいていくのが見えると、二階堂のみぞおちに締め付けを伴った焦りがこみ上げてきた。


「まだ早まるなよ……」


 広い空間を、蜘蛛のように頼りないワイヤー一本で下りていく。二階堂はその間に手早く進行ルートを決めていった。ロンロンがいない以上、行く道も、帰る道も自分で何とかするしかない。


 二階堂がそうして宙吊りのままマップを吟味し始めると、ビヨンド号へ帰るルートはすでにマークされていることに気が付いた。ロンロンが、スリープになる直前に選定しておいてくれたものだろう。頼れる相棒っぷりだった。


 マップには敵らしき存在の初期位置もマークされていた。もう時間が経って位置が変わっているだろうが、それでも価値のある情報だ。二階堂はそれを避けてアノマリアを追跡するルートを選び出していく。


 床が近づいてきた。しかしあともう少しのところで、二階堂のワイヤーは伸びきって止まってしまった。まだ飛び降りれば骨折間違いなしといった高さがあったが、二階堂は迷わずワイヤーをリリースし、フレキスケルトンの補助を頼って飛び降りる。


 ドンッと決めたのは三点着地。よくヒーローがやる、格好いい着地法だ。ガウスライフルを片手に構え、もう片方の手を床に突いて顔を上げる。この雄姿をロンロンにも見せてやりたかった。結構盛り上がったのではないだろうか?


「――ん? ……おぉ⁉」


 驚嘆の声を上げた二階堂。着地点の近くに散らばった瓦礫のひとつに、運良く失われたはずのバールが突き刺さっていた。台座に突き刺さった伝説の聖剣さながらのオーラをまとって鎮座していた。ただのバールだが。


「これこれ。ラッキー」


 二階堂がバールの首を掴んで力任せに引き抜くと、ガキィンという音を立ててそれは抜けた。お宝を見つけたような感じでそれを高く掲げ、腰に収める。


「でででで~っ……と――さぁ、いくぞ」


 ロンロンに代わる相棒の帰還に少しばかり励まされ、二階堂はかや色の迷宮を走った。


 通路に降りてしまうと、周囲の壁は見上げるほど高かった。それに阻まれて、暴れ回っているはずのヨルムンガンドの姿が見えない。遠くから伝わってくる低い鳴動と、マップを頼りに、無個性で均一な通路を進んでいく。


 ひとつの角を曲がるたびに、二階堂の心臓は心細さに囚われた。いつもならばルートを指示し、死角を含めて周囲を警戒してくれるロンロンの声が、今は聞こえなかった。自分の足音と、呼吸音だけがこの無人の迷宮に響いている。


 ――蟻塚城がここまで恐ろしいものだったとは。


 二階堂は、ここに至るまでの自分の活躍が、ロンロン無くしては為し得なかったものだったのだと痛感した。同時に、彼のうんざりするようなゲームトークにも、二階堂の緊張をほぐす絶大な効果が確かにあったのだ。


 帰ったら久しぶりに一緒にゲームをしてやろうと、二階堂は思った。


 ――アノマリアは、のめり込むタイプっぽいからゲームは教えたくないな。


 二階堂は苦笑しつつ、走る。


 しかし気ばかりが急いて、一向に距離は縮まらない。


 アノマリアの純粋な体力は二階堂を上回っている。先日の琥珀を口に突っ込まれる事件で身に染みていた。運動音痴なくせに。あの細腕に、どうしてあれだけのパワーが宿るのか。走る速度も二階堂を勝っているらしい。


 閃光が二階堂の目を焼いて、一拍おいて雷鳴が転がってきた。


 ――始めたのか。


 二階堂が思わず立ち止まり、光点の位置を再確認したその時、通路の先の曲がり角からぞろりと人影が現れた。髪が長く、全体的に黒っぽいシルエット。


「……アノマリア?」


 しかしすぐに二階堂は舌打ちした。


 髪の毛だと思ったものは、全部うぞろうぞろと蠢いていて、まるで頭から大量の蛇かミミズが垂れ下がっているようだった。ロンロン風に言えば、メドゥーサとでも言うべきか。顔は、女でも男でもない。


 二階堂はソニックセイバーソーに手をかけて逡巡し、迂回を選んだ。あの異形はのろのろと動きが遅いので、二階堂だけでもれそうだが、今はアノマリアに追いつくことを優先すべきだ。


 視界に浮いたマップに意識を向ける。ふとその時、メドゥーサの人影に違和感を覚えた。二階堂が再び意識を人影に映すと、信じられない光景を目の当たりにする。


「――はぁ⁉」


 人影の胸部から、体液をまき散らして無数の鋭い杭が突き出した。それは、あたかも肋骨が飛び出してきたように、両脇から前方に向かって規則的に生えており、次いでその人影の胴体が縦にバリバリと割れた。その奥に現れたのは鋼鉄の処女アイアンメイデンを彷彿とさせる、棘びっしりの大口。


 飛び出した肋骨を昆虫の脚のようにして伏せったそれは、もうメドゥーサなどという分かりやすい存在ではなくなっていた。どこが頭で、どこが胴体なのかも分からない。全身からうねうね動く触手を伸ばしてカサカサ昆虫のように這い回る、そんな名状しがたい怪物に、あれは瞬時にして化けたのだ。


 ――これが虚空の住人どもヴォイデンスか!


 二階堂は考える。


 ――ソニックセイバーソー? 無理だ。近づく前にあの触手で絡め取られるのがオチだ。


 ――掠らせてガウスライフル? 掠らせるって、なにを? どの部位で、どのようにして攻撃してくるかも分からないのに、無理だ。キマイラに大立ち回りできたのは、アノマリアの輝く防御膜という保険があったからにすぎない。掠っただけで死んでしまう、ロンロンに言わせるとオワタ式状態の今の二階堂に、あれと対峙する力はない。


「――ロンロン?」


 シーン。


 ひょっとして、こっそり覗いてないかな。そんな都合のいい期待を込めた呼びかけへの答えは、無情にも沈黙だった。


 肋骨メドゥーサが「うぃぽれ?」などと謎の声を発してドンッと加速してきた。


 それを見た二階堂はクルリ。踵を返して駆け出す。


 だが逃げるわけではない。大きく迷宮を迂回しながら、アノマリアの元へ駆け付けるルートを探しながら、だ。


 後方のカメラ映像があの肋骨メドゥーサの姿を捉え続けている。二階堂を追ってきているのは間違いないと思われた。それは床を蹴り、壁を蹴り、跳ね、おぞましい大口を広げて上から落ちてくる。


 二階堂が角を曲がった直後、再び雷鳴が地下空間をつんざいた。床を風が吹き抜けていく。アノマリアの戦闘の余波に違いなかった。心臓が強く打った。


「はぁ――はぁ――はぁ!」


 二階堂は顎を上げて喘ぎ、迷宮を駆け抜ける。急がなくては。


 一か八か、金紅石ルチルを放り、ネイルガンで楔石スフェーンを撃ち込んで炸裂させるか? ロンロンのガイドがないので、自身の射撃の腕だけが頼りになる。だが曲がり角に設置して、その陰に身を隠しながら至近距離で撃てば当てる自信はある。敵との距離を自ら縮める行為ではあるが、あの怪物を引き連れてアノマリアの元に行くわけにもいかない。


 二階堂が険しい目つきになって腰のポシェットに手を伸ばす。


 突如、ピピピッと音が聞こえてきた。


 音の出所は自分のすぐ近く――ガウスライフルだ。


 ガウスライフルの、ロックが外れていた。


 二階堂は一瞬だけ呆けてライフルを見つめ、そして不意にその意味を理解し、胸が早鐘はやがねを打った。


 ――集団的自衛権による、アンロックだ。


 つまり、アノマリアが怪我を負ったということだ。


 血液が沸騰するような錯覚に襲われた二階堂。彼は膝射しっしゃの姿勢を取り、猛然と迫ってくる肋骨メドゥーサにガウスライフルを向けた。怪物の眉間に赤いドットが光る。


 耳をくすぐるチャージ音が終わると同時に、二階堂はライフルをはじいた。


 蟻塚城の地下空間に、この世のものとは思えぬ爆音が鳴り渡った。


 二階堂の視線の先では、頭部から丸くぽっかりとえぐられた肋骨メドゥーサの肉片が、巻き起こった旋風にさらわわれてめちゃくちゃに飛び散っていた。


 ほっと安堵するどころか、胃がねじ切れそうだった。


 ヨルムンガンドが暴れているであろう方角に、がむしゃらに撃ちまくりたい欲求に駆られたが、誤射の可能性がそれを思いとどまらせた。


 ――今の射撃音で、アノマリアは俺の存在に気付いたはずだ。


 頼む。間に合ってくれ。それだけが頭の中を駆け巡る。


 二階堂は走った。


 ガウスライフルのロックが外れた二階堂は無敵だった。


 立ちふさがる虚空の住人どもヴォイデンスを全て、運動エネルギーの暴威で蹴散らして駆ける。


 撃って、撃って、邪魔するものを全て吹き飛ばす。


 二階堂は走る。


 まるで地面がぐにゃぐにゃになったような感覚に襲われ、なんども足をもつれさせながら茅色の迷宮を駆け抜け、そして視界が開けた。


 二階堂は叫ぶ。

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