宝石郷

 横穴を抜けると、いよいよ二階堂の目の前に地下都市の全貌が露わになった。


「すげーな……」


 二階堂は少し高い位置からそれを見下ろしていた。


 だだっ広いドーム状の天井に覆われた空間は広大で、小さな街なら丸ごと一個収まってしまうほどだ。


 そんな規模感の空間に、整然とハニカム状の突起が並んでおり、そのひとつひとつが家なのだという。全体として、ハニカム状の家の迷宮となっていた。


 そんな地下都市は明るい。


 天井、壁、家、道。至る所に蛍石フローライトが埋め込まれているからだ。


 さらに蟻塚城の材質は宝石コンクリートであることから、そういった光を受けてキラキラと細かな光線をまき散らし、地下とは思えないほど豪奢ごうしゃな雰囲気に感じられた。


 地下都市は蟻塚城中心の下部に多層構造で広がっていて、何層にも渡って地下に続いているらしい。今、二階堂が眺めているのが一層目だ。構造自体はミツバチの巣をイメージすると近いのかも知れない。


「自分も、この目で見るのは初めてなんスけど、こりゃスゲーっすね……」


「ああ。黄金郷エルドラドって言いたいところだが、これは宝石郷だな……でも、そんな呑気なことも言っていられなさそうだ」


 この地下空間には先ほどからドーンドーンという音が反響し、ガンガンと騒々しい音が鳴り響いている。明らかに物騒な気配だ。


「――さぁ、長居は無用だ。アノマリア、位置は?」


「あっち」


 アノマリアの兄イスランが持つ雷公珠ロザリー・サンダーボルトは、彼女の腕に巻き付いた風伯珠ロザリー・タービュレンスと引き合う。ここまで来ればはっきりと分かるようで、ここからはアノマリアにガイドしてもらう必要があった。


「あの辺りか」


 アノマリアが指差す箇所に、ピコーンとバルーンが浮いて表示された。さらに上から俯瞰して得られた宝石郷の構造情報がロンロンによって解析され、マッピングされていく。腰に付けたソナーのパッシブスキャンによって物騒な音源の位置もおおよそに見えてきた。


『いいぞ。準備完了だ』


 ロンロンの声に、二階堂はバールを仕舞い、背中のガウスライフルを抜いた。


「――行くぞ」


 二階堂達はフックショットで降下し、アリたちの宝石郷に侵入した。


 アノマリアは二階堂が抱えて下ろす。


 ――力はあるくせに、すごい運動音痴なんだよな……。


 床に降り立つと、すかさず近くの家の壁に身を寄せながら周囲を窺う。アノマリアもその後ろに続いた。


 もし戦闘になった場合、アノマリアは直ちに二階堂に防御膜を与えて待避。二階堂が敵を引き付けて前面に出る。そういう手はずだ。


 彼女の、あの羽アリを切り刻んだパワーは最後の切り札として温存、という作戦となっている。二階堂としては、凄くアノマリアのことが心配なわけだが、彼女にはロンロンが的確な指示を出してくれるはずだと信じることにした。


 宝石郷の道は見通しが悪い。六角柱の家がひしめいていて、その隙間を歩くからだ。曲がり角に次ぐ、曲がり角。


 家々には入り口があり、その中も明るく照らされているのだが、中には入らなかった。ロンロン曰く、大体ああいう中には死角から襲ってくる敵が居るから、だそうだ。言いたいことはあったが、おおむね同意なので二階堂はその指示に従った。


「これは、遭遇戦は避けられそうにないな……」


 道がカクカクと複雑に入り込んでいるので、ソナーも役に立たない。足音をひそめている敵や、隠れている敵がいれば回避できないだろう。上空にドローンを飛ばせないのが悔やまれた。


 二階堂は強い焦りを覚えていた。


 彼は知らなかったのだ。誰かを背負って危険地帯を先導することの、なんと荷の重いことか。曲がり角を覗き込むたびに、身がすくむようだった。


『カオル、そろそろ休憩しよう』


 ロンロンに呼ばれ、二階堂は立ち止まった。


「――え、まだぜんぜん進んでないぞ?」


『宝石郷に入って、そろそろ二時間になる。カオル、自覚がないようだが、君がその気になった時の集中力は桁外れだ。カオルはまだ大丈夫だろうが、アノマリアがついて行けない』


 二階堂が振り返ると、アノマリアが少し疲れた顔になっていた。


「――すまないッスね。自分、貧弱なもんで」


「ああ、いや……すまん。休もう――」


 近くに身を潜められる場所がないかと、視線をさ迷わせた二階堂。その時ふと、視界に妙な感じがあった。


「――?」


 その違和感が何か、二階堂は説明できない。


 首を右に、左にと振ってみて、そして上を仰ぎ見た時、ぞわりと全身に緊張が走った。


 氷でできたライオンの顔、とでも言うべき透き通った何かが、家の上から二階堂達を覗き込んでいた。


「な――っ‼」


 二階堂が身構えると、その透明な顔が牙を剥いた。


 咄嗟にアノマリアを抱えて飛び退く。


 直後、ズンッという鳴動と共にそれは道に降り立った。


「何だあれ⁉」


 二階堂は立ち上がってそれに対峙した。追って心拍数が急上昇し、全身に冷たい汗が噴き出した。


『光学迷彩か。面目ない、通信機のカメラでは判別できなかった。赤外線解析によると、あれは透明な、キマイラなどと呼ばれる怪物に近い姿をしているようだ』


 一見すると空気の歪みがモヤモヤと動いているようにしか見えない。しかしすぐにその姿にワイヤーフレームが重なり、その姿が二階堂にも分かるようになった。


 ライオンの頭部、ヤギの身体、蛇の尻尾。なるほど、キマイラだ。二階堂だって知っている。


「――以前の攻略隊に、凄腕のキマイラがいたって、聞いたことがある」


 アノマリアが二階堂の背中に手を当てながら言った。


「凄腕のキマイラ……あいつ、正気なのか? 何で透明なんだ?」


「キマイラは賢い奴だ。襲ってきた時点で正気じゃないよ。透明な理由は分からない。アブザードになった影響かも――できたっ!」


 アノマリアがポンッと二階堂の背中を叩いた時、彼は光の膜に包まれていた。


 二階堂が歯を食いしばって透明キマイラに向かって走る。


 透明キマイラが姿勢を低く沈めたのが見えた。二階堂には、突きつけられた巨大な弓が引き絞られたように見えて、ぶわっと鳥肌が立った。


 ――大きい。


 あの体躯にぶちかましを受ければ、車に撥ね飛ばされるのと同じようなものだ。意識が飛んでしまうかも知れない。


 爪か? 噛みつきか? それともあの尻尾か?


「――ぬぉおおおおおおおお‼」


 二階堂は大声を上げて緊張感をはね返し、ソニックセイバーソーを抜いた。


 ――相手の攻撃を掠らせる、なんて受け身では駄目だ。こっちから攻める。


 二階堂のフィジカルは脆弱だ。とても神話に登場する怪物と対峙できるような肉体ではない。


 だから、先手を取って、二階堂が唯一扱える力――文明の利器を叩き付ける。


「――最新工具なめんなっ‼」


 二階堂は、姿勢を低く構えていたキマイラを跳び越すように躍りかかった。


 キマイラが大口を開けて彼に噛みつこうと首を振る。だが、身体の構造上、背中まで飛び込んだ二階堂に噛みつくことはできなかった。


 四足歩行獣のウィークポイントはいつだって背中だ。背中を見せること、取られることを奴らは嫌がる。それには理由があるのだ。野山で獣と対峙して学んだ知識だった。


 二階堂は着地と同時にソニックセイバーソーを振るった。


 手応えは――なかった。


 直後、水袋を落としたような重く湿った音が聞こえ、続いてズンッという振動が床から伝わってきた。


 二階堂が足を滑らせて振り返ると、透明キマイラは床に倒れ伏していた。


 金属をバターのように切るソニックセイバーソーは、キマイラの肉と骨を豆腐のように切ったのだ。手応えは、なかった。


 刃渡りの短いことが心配だったが、キマイラの首は半分まで切断されて折れていた。一撃で片がついた。


 二階堂は安堵から崩れ落ちそうになって膝に手を突いた。たった一分にも満たない間で、一時間も走り続けたような疲労感がのし掛かってきた。


 アノマリアがパタパタと駆け寄ってくる。


「――い、一撃ッスか⁉」


「ちょっと、かみったな……ロンロン風に言えば、会心の一撃か」


『クリティカルだ。カオル、見事だった。まさかあんなアクロバティックな魅せプレイをするとは思わなかったぞ。時々凄いな、君は』


「ウサギ追いし田舎育ちを甘く見るなよ――」


 二階堂は深呼吸して顔を上げた。


「今のは、かっこよかったッスよ、おじさま……!」


「ああ……アノマリアに、ちょっと良いとこ見せたくてな――」


 声を震わせたアノマリアを振り返って、二階堂は全身があわ立つような戦慄を覚えた。「あ……」と声に詰まる二階堂。


「ロンロン……」


『どうした』


「見えてないのか……わんさか集まってきた。まずいぞ」


 二階堂はアノマリアの背後に、透明キマイラが何体も集結しつつあるのを見た。

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