逃走劇

 透明なもやの群れに、ワイヤーフレームが重なった。


『六匹ほどいるが、一匹だけ不透明なキマイラがいる』


 赤く強調表示されたキマイラがいた。


定石セオリーだと、あれが本体で、他は全て分体ということにあるが、真偽は不明だ。もしライフルで狙うなら、奴だ』


「それは分かったけど……あんなに一度に相手しても大丈夫なのか……?」


 二階堂の筋力はただのアラフォーだ。猛獣と取っ組み合いなんて、やったことがない。


 ――自分は、あんな怪獣たちと乱戦になっても戦えるのだろうか。


 例えば、ライオン六匹にガジガジされて取り押さえられてしまえば、いくらアノマリアの防護幕で怪我をしないとはいえ、身動きひとつ取れないだろう。それはなんとなく分かる。人間は押さえ込まれると存外に弱いものだ。


 そこからガウスライフルできちんとカウンターを取れるだろうか? とりあえずぶっ放せば、衝撃波で引き剥がせるだろうか? いっそ、ライフルを構えたまま突っ込もうか? っていうか咬まれたら、めっちゃ痛そう――。


「おじさま――」


 二階堂の打開策を練る思案は、後ろからアノマリアに肩を叩かれて中断。アノマリアはもじもじと、申し訳なさそうに言った。


「〈ダズリング・メンブレイン〉は、無敵じゃねーッス」


「――え?」


「さすがに、あんなにたくさんのキマイラに一度にガジガジされたら、防御膜が破けるッス」


「え」


「逃げるッスよ」


 彼女が言い終わると同時に、透明キマイラの群れが動いた。


 二階堂達も猛然と走った。


 先ほどまではこの上なく、うざったいと感じていたこの宝石郷の入り組んだ道が、今は心強く感じる。二人が並んで走れる程度の幅しかないカクカクと折れ曲がった道は、キマイラの猛獣たる大柄な体躯には狭かったのだ。


 アノマリアを先行させ、ガイドをロンロンに託し、二階堂は殿しんがりで距離を測っていた。後ろを振り返る必要はない。後方の映像は、視界の端に小さめに表示されている。押しくらまんじゅうで追ってくるキマイラの姿が、しっかりと見えていた。


 すぐ後ろにキマイラどもの太い息づかい聞こえてくる。二階堂は慌てて速度を上げた。


 二階堂には、自分がどこに向かって走っているのか、さっぱり分からなかった。


 マップは見ながら走ってるが、それでも全然分からない。この宝石郷の家々は全て一様なかや色のコンクリート製で、装飾もなく、視界に浮いているマップも綺麗な六角形ハニカム模様でしかない。特徴がなさすぎる。悪ノリで作られた、たちの悪い迷路を駆け回っているかのようだった。


 正面に迫った壁に手を突いて強引に方向を曲げる。その行為を繰り返して茅色の迷宮を走る。


 とにかくガウスライフルの制約が鬱陶しかった。この銃が自由にはじければと、神様に願い求めざるを得ない。


「ロンロン! 俺たち、どこに向かっているんだ⁉」


『アノマリアのガイドに従っている。彼女はこのままイスランの近くまで行く気だ。しかし、ちょっと彼女の足元が覚束おぼつかない――』


 ロンロンの言葉が終わらない内に、目の前でアノマリアが盛大にコケた。綺麗にスッテーンと音が上がった。


「ちょ――!」


 二階堂は駆け込みざまに片膝を突き、「いてて……」と尻餅をついていたアノマリアを抱き起こす。


「立て!」


「足が……」


 アノマリアの苦痛に歪んだ顔を見て、二階堂はすかさず腰のポシェットに手を突っ込んだ。取り出したのは――金紅石ルチル


 それを身体をひねりながらキマイラ達の方にほうった。腰からネイルガンを抜き、そこに楔石スフェーンを取り付けた釘をセットする。


「ロンロン、ガイド!」


 コロコロと床に転がった金紅石ルチルの位置と、狙うべきポイントが視界にクロスヘアとして浮かび上がった。キマイラの一群がその奥から殺到してくる。


 先頭のキマイラが金紅石ルチルを通過する。そのタイミングを測って、二階堂はネイルガンの引き金を引いた。


 バスンッという音と共に黄色い光の筋が走り、金針の水晶玉に吸い込まれていく。


 二階堂がアノマリアに覆い被さった時と、金紅石ルチルが破られたのはほとんど同時だった。


 ズンッという鳴動があって、金紅石ルチルはキマイラの一群の鼻っ面で炸裂した。爆風と共に無数のチタンブレードをまき散らされたのが一瞬見えた。


 あれが金紅石ルチルのシャッターストーンだ。金色のひらめきがキラキラと飛び散って綺麗だった。


 アノマリアの上で頭を下げて伏せった二階堂は、空気をヒュンヒュンと切り裂きながら耳元を通過していく音を聞いていた。


 ひと通り爆発の余波が収まったのを確認して、二階堂はアノマリアをお姫様抱っこで持ち上げると、そのまま走った。


 映像で見る限り、先頭の透明キマイラが肉片になって消し飛んでいた。


 少し驚く。それは二階堂の想像を超えた破壊力だった。後続のキマイラも体液を飛び散らせながら後方に押し返したようだったが、それでも仕留められたのはその一匹だけだった。


 二階堂は金紅石ルチルを三つ、腰のポシェットに忍ばせていた。楔石スフェーンも三つ、全てネイルガンの釘にセットしてある。


 シャッターストーン――宝石に楔石スフェーンをぶつけると凄まじい効果が現れるという、この世界のルールにのっとった即席のグレネードだ。起爆剤となる楔石スフェーンはシャッターストーンと共に砕け散るので無駄にはできず、試したのはこれが初だ。凄いもんだなと思いながらも、段々と、自分の背中の状態が気になり始める二階堂。


「はぁ、はぁ……ロンロン、俺のフレキスケルトンは損傷したか?」


『いや、幸い無傷だ。だが、君の背中の服はかなり裂けている、出血もある』


 フレキスケルトンが落下の衝撃を肩代わりしてくれるので、アノマリアを抱えていても想像よりも楽に走れたが、それでも二人分の体重は二階堂のなけなしの体力を容赦なく奪っていった。


 後ろからはガリガリというコンクリートを削る音と、ヴオォー! ヴワオォー! という猛獣の吠え声が迫っていた。二階堂は堪らず顎を上げて速度を上げる。


「や、やばい……これは……まずい……っ!」


螺鈿術ネイカーをスタミナに切り替えるッスよ! 頑張って、おじさまっ!」


 アノマリアが二階堂の首に手を回すと、身体の芯から浮遊感が湧き上がってくるのを感じた。エナジードリンクを二本ほど一気飲みしたような感覚だった。


「おお……若返ったみたいだ! やっぱ凄いな、これ!」


 二階堂は言いながら、足を前に送るペースを上げた。


「あっちッス!」


 アノマリアが二階堂の腕の中で指を差し、それを基にロンロンのガイドがAR表示され、二階堂が迷宮を駆け抜ける。遭遇戦を気にしている暇もなくなっていた。


「あっちあっち!」


「あっちって……」


『この先は広場になっている。ちょうどこの宝石郷の中央に当たる位置だ。何が待ち構えているか分からない。すぐに乱戦に突入する可能性を覚悟してくれ』


「何かって、なんだよ……」


 そう言いつつも、二階堂にも内心分かっていた。


 先ほどから、ドーン! ドーン! という、この空洞に響き渡る乱暴な音が大きくなると共に、身体が跳ねるほど強い縦揺れが感じられるようになった。この先に、その元凶がいることは疑いようがない。


「――はぁ……君のお兄さんは、巨人か何かなのか……?」


「あっははは! そんなわけねーッスよ!」


 つまりこの先、キマイラ五体と、このドーン音の発生源と、カミナリをバリバリ撃ってくるというイスランを同時に相手する可能性があり、そしてそれは間違いない。


 しかし、二階堂には気負いも怖れもなかった。彼は黙然もくぜんと走る。


 二階堂の脳はアドレナリンで沸騰していた。だが、その真っ赤な思考の奥には鮮明な思考が残されている。それは腕の中にある、か細い女の温もりが、二階堂をしぶとく生存に執着させ、同時に彼に極まった集中力を与えた結果だった。


「――もうすぐだ。覚悟は、いいか?」


「もちろん」


 アノマリアが答えた直後、二階堂の視界が開けた。


 広場に出た。


 二階堂とアノマリアの顔が同時に引きつる。


 二人の視線の先で暴れている、あれの、正しい形状が分からない。


 とりあえず、巨大な黒いヘビが床から頭を突き出して、宙に弧を描きながらまた床に沈んでいく。そうやって床を上下から穿うがつたびに、けたたましくドーン! ガラガラガラ……という音を立てていた。長く、巨大。そして全身が黒鉄くろがねの如き鈍い輝きを放っている。


 そしてその動きが奇妙だ。


 頭部に当たる部分の中央から、大量の黒いうろこが“生成”されて湧き出しており、その湧き出しと共に進んでいる。ちくわの内側から鱗が湧いてきて身体が伸びていく様子を思い浮かべると、大体正しい動きだ。とにかく、未知の動きを披露している。不気味さが一周回って感心する。


「なにあれ……」


「名前を付けたら駄目ッスよ、おじさま。取り憑かれるから。あの意味不明さ加減……間違いなくイグズドっす」

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