懐の深い男

 アノマリアはエヴァイアという街から、〈一八二ストロングホールド〉――二階堂たちが蟻塚城と呼ぶあの拠点にやって来た。


 目的はいくつかあったらしいが、一番の目標はあの矢を飛ばしてきたウニ――〈イグズド〉と呼ばれる異形をたおすことだった。理由は、イグズドがいるところにはイグズドが湧きやすいからだ。放っておくとどんどん異形だらけになってしまい、桃源郷ザナドゥが異形に侵食されてしまう。


 イグズドは異形の総称で、姿形は決まっていないらしい。とにかく闇黒くらやみから湧いてきて草木を腐らせ、目につくものを殺そうとする、生きとし生けるものの敵だということだ。


 そして、その目標は二階堂の手によって達成された。あの蟻塚城は、まだ掃除が必要なものの、一番の障害だったあのウニが始末されたことから、後は後続に任せても平気らしい。


 では、アノマリアの残りの目的とは。


「イスラン――自分のお兄ちゃんなんスけど。殺すのを手伝って欲しいッス」


「――は?」


 急に子供ができたと告白された時のような顔になった二階堂。


 アノマリアは苦笑して続ける。


「まぁ、ちゃんと説明するから聞いて欲しいッス」


 アノマリアはパーティを組んで蟻塚城に来た。五人パーティだったそうなのだが、そこにアノマリアの兄――イスランが同行していた。


「カオルおじさまが斃してくれたミノちゃんも、トロールのトロちゃんも、自分の仲間だったッス」


「――だった?」


「そう。二人とも虚無に食われてアブザードになっちまったッス。だから、いずれ自分が決着けりをつけなければいけなかったんスけど、それもおじさまに代わってもらってしまったと。そういうわけッス」


「アブザードとは、正気を失った人間。そういう意味なのか?」


 二階堂の問いに、アノマリアの目つきが鋭くなった。


「んん……近い。でも、ちょっと違う。桃源郷ザナドゥに生きるものは、人間に限らず、心が弱ると虚無に囚われてしまう。そうなった者達は、もうイグズドと同じ怪物に成り果てる。そして、イグズドに触れすぎても、同じように怪物になってしまうんだ。自分らは、そういった元生物だった怪物をアブザードと呼んで区別している。ミイラ取りがミイラになったって奴だよ。イグズドも、アブザードも、伝統的に〈虚空の住人どもヴォイデンス〉って呼ばれている」


「そうなのか……元には戻せないのか?」


「無理。未だかつて治療に成功した例はない。……アブザードは、言うなればアミナの抜け殻なんだ。だから治療もなにもないのさ。そして、お兄ちゃんも、アブザードになった。だから自分が殺してあげないと――いけねーッス」


 アノマリアは気だるそうに背もたれを押して背伸びをした。時折、彼女の瞳に宿る寂しげな色は、そういった理由なのだろうな。二階堂はそう思った。


 ロンロンが割り込んでくる。


「蟻塚城の異形全てを相手にするのは、カオルでも無理だ。アノマリア、イスランの位置は分かるのか?」


 アノマリアはおもむろに腕を持ち上げて、そこに巻き付いた数珠〈風伯珠ロザリー・タービュレンス〉を指差した。


「――これの片割れ、〈雷公珠ロザリー・サンダーボルト〉を、お兄ちゃんが持っているッス。ふたつは互いに引き合うんで、自分ならお兄ちゃんの位置は大体分かるッス」


 すると、テーブル上の地図が消え、蟻塚城の立体映像が下から浮かんできた。


「どの辺りか分かるか?」


「これはまた、すげーッスね……お兄ちゃんはたぶん、地下にいる」


 アノマリアは蟻塚城の地下部分を、スイカでもさするかのように撫でて示した。


「蟻塚城は、地下にアピス族の都市が築かれていて、幾層にもなっているんス。そのどこかにいるはずッスよ。たぶん地下一層にいるとは思うんスけど」


 ロンロンは少しだけ間を置いてから、「カオル」と続ける。


「地下は危険すぎる。ガウスライフルは強力だが、数には対処できない。地下の構造は不明。城の奥は電波が届かない可能性が高い。異形に囲まれて、私のガイドがなければ、生き残れないぞ」


 ロンロンの指摘は正しい。


 二階堂は、自分のことをスーパーマンだとは思っていない。ただのアラフォーだ。ちょっと便利な家を持っていて、頼れる相棒がいて、そして間抜けな制約が課された強力な銃を一挺いっちょう携えているだけ。それだって万能じゃない。


 琥珀アンバーを口に突っ込まれた時の記憶や、アノマリアが羽アリを切り刻んだ時の記憶を思い返すと、はっきり言って、彼女の方が戦闘力は高いだろう。


 ――だからといって、アノマリアの願いを無下むげにするのか?


 二階堂は言葉が出てこなかった。


「――自分、運動は苦手なんで、一人だと蟻塚城の奥にもぐるのは難しいんスよ」


「……俺よりも、アノマリアの方が腕力も脚力も上だと思うんだが、君達の基準だと、どんだけ凄い連中が運動神経抜群と言えるんだ?」


 アノマリアは運動がダメだという。だが、彼女の腕力や脚力は、間違いなく二階堂を上回っている。彼女達の基準はどうなっているのか。


「そっすねぇ、ミノちゃんはフィジカルエリートの部類ッスよ」


「なるほど……」


 あれと比べれば、確かにアノマリアは運動苦手と言えるのかも知れない。だがしかし――。


「じゃあ、俺のの力って……」


「おじさまは、ちょーっと運動不足ッスねぇ……」


 アノマリアが苦笑いしていた。


「せめて、イスランを地上に呼び出せないだろうか?」


 ロンロンが聞いた。


「アブザードになると、もう記憶もないし、こっちの呼びかけにも答えないんスよ。それより前の段階だったら、可能性あったんスけどね」


 アノマリアはうーんと腕を組んで黙り込んだ。


 この話、二階堂にメリットがない。イスランを殺して何かが手に入るわけでもない、命を掛けるだけ損だ。しかも行き先は死地。その点を踏まえた上で、二階堂がアノマリアの話を聞く理由があるとすれば――。


「――お兄さんを殺すことが、君の望みなのか? それとも使命だから仕方なく、なのか?」


 二階堂が聞くべきはそれだった。


「使命だから仕方なく、っていう話なら、俺は君に、お兄さんの件は諦めて俺と一緒に行こうと説得するつもりだ。君が嫌々やろうとしていることに、俺自身の命を使いたくはない。……ロンロンに、この世界を見せてやるって約束したからな」


 アノマリアが表情を消して二階堂を見返している。

 

「だが、君が本心から望むなら……手を貸そう。アノマリアには命を救ってもらった借りがあるからな」


 アノマリアは伏し目がちになって口を開く。


「その問い、残酷だよ。アブザードはアミナの抜け殻。ただの肉塊。あれはお兄ちゃんの姿をした虚空の住人どもヴォイデンスであってお兄ちゃんではない。破壊して大地に帰してあげるのが慈悲。頭では分かってる。……でも、醜く歪んだ肉になったとはいえ、仲のよかった人間の面影を残しているからね。それが破壊される姿を見たいかと言われると……ね」


「そうか……すまない。酷いことを聞いたな」


 二階堂は偉そうに無神経なことを聞いた自分を恥じた。


「……でも、今おじさまに言われて考えたんだけどね――」


 アノマリアはまっすぐに二階堂を見て言った。


「優しくて強くて、かっこよかったお兄ちゃんの身体が、虚空の住人どもヴォイデンスに乗っ取られて良いように使われているのは、やっぱり我慢できない。だから自分はイスランだった肉体を破壊して、きちんと大地に帰してあげたい。そのために、カオルおじさまの力を貸して欲しい」


 そう言ったアノマリアの気丈な笑みに、二階堂は目を奪われた。


 彼はひとつ頷くと、顔を上げる。


「――いいかな、ロンロン?」


「カオルが望むなら」


 二階堂は立ち上がった。


「――アノマリア。君のお兄さんの肉体を、大地に帰そう」


 アノマリアはそんな二階堂を見上げ、微笑んだ。


「――カオルおじさまは、お人好しッスよ」


ふところが深い男と言ってくれ」


 そうおどけて肩をすくめて見せた二階堂の足を、ロンロンがすくった。


「そうだ、アノマリア。カオルはお人好しなんだ。なにせ私の口車にほいほい乗って死地に飛び込んで、名前も知らない君を助けに行ったくらいだからな」


 テーブルの上の藁人形に「<待っていろ、アノマリア姫! 今王子が参る!」という吹き出しが出た。ご丁寧に頭の上に王冠の表示まで重ねてある。アノマリアがそれを指差してけらけら笑った。


「それ、ほんと笑える……」


「気に入ったのか、それ?」


 ジト目になってロンロンに言い返した二階堂。


「すごくな。身体を手に入れたようだ。身体があるというものは、いいものだな」


「……よかったな」


 二階堂は、そんな何気ないロンロンの軽口に、かすかな本音が垣間見えたような気がした。


「言っとくけど、俺ただのおっさんだからな。あんまり期待するなよ」


 口を押さえて笑いを堪えているアノマリアに、二階堂は嘆息混じりに言った。するとそこにロンロンの声が聞こえてくる。


「そこでだ、カオル。まずはタンパク質を取ってきてくれ」


「は? ええ……この話の流れで?」


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