螺鈿大地の宿命

水を得たビヨンド号

 ノック音が数回あって、アノマリアはパチリと目を開けた。


 彼女はベッドの上で、薄掛けを巻き込んだ姿勢で寝入っていた。


「アノマリア、起きたか? 入るぞ」


「――いいッスよー……あ、ちょ、ちょっとたんま!」


 アノマリアは慌ててヘッドボードに置いた小さな入れ物に手を伸ばし、そこからコンタクトレンズを取り出すと、その隣のミラーを見ながらそれを装着した。


 パチパチと目をしばたたかせてから、ニッと鏡の自分に向かって笑顔を作り、彼女はそさくさとまた布団の中に潜り込んだ。


「どうぞー」


 音もなく扉が開き、二階堂が部屋に入ってくる。両手でトレイを持っていた。その上には肉々しい塊と、緑の塊が乗っており、更には焦げた匂いのする黒い液体が湯気を上げているのも見える。


「――本当に、これ食えるの?」


 二階堂が訝しげな顔つきでベッド脇に立つと、アノマリアが薄掛けで胸元を隠しながら身体を起こした。真っ白い、くぼんだ背筋せすじに、黒染めのシルクのような髪が垂れかかっていた。彼女は、寝る時は裸派らしい。


「――おおー、まさしく〈ブロッコリウム〉。コーヒーも上手に入っているッス。ロンちゃんは本当に芸達者ッスねぇ」


「ブロッコリウムは俺がでたし、コーヒーも俺がれたんだけどな……」


 二階堂は一応、手柄を主張してから、トレイをヘッドボードに置いた。


 アノマリアが〈ブロッコリウム〉と、ちょっと聞き慣れたような、でもどこかがおかしい名前で呼んだ、その緑の塊。どう見てもブロッコリーなのだが、なんとこれ、土を掘ったら出てきたものだ。彼女の説によると、ブロッコリウムという茹でれば食べられる宝石とのこと。


 驚くなかれ。その隣の泥水っぽい熱々の液体。色も香りも、先ほど二階堂が味見した限りコーヒーそのもの。しかしこれもまた出土したものだ。その名も〈コーヒーカフェ原石オーレ〉。


 二階堂は未だに狐につままれたような心持ちだった。


 そんなわけの分からないものを、ビヨンド号のフードプロセッサーに入れたくなかった二階堂。彼は自らキッチンに立ってブロッコリウムを塩でにし、カフェオーレを砕いてガーラガーラとフライパンでり、さらにミルで粉砕すると、それを鍋に投入。コーヒーを淹れたのだった。


 ブロッコリウムは緑色の不透明の石だったのだが、茹でている間にパキパキと細かく割れていき、最終的にはブロッコリーそっくりになった。二階堂は、エビを茹でたら赤くなる場面を生まれて初めて見た、みたいな顔つきでその様子を眺めるほかなかった。


「おお……カオルおじさまの手作り」とつぶやいてから、アノマリアが薄掛けから手を離してトレイに手を伸ばそうとしたので、二階堂は彼女の顔にTシャツを放りかけた。


「わっぷ……あ、そうだったッス、へへへ」


 アノマリアは慌ててモゾモゾとTシャツを着ると、ぐっと親指を二階堂に向けて立てて見せ、トレイを自分の太ももの上に置いてハンバーグに取り掛かった。


 彼女は裸族らぞくなのだ。随時、自分の部屋にいる時は裸でいたいらしい。


 二階堂に抱えられて森から帰還した彼女は、その日の夜から丸一日ほど寝込んだ。翌日には身体を起こせるようになったものの、まだベッドから立ち上がることはできず、二階堂が看護に当たった。


 彼女が風伯珠ロザリー・タービュレンスと呼んだ星遺物オーパーツの力は、とてつもないものだった。ロンロンをして神懸かみがかり的と言わしめたほどだ。しかしその分、身体への負担もかなり大きく、その反動でこのような状態になっているのだという。


 そして二日目。彼女は部屋の中を自分で歩き回れるようになったのだが、二階堂が部屋に食事を持ってくるたびに裸でうろうろ。


 女の裸で赤面するほど初心うぶではない二階堂だが、さすがに目のり場に困り、二階堂の前に出る時は服を着るようにと言い聞かせたのだった。


 今日はこれで三日目。彼女の顔色は元通りになったようだった。


 内心でほっとひと息ついた二階堂が、ハンバーグばかり食べて、一向にブロッコリーとコーヒーに手をつけないアノマリアに向かってぼやく。


「そこはさ、ブロッコリーとコーヒーからいってくれよ」


 はっとなったアノマリアが、すかさずブロッコリーを食べて「美味しーッス!」。コーヒーを飲んで「はー。落ち着くッス」。


 ――本当に食べたよ。


 二階堂はそんな彼女の食べっぷりを、呆気に取られて見続けた。






 黒水晶モーリオンは割るまでもなく、その状態で強く帯電しているらしく、電極を当てるだけで電気を取り出せた。というか、ビヨンド号の重要施設に近づけるにはちょっと危ないレベルということで、黒水晶モーリオンは今、シールドボックスに入って電極が繋がれた状態で、一階格納庫の隅に置かれている。


 ビヨンド号の設備をほとんど稼働させた状態の消費電力を100とすると、黒水晶モーリオンから取り出せる電力は150ほど。置いておくだけでビヨンド号を充電できてしまうのだ。


 ビヨンド号をゼロからフル充電するまでに四十日ほどかかる計算だ。時間はかかるが、それでもビヨンド号、ひいてはロンロンの延命に目処がついたことで、二階堂は肩の荷が下りた気がした。


 こうして、黒水晶モーリオンの入手によってビヨンド号は水を得た魚のように劇的にパワーアップ。これまで省エネのために停止していた設備がフル稼働となり、生活の快適さに磨きがかかった。


 まず風呂とシャワーは使い放題となった。お風呂はロンロンの命を削っていると聞いたアノマリアは、初日以降その利用に遠慮がちだったのだが、エネルギー問題が解決した話を聞いてからは、もう平気な顔で風呂シャワーを使っている。


 糞便処理施設や栽培室も使えるようになる事から、今後は種子や苗さえあれば簡単な家庭菜園が可能となる。


「種子が失われたのは痛かった」とはロンロン。今後アノマリアに聞いて、食べられる植物を採集する予定だ。


「だが、一度この世界の基本的植生を教えてもらえれば、時間はかかるが、解析して品種改良も可能だ。あとは、綿花の類いも欲しいな。今、繊維系で作れるのは、木々を分解して得られるセルロースベースのレーヨン生地、あとはタンパク質ベースのプロミックス生地だ。タンパク質は食事に使いたいし、レーヨンは若干扱いにくいから、できれば綿花がいい。あるいは獲物の毛皮でフェルトでも作るか」


 ロンロンも生き生きしている。


 そして屋外活動にも、頼れる“あいつ”が帰ってきた。


「あっはははは! まじでカニ!」


 タラップに座って笑いこけるアノマリアの視線の先では、四脚ロボがわしゃわしゃ動いていた。


 四本足の上に、二本のアーム。目立つように黄色地のボディを持つことなどから通称、〈黄蟹きがに〉と呼ばれている屋外作業用重機だ。この黄蟹はロンロンが遠隔操作できるのもので、利便性が高い。


 他にもビヨンド号には様々な革命が起こったのだが、とにかく電気使い放題となったのが肝だった。電気ってすごい。


 ではその肝心の黒水晶モーリオンは、どれほど持つのか?


 この点に関しては、アノマリアの話を聞く限り当面は問題ないだろうという結論に達していた。


「一般的な落雷は100マイクロ秒、1億ボルト、10万アンペアで10億ジュール。TNT爆薬200キログラムのエネルギーに相当する。アノマリアの話のとおり、この黒水晶モーリオンが野山をなぎ払えるほどの轟雷を内包しているとすれば、このまま電気を取り出し続けても当分枯渇の心配はないと考えて差し支えないだろう」


 とはいえ、出力自体はさほどでもないため、エンジンの代わりにはならない。


 ビヨンド号の誇る大出力装置は、依然として使用不能だった。


 すなわち、〈ニュートリノ・アクティブスキャナ〉、〈トラクタービーム〉、〈重力下の常時飛行〉、〈ワープ〉、そして〈位相共鳴型縮退砲〉――通称〈フェーズレゾナンス・コラプサー〉が使えない。


 二階堂は黄蟹に乗って伐採し、丸太を作ったり、大きな岩を掘り起こしたりと、種々のリソースを回収しながら、その試運転を行っていた。


「――問題なさそうだ。これでほぼ全部の設備の動作確認が終わりだ。……よかったな、ロンロン。エネルギー問題は解決だ」


『ああ、これでカオルと一緒にもっと冒険ができる。ありがとうアノマリア。君の助言のおかげだ』


「お役に立てて光栄ッスよ。……あ、おじさま。そのミノちゃんの斧も回収しちゃって欲しいッス。それ、紅玉ルビー製ッスから。その大きさは結構な貴重品ッスよ」


「これが、紅玉ルビーだと……」


 二階堂は指示に従って、大樹に突き刺さったままの、ミノタウロスの斧を回収し始めた。斧の刃は、炎のように赤く、透き通っていて、人の身では持ち上がらないほど大きかった。


 そんな作業を進めながら、二階堂は今後のことについて思いを巡らせていた。


 これまでは生存のために動いてきた。


 これからはどうする?

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