はにかむ女

 ロンロンとアノマリアの結論はこうだ。


 外のアリは黒水晶モーリオンそのものではなくて、それが出している電気に反応している。なので、黒水晶モーリオンを外すと電源を絶たれたことを察知して寄ってくる。


 そこで、ロンロンはダミー作戦を提案した。


『向こうがゲームのセオリーで来るなら、我々もセオリーで迎え撃つ。よくある解法だ。黒水晶モーリオンの代わりになる電気を放つダミーを置いて、トンズラする』


「向こうはゲームのセオリーで来てるわけじゃないけど、まぁ妥当だな」


 そこで、一旦ドローンをビヨンド号に戻し、アノマリアに電気石トルマリン楔石スフェーンつるしてもらってキノコの巣に届けてもらう。二階堂はそれを受け取り、黒水晶モーリオンを外したらすかさず電気石トルマリンを割って電気を発生させる。ダミーの電源というわけだ。


 アリたちがこれで静かになったならば、今度は黒水晶モーリオンをドローンに吊して回収し、二階堂は急ぎその場を離脱する。電気石トルマリンの放電時間は五分から十分程度しかない。


 電気石トルマリンの効果が切れた後、アリたちが黒水晶モーリオンや二階堂をしつこく追ってくる可能性があるのでは? 二階堂がそう質問すると、アノマリアとロンロンは口を揃えてそれはないだろうと言った。そこまでキノコの寄生体が賢いとは思えないとのことだ。


 ただし、アリたちが興奮状態になるのは間違いないと思われるので、電気石トルマリンの効果時間中に、どれだけこのキノコの巣から距離を離せるかが肝心だった。


『もうすぐ到着する。準備はいいか?』


「よし、いつでもこい」


 二階堂の頭上、キノコの天井はソニックセイバーソーでくり抜いてあり、空が見えている。そこにドローンの影が見えた。


 下りてきたロープを手早くほどくと、くくられていた電気石トルマリン楔石スフェーンを取り外す。


「やるぞ、ロンロン」


『準備オーケーだ』


 二階堂はマジックハンドで黒水晶モーリオンを抜いた。


 周囲のキノコが揺れ始める。


 彼はすかさずその場所に電気石トルマリンを置き、握り締めた楔石スフェーンを叩き付ける。その直後、電気石トルマリンの断面から電弧アークが走り、それが地面に落ちた。


『成功だ』


『いよっしゃぁああ! やったッスよ、ロンちゃん!』


 周囲が静まった。アリたちが騙されたのだ。


 二階堂が急ぎ黒水晶モーリオンをドローンのロープに括り、「ゴーゴー!」と声をかけると、ロープはスルスルと上に回収されていった。


 ――これでロンロンは大丈夫。次は俺だ。


 二階堂は急いでキノコの巣から出た。アリたちは先ほどと同じように周囲を徘徊しているだけだった。焦らず、ぶつからないようにその包囲を抜ける二階堂。


「残り時間は」


『二分』


 思ったよりも短かく、二階堂は焦ってしまった。


 うっかり木の根につまずき、たたらを踏む。


「――おっとっと……」


『――ひ、ひええええぇ、今のは心臓に悪いッス……』


「すまんすまん、俺も肝が縮んだ……」


 二階堂が来た道を一路、引き返す。


『そろそろ時間が切れる頃だ』


『特に異常はないみたいッスねぇ……うげぇっ!』


「うげぇ?」


 二階堂の背筋にぞくりと悪寒が走った。


『あれは……アリか』


「羽アリ、だと……」


『おじさま、早く早くっ! もー、見てられねーッスよ!』


「せ、急かすな、アノマリア」


 ドローンからの映像には、キノコの巣付近から跳び上がってきた幾つもの影が映っていた。


 二階堂だって喚き散らして走り出したい気分だった。だが、帰り道だって数時間の距離がある。焦っては、絶対に、ダメなのだ。


「――ロンロン、ドローンを待避させろ」


『しかし』


「地形データはもう俺の端末にある。安全なところからサポートしてくれ」


『了解した。カオル、アリはさほど遠くまでは見えていない。匂いを追うにしても宇宙服はほぼ無臭だ。奴らは闇雲に探しているに違いない。焦らなくても大丈夫だ。慎重に帰ってこい』


「了解」


 そこからは二階堂の極限の忍耐力が試された。


 地形に気を配りながら、頭上を飛ぶ羽アリの気配に怯える。ドローンのレーダーがない今、二階堂の腰についたパッシブソナーによる音源探査だけが早期警戒の要だった。それを頼りに進んでは止まり、進んでは止まり。


 ペースは落とさざるを得なかった。行きも恐ろしく長く感じた行程だったが、帰りは二倍にも三倍にも感じられた。休憩をしている暇などもない。急がなくては、こんどは日没の時刻が迫ってくる。夜は夜で闇黒くらやみに蠢く怪物が出るから、その前にビヨンド号に辿り着かなくてはならない。


 ロンロンの応援エールはといえば、『EDFさえ呼べればな』などと、いつもの通り。しかしそんな軽口が、二階堂の心を確かに励ましてくれた。


 そして唐突に、時間切れが来た。


 急に足が重く感じられ、太ももが上がらず、背中を誰かに引っ張られているような疲労感に襲われる。


「――ぅぐ……なんだ、これ……?」


『カオル、どうした? 呼吸が激しく乱れているぞ。心拍数も急上昇した。なにか攻撃を受けたのか?』


『――あっ! 術が切れたかもッス!』


 二階堂はこの瞬間、自分が如何にアノマリアの術に助けられていたのかを、はっきりとさとった。丸一日中、足がすくむような死地を征く強行軍は、彼女の助力がなければ、とっくの昔に破綻していたのだ。


「はぁ……はぁ……あと、どれくらい、距離が、ある?」


『もうあと一キロは切っている。踏ん張りどころだ』


 二階堂は喘いだ。ヘルメットが曇る。


 たった一キロ先が地平線の彼方にあるようだった。


 彼の足を絡め取らんとする森の悪意に、何度もふらつきながら進んだ。


 突如、背中から突風に押された。


 ささくれ立った木の幹に手をついてしまったのは、その時だった。


 鋭い痛みが手のひらから首筋を駆け抜けていく。


 怖気おぞけがそれを追って上ってきた。


「しまっ――!」


『空気ボンベの出力を上げた。穴は小さい。しばらくは宇宙服の正圧せいあつでガスはやり過ごせる。それよりも後ろだ。追われているぞ、走れ!』


 二階堂はロンロンの言葉の通りに走った。


 背後からはバリバリという木々を破る音が追跡してくる。


 崖が見えた。


 エレベータの影が、霧の奥に見えている。


 けれども足が言うことを聞かなかった。


 それが衰えの見えたアラフォーの肉体の限界リアルだった。


「ぐぇ――」


 後ろから強く引かれ、足が止まった二階堂。


 羽アリの前脚が、彼の背中のボンベに引っかかっていた。


 二階堂は咄嗟に腰を落としてフレキスケルトンを硬化させた。


 その好判断は、アリの無慈悲な力でもって身体を振り回される事態を防ぐという幸運と、背中のボンベだけが引き剥がされるという不運を、同時にもたらした。


 ブシューという音と共に抜ける空気。


 宇宙服の圧力減少に伴って、周囲の毒ガスが、服の中に入り込んでくる――。


 その間、二階堂の目はエレベータに釘付けになっていた。


 宇宙服を着た自分が、無事にあそこに立っている。そんな幻覚を見ていた。


 直後、濃いガスにぽっかりと丸い穴が開いて、エレベータの籠がくっきりと見えた。ほとんど同時に、前方から烈風が吹き付けてきて、二階堂の身体を押した。


「な――」


『早くっ!』


 二階堂は声に従い、身体を叩く風にあらがって前に這い進んだ。宇宙服がズタボロに傷ついていくが、いまさらだった。ロンロンが何か言っていたが、凄まじい風切り音に隠されて認識できなかった。


 神経ガスにおかされたはずの身体は、不思議とまだ動いた。


 二階堂は芋虫のようにみじめに地面を這ってエレベータに辿り着いた。


 彼が見上げた先、エレベータに立っていたのは、アノマリアだった。


 彼女は宇宙服に身を包み、光る数珠を腕に巻きつけている。


「アノマリア!」


 そう叫びつつ、二階堂は振り返って腰からネイルガンを抜いた。彼は羽アリに狙いを付けると同時にトリガーを引いていた。


 バスンッ、バスンッという小気味よい音と共に釘が飛び、羽アリのキチン質の身体に突き刺さる。しかし羽アリは痛痒を感じた風もなく、がっしりと地面を掴んで風に対抗し、じりじりと近づいてくる。


 上から吹き付ける風に逆らってエレベータが上昇し始めた。


 この吹き荒れる暴風は、崖の上から森に落ちてきて、そして前方に向かって流れていた。二階堂はアノマリアの力に違いないと確信した。


 彼女は上空の空気を絶体絶命の二階堂に送り届け、同時に羽アリをこの風圧で拘束したのだ。図体が大きく、はねがついている羽アリの方が、風の影響が大きいことを計算に入れた見事な対応だった。


 二階堂は遮二無二しゃにむにネイルガンを撃ちまくった。


 大きな目を狙って射出した釘だったが、その内の一本が幸運にも羽アリの触角を撃ち抜いた。羽アリの身体が傾き、動きが止まる。


 上昇を続けるエレベータの中で、にやり、獰猛に口角をつり上げたアノマリア。


『こんのーっ‼』


 彼女は数珠をつけた腕を振り上げると、手のひらを大きく広げ、あたかも羽アリを掴み取るように空気を握り締めながら、その手を前方に突き出した。


 風がピタリとやんだ。


 羽アリを中心に無数の白刃はくじんが作り出す球体が出現したのは、その瞬間だった。


 羽アリがずたずたに切り刻まれて、体液と肉の破片をまき散らしたのが見えた。


 直後にエレベータは森を抜けた。


 空はもう暗くなり始めていて、遠景はあおい闇に沈む街の夜景のようにキラキラと光り輝き始めていた。


「――助かった」


 二階堂が倒れ込んだまま、荒い息の合間にそう言うと、アノマリアもまた隣でへたり込んだ。


『――ちょっと、疲れた……』


 アノマリアは立てない様子だった。


 二階堂は彼女を抱きかかえてビヨンド号に向かった。


『お役に立てたッスかね?』


 二階堂は腕の中のアノマリアを見た。


「――もちろん。君は命の恩人だ、ありがとう」


『へへへっ……風伯珠ロザリー・タービュレンスは強力なんスけど、消耗も激しいんスよ。明日は優しく看病して欲しいッス』


「その数珠か? 恐れ入ったよ。俺なんかよりもずっと、君の方が強い」


 二階堂がそう言うと、アノマリアは照れた風に、はにかんだ。


 ポイーン、ポイーン、ポイーン。


『お、スリーポイント!』とアノマリア。


「やめろ。っていうかそれ、俺にも聞かせる必要ないだろ」


『一応、確認だ。間違っていたら言ってくれ』


 ――間違っては、いないが。


 二階堂は自分の腕の中で蓮っ葉に笑うアノマリアを見た。


 彼女の人柄の良さは、内面から湧き出す生来せいらいのものに違いない。


 自ら死地に飛び込み、立てなくなるほど力を尽くしてもなお、笑う。


 その笑顔から、二階堂は目が離せなかった。

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