思わぬ突入

 二階堂の視界に、橋の構造を映した絵が出た。二階堂の位置と、蟻塚城の位置、チンパンジーの位置と、さらにそこにアーチ状の射線が描き足される。


『矢には射角がある。ドローンで見た限り、射手は蟻塚城の奥から曲射でカオルを狙っている。だから十分蟻塚城に近づけば、矢は飛んでこないはずだ』


 ロンロンの説明に合わせて橋に色が付いた。


『先ほどのデータだけで判断するが、その色の付いた部分まで行ければ安全だろう。カオル、そこまで蟻塚城に近づいてから、橋の上に出て走るんだ』


 説明が終わる前に、二階堂は腕を前に送っていた。


 フレキスケルトンと雲梯うんてい運動の相性は良い。指を曲げた状態で保持してくれるので、ほとんど握力を使わないからだ。自分でも驚くペースで橋の下を進む二階堂。


 チンパンジーもこちらに近づいてくる。そのリアルタイムの状況が、コンタクトレンズに映し出されていた。近づきつつあるふたつの光点。このまま行くと――。


『急げカオル、今のペースだとぎりぎり間に合わない。これはあのチンパンジーとのレースだ。奴とぶつかる時に蟻塚城に十分近づいていなければ、君は蜂の巣だ』


「わぁーってるって‼」


 しかしどう頑張っても限界があった。人類は、地上に降り立った時に木登りの能力を捨てた。その進化の事実を二階堂は痛感していた。


 チンパンジーの姿がはっきり見える近さになった――大きいぞ、あれ……。


「――駄目だ、間に合わない! 上に出るから矢を見張っとけ、ロンロン‼」


 そう言って二階堂は力の限り蔦を這い上った。


 するとなんと、チンパンジーも二階堂に合わせて橋に上がった。


 想定外の動きにギョッとした二階堂だったが、もはや待ったなし。二階堂が蟻塚城に向かって橋の上を走る。彼の目の前にはミノタウロスよりも大きな、首の無いチンパンジーが四つん這いで待ち構えていた。


 ――こいつ、こんなに大きかったのか……!


『カオル、矢が来るぞ』


 チンパンジーが腕を振り上げた。その手は鎌みたいに鋭い形をしていた。二階堂を狙っているのは明白だった。


 それを見た二階堂は、橋の上を駆けながら腰からソニックセイバーソーを抜いた。彼はチンパンジーの真下に滑り込むと同時に、それを振るった。


 鼓膜をくすぐる高周波音と共に、重い手応えがあった。


 片腕を振り上げていたチンパンジーは、逆の腕を二階堂に切られ、完全にバランスを失って前のめりに倒れ込んだ。


 二階堂は振り返らずに、そのままチンパンジーの股下を駆け抜け、再び蔦を使って橋の下に潜り込んだ。矢の雨が到来したのはその直後だった。


 チンパンジーの背中には幾十もの矢が突き刺さり、一方の二階堂は橋の下で難を逃れた。チンパンジーは呻き声ひとつ上げず、動かなくなった。


「――っ、はあああぁっ‼ はあぁぁ……! はぁ……はぁ……」


 二階堂は疲労というよりは、強い緊張から息を切らしていた。


 ソニックセイバーソーは、別名〈超振動ブレード〉と呼ばれている。やいばがとてつもない周波数で振動しており、その振動で発生する摩擦熱で対象物を溶かしながら切る工具だ。小型のものだと超音波カッターなどと呼ばれて、ホビー用途で一般的に使われているが、それの超強力版だ。


 超音波カッターはプラスチックをバターのように切り裂くが、ソニックセイバーソーは金属をバターのように切断する。刃が長いものだと、本当に近接兵器として用いられたりもするが、二階堂が持っているのはあくまで工具であり、刀身の短いナイフとか、ノコギリに近い形状のものだった。それでも並大抵のものは真っ二つにできる切断力がある。


『やったな、カオル』


「はぁ……はぁ……おうよ……」


 二階堂はぶら下がったまま、ソニックセイバーソーをホルダーに仕舞って顔の汗をぬぐった。強い緊張感から解放された彼は、熱い高揚感に浸っていた。


 そんな彼の後ろで、チンパンジーの死骸が、橋からずり落ちた。


 ブツリ。


 鎌のようなかぎ爪が引っかかって蔦が千切れた。


 チンパンジーの死骸が、蔦を引っかけたまま、音もなく、すーっと下に落ちていく。


 すると二階堂が掴んでいた蔦も引っ張られて、ベリベリと引き剥がされていくではないか。二階堂は慌てて別の蔦を掴んだ。しかし剥離はくりの連鎖は止まらない。


「やばい――」


『やばいな』


 次から次へと必死に蔦を持ち替えていく二階堂。


「やばいっ!」


『ああ、やばい』


 そうロンロンが言った時、二階堂が伸ばした手が空気を掴んだ。


「やばああああああああいっ‼」


 剥がれた蔦に捕まった二階堂は、振り子となってターザン然と蟻塚城の下層に向けて落ちていった。


『カオル、あの隙間に飛び込め』


 二階堂の視界の一部が赤くマークされた。そこは二階堂の落下軌道に近く、壁面に大きな穴の開いた箇所だった。しかし――。


「落下が速すぎる!」


『フレキスケルトンを使って五点着地をするんだ』


 二階堂の悲鳴に、ロンロンが言った。


「なにそれ⁉」


『よくミリタリーゲームで空挺くうてい兵がやっている着地技術だ。身体を転がしながら足、すね、尻、背中、肩の順番で地面にぶつけて衝撃を和らげるんだ。とても難しいらしく、正しく実施するには訓練が必要だ。空挺兵ではなかったカオルには無理だろうな』


「じゃ言うなよおおおおおお‼」


 蟻塚城の壁面が凄まじい速度で迫る。


『着地初心者ヌーブのカオルには数字をひとつ引いて、四点着地をお勧めする』


「やり方!」


『両手両足を突いて着地するんだ』


「なるほど、それなら簡単! って、普通の着地だろそれ!」


『落ちるぞ、跳ぶ準備だ』


 二階堂が落ち続ける蔦を必死に登って位置を調整する。


『大丈夫だ。フレキスケルトンが補助してくれる。身体ではなくて、きちんと四肢を突いて着地しろ。それが肝心だ』


「うぉおおおおおお、怖ええええええあああああああああああ」


 蟻塚城の壁の、微細なテクスチャーがくっきりと見えた。


『――今だ跳べ!』


 二階堂はロンロンの声に反応して跳んだ。


 足が空気を漕ぐ。


 すぐに視界が暗くなった。


 二階堂は歯を食いしばって、四つん這いのイメージで着地を決めた。即座にフレキスケルトンが硬化して彼の身体を支える。ガクンッという衝撃を受けて、二階堂の鼻の奥にツンとした感覚が広がった。


 しかし彼の身体は止まらない。


 床の上をザザザザッと滑り続けた。倒れないようにバランスをとったまま二階堂が行き先を確認すると、床が切れているのが見えた。その向こうには底なしの闇黒くらやみが広がっている。


「いいいいいい――っ‼」


 身体はすんでのところで土埃を上げて停止した。その時、彼の両手は床の縁を掴み、その先の暗黒を覗き込む形となっていた。


 少し目に涙を浮かべる二階堂。それは風圧のせいか、はたまた強すぎた緊張の連続のせいか。あるいはその両方か。


「はっ……はっ……はっ……」


 引きつった呼吸を繰り返す二階堂の耳に、ロンロンの声が届く。


『たいしたものだ。次のステップは三点着地だな。よくヒーローが片方の拳で地面を殴りつつ着地する、例のかっこいいあれだ』


「お前……」


 二階堂は恨めしい声を上げながら身体を起こし、その場にへたり込んだ。


『立たないのか、カオル?』


「――腰抜けた」


 心臓が、痛いほど強く打っていた

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