渡橋

 ウィンチの音がウィンウィンと鳴ってエレベータが下りていく間ずっと、二階堂はもう少し丁寧にかごを作ればよかったと後悔していた。


 簡易的な四角い籠は手すりも付いておらず、風に吹きさらし状態。しかも崖に当たる風が小さな乱気流を作り、前後左右に揺らされる。はっきり言って怖い。二階堂は揺れる四角い板の上で四つん這いになって恐怖と戦っていた。


『橋の上には何もいないようだ』


 ロンロンの声が聞こえてきた。


 一方の二階堂は、蟻塚城に繋がる橋を見る余裕がない。


 ビヨンド号がある場所は高い円筒状の崖の上で、陸の孤島状態となっている。その崖に、蟻塚城から伸びてきた太いパイプ状の柱が突き刺さっており、それを二階堂達は橋と呼んでいた。


 あのミノタウロスは、蟻塚城からこの橋を渡ってこちらに辿り着いたに違いなかった。橋の上であれと出くわしてしまうと、もう逃げるしかない。さすがにそこはロンロンも同意してくれた。今、橋の上に何もいないのは幸運だった。


 エレベータが橋の上に着いた。


 二階堂は立ち上がって、ゆっくりと一歩を踏み出した。


 橋は一車線道路ほどの太さがあったが、表面が丸みを帯びていることから、安定して渡れる幅は人ひとり分しかない。


 早速、橋の様子を確かめる。素材のサンプルを採ろうと表面を削ると、それはざらざらとして硬かった。


「――コンクリートっぽいけど……光ってる?」


『細粒状の鉱物のようだ。詳しくはビヨンド号に戻ってから分析する』


 橋にはどこから伸びてきたのか太いつたが絡まっており、それが滑り止めになって二階堂の足元を安定させてくれた。


 二階堂は意を決して歩き始めた。


 遠くに見える蟻塚城はいびつだった。その右上に突き出た部分が見える。あそこがロンロン説によると、姫の待つ目的地だ。


 ――くだんの姫は遠目には可憐に見えた。いったい、どんな顔をしているのだろう。


 二階堂は昨日、映像で見た女の姿を思い出し、心の奥底で強い好奇心が動いたのを感じていた。あの映像を切り札にしたロンロンの作戦勝ちを認めざるを得ない。


 蟻塚城までの距離は、ロンロンの計測によるとおよそ二キロメートルだ。慎重に歩くと二十分くらいかかるだろう。


 わずかに上にアーチを描いた橋を、二階堂はなんの問題もなく進んでいった。人工的な音というものが聞こえず、風が眼下の木々を撫でる音や、何処からともなくカンカンという打音が響いたり、散発的に鳴き声のような音が届いた。


 空は黄色く、遠くにその空を貫く煌びやかな柱が見えている。


 風は緩く、どこからか甘く鼻腔に抜ける花の匂いが漂ってきた。記憶の端に引っかかる香りだった。


 橋の中間まで来て、アーチの頂部に立っても、何も異変は起こらなかった。そうして二階堂が良い意味で拍子抜けしている時だった。


「――なんだ?」


 蟻塚城の上に、突如として黒い“もや”が音も無く浮き上がった。それはスーッと広がっていき、黄色い空を下から黒く侵食していった。


「煙?」


 二階堂の目にズーム映像が届いた。それは細々こまごまとした黒い何かの集合だったが、それが何か、まだ二階堂には理解できない。


『カオル、逃げろ』


「え?」


『あれは矢だ』


 二階堂にもようやく理解できた。黒い“もや”は、無数の矢だった。


 頭上を埋め尽くした、矢の雨。


「――ふぁっ⁉」


 矢は、すでに二階堂が見上げる空のほとんどを覆い尽くしていた。


 二階堂は咄嗟とっさに横に跳んだ。その先にあるのは、吸い込まれるような木々の海――。


『カオル!』


 身体をひねり、橋に絡まったつたを握った二階堂。そのまま彼が自重で蔦を滑るように落ちていくと、自然と橋の下に潜り込む形となった。


 手のフレキスケルトンを硬化させて蔦を保持した時と、矢の雨が到来したのは同時だった。


 にわか雨がトタンを叩くようなやかましい音が、二階堂の耳を激しくいじめた。


 雨音が止んだ時、彼は橋の下で蔦にぶら下がったまま、顔を引きつらせていた。


『さすがだ、カオル。それは私の攻略パターンになかった。生き物の勘というやつか? それとも田舎者の第六感か? 肝が冷えたぞ』


「は、は、は……」


 珍しく肝が冷えたなどと、感情的なことを言ったロンロン。実際に肝を潰して、乾いた笑いを上げた二階堂。


 直後、矢の雨の第二波が届いた。


「――ぐっ⁉」


 左右が一瞬暗くなり、ヒュンヒュンという音が空気を切り裂いて落ちていった。肩をすくめた二階堂は、身体を強張らせてその終わりを待った。


「っ、これは……」


『少し待て。ドローンを飛ばして上の様子を確認する』


 ロンロンの言葉に、二階堂は「大丈夫なのか」と聞いた。


『望遠で確認する。さすがに数キロ離れていれば亜音速の矢でも回避できる』


「矢がホーミングしなければな」と二階堂が付け加えた。


 ドローンは残り二機しかない。メンテナンスのことを考えると、予備無しと言える状態なのだ。二階堂は蟻塚城以外の場所からの狙撃を心配したが、しかし橋の上の状況が分からなければ動けないのも確かだった。第三波が来た。


 大量の矢が森に吸い込まれていった。遠く眼下を埋め尽くす森が遠近感を狂わせたのか、青緑の海に引きずり込まれるような錯覚に襲われる。


 懸垂けんすいし続けることに不安はなかった。蔦を握った状態でフレキスケルトンを固めておけば、二階堂がぶら下がり続けても身体にはなんの負担もない。どちらかというと、蔦自体の強度の方が心配だった。


 ただし、あくまでも姿勢保持だけだ。フレキスケルトンはパワードスーツではない。ここから上に登るには、二階堂自身の筋力が必要となる。


 第四波は来なかった。


 風の音だけがヒューヒューと寒々さむざむ聞こえる中、ロンロンの報告が届いた。


『止まったようだ、次射は来ない』


「……上に出たら、また撃って来るかな?」


『おそらく』


 二階堂が小さく嘆息して、このまま橋の下を行くことを決めた時、今度は遠く向こう、橋の下で、影が動いているのが見えた。


『映像を解析中』


 ほどなくして二階堂の目にもズーム映像が届いた。橋の下を雲梯うんていでもするかのように軽々とこちらに近づいてくる、何かがいた。


「なに、あれ……?」


『チンパンジーのような姿だが、頭部が無い。両手両脚が鎌のような形状になっている。攻撃的な姿だ』


 ロンロンの説明はズバリだった。頭部が無いのが特に不気味だ。念のため、ロンロンにお伺いを立てる二階堂。


「話は――」


『通じそうに無いな』


「じゃあ撤退しよう」


『危険だ』


 二階堂の即断に、ロンロンが異論を唱えた。


「何でだよ! 上に出て走りゃいいだろ!」


「矢が橋の上に残っているが、その範囲がかなり広い。カオルの足の速さから考えて、次の射撃の範囲からは逃げ切れない。カオル、あの矢は明らかに君を狙っていた。敵は君が逃げ切れなくなる、十分な距離まで近づくのを待っていたのかも知れない。敵に知性はないと仮定していたが、戦略の組み直しが必要だ」


 二階堂は後ろを見た。橋の下を逃げようと思ったのだ。だがしかし蔦の密度が薄かった。掴んでいけそうな蔦が無い。蔦は、蟻塚城の方から伸びてきており、蟻塚城の方が濃く、ビヨンド号に向かって薄くなっている。


「くっそ……なら、あのチンパンジーの攻撃を服に掠らせてライフルで――」


『ガウスライフルの反動で落ちて死ぬぞ』


「し、知ってる知ってる」


 チンパンジーの姿は徐々に大きくなっている。引き返す様子はない。


『ちなみに、そのフレキスケルトンは破けると壊れてしまう。うっかりあのチンパンジーの鎌がフレキに引っかかると、カオルは支えを失うことになる。フレキは衝撃には強いが切断には弱い。掠らせる時は細心の注意を払ってくれ、気を付けろ』


「そ――」


 何かを言いかけた二階堂を遮って、ロンロンが続ける。


『あともうひとつある。フレキは壊れる時に弾け飛ぶ性質があって大怪我をする。強化ガラスは割れるまでは強いが、割れた瞬間に勢いよく破裂するのに似ている』


 ひと呼吸置いて、二階堂が押し殺した声で言う。


「――そうやって、やることなすこと、どんどん難易度を先鋭化するのやめない? ……あんまり俺を追い詰めるとこの手を離すぞ‼ いいのか、てめぇ⁉」


「まて、落ち着くんだ。話し合おう……よし、これだ」

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